海外でも再評価高まる、田中登監督の特集上映がシネマヴェーラ渋谷で開催される事となりました。
本特集では、生涯に撮った25本の映画のうちの20本を上映。
ロマンポルノという特殊なプログラム・ピクチャーの世界で花開き、その枠をはるかに超えた地平に屹立する傑作を送り出した天才映画作家・田中登の全貌に迫るという企画。
海外の田中登監督のトリビュート(当時、一生を風靡した女優 田中真理を中心に構成されている)
略歴
1937年長野県生まれ。明治大学在学中、黒澤明の『用心 棒』にアルバイトとして参加する。
卒業後に助監督として日活に入社。『花弁のしずく』で監督デビュー。フランス映画ばりの耽美かつスタイリッシュな作風で“ムッシュ”と呼ばれた。
『㊙女郎責め地獄』が成人映画として初めて日本映画監督協会新人奨励賞を受賞し、その後も『実録阿部定』や『人妻集団暴行致死事件』などの傑作を次々に発表。1975~1978年に3本がキネマ旬報ベストテン入り。神代辰巳と並ぶロマンポルノのエース監督として活躍。
特に『㊙色情めす市場』は日本映画界に衝撃を与え、深作欣二が『仁義の墓場』のスタッフに同作を16回観せたというエピソードは有名。80年代からテレビに進出、多くの秀作ドラマを作り上げた。享年69歳。
下記作品『㊙女郎責め地獄』で新人監督奨励賞を受賞
以下、1994年3月
「優美なる死骸遊び」に魅せられた作家プログラム・ピクチャーの遺産インタビューより
日本の映画史にまつわる数々のエピソードが語られています。
--さっそくですが、まずそもそも映画に入られたきっかけは何ですか。
--僕は大学時代はちょっと散文、小説を書いていたんですが、それと詩をやってまして、言葉で詩をやってると、詩の言葉には一言一言の喚起力が非常にありますから、それをだんだんやっているうちに、なるべく言葉を費やさないで理屈をこねないで感覚的に分かるものが何だろうかと思ったら、やっぱり映像だったんですね。
それで散文よりも詩を書いて映像をやってみようかなと思いまして、シナリオ研究所ってありますけど、それの僕、4期生なんですけども、そこで大学4年の時にシナリオを少しやりました。その後現場に出たいということで、東宝撮影所で黒沢明さんの『用心棒』なんかですね、あれの時に現場で美術の、セットの柱を磨いたりですね、それから今でも忘れないんだけども、キャメラの横に「がんから」っていって炭で火を起こすんですけれど、キャメラをあっためる時にそれを何十個と起こすんですよね。そういうアルバイトをやったりして、そしてアルバイトの特権で『用心棒』なんかキャメラの横で、監督が飲むお茶を汲みながら横で威張って見てるわけだ(笑)。
それから、『モスラ』。本多猪四郎さんがいましたね。それから『ゲンと不動明王』だ。それから川島雄三さんの『特急にっぽん』とかね、堀川弘通さんの『別れて生きるときも』かな。シナリオ書きながら、アルバイトの特権でちょっと現場を見ようということでね。
卒業の前に、助監督試験に通る前に入って、『用心棒』の時に合間に薪を焚きながら三船さんなんか話をしてて、「おいお前たち、助監督だけにはなるなよ」なんていって三船さんにからかわれてね(笑)。「助監督になると大変だぞ。奴隷に等しいぞ」なんて言われてね(笑)。冗談でね、撮影の合間に言われたんだけども、やってると面白いんだよね。映像でシナリオをやってると映画はやっぱりいいなあと思ってね。それで助監督試験を受けたら奇跡的に通りましてね、それでこの道に入ったんです。
--助監督で日活に入られてつかれた監督、あるいは作品というのにはどういったものがあったのでしょうか。
田中 キネマ旬報にも自分の助監督時代っていうので書いた記憶があるんですけど、僕はほとんどの監督をやりました。野口博志さん、山崎徳次郎さん、最初の一本目は山崎徳次郎さんという監督さんでね、小林旭さんの『風に逆らう流れ者』っていう作品なんですよ。卒業する前にね、卒業式に出る前に地方ロケに引っ張られちゃったことあるんです。「もう助監督試験通ったから、卒業式あとでいい」って言われてね(笑)、「とにかく現場行け」って言って引っ張られてそのシャシンをやって、卒業式やった記憶あるんですよ。
それから亡くなった中平康監督、蔵原さん、今村昌平さん、鈴木清順さん、熊井啓、小沢啓一、西河克己、それから・・・まあほとんどやりましたね。
熊井啓さんの最初の『帝銀事件死刑囚』、西河さんだと小百合ちゃんの『伊豆の踊子』、清順さんだと『肉体の門』をちょっと応援でやって、その後『春婦伝』なんかもやりました。
それから亡くなった中平監督は『赤いグラス』っていうのをやってます、アイ・ジョージでね。中平さんが晩年はもうぐでんぐでんに酔っぱらってね、ロケーションの現場に行くとね、これから撮影するトラックの運転台に乗って酔って寝てるんですよ。これから撮影するトラックの真ん中に乗ってライトがバンバン当たってるのに運転台で寝てるんですよ。それでチーフ助監督やってた村田さんていう人がいてね、全部ライティングできたから運転台のとこ行ってドア開けて、「中平さん、ちょっと準備できましたから降りてください」って言うとね、中平さんはこうやってやりながら、「ヨーイ……、ヨーイ……」ってやってんだね(笑)。
中平さんは、僕一本しか付き合ってないけど、すごく可愛がってくれてね、僕が新人賞取ったときの試験委員かなんか、中平さんが、後で聞いたんだけどやっててくれたらしい。清順さんもいたらしいんだけどね。中平さんの晩年の、これだけ徹底して自分が撮影する運転台に乗ってヨーイハイかけられる監督になりたいなあと思ってね、晩年はね。畳の上で死ねなくてもいいから、「監督、ライティングできました」って言ったら目を覚まして、「ヨーイ……、ハイ……」と言って死ねたらいいなあ、と思ったぐらいね(笑)。中平さんにはね、そういう思い出がありますよ。どっちかっていうと天才肌の人でね。増村保造さんていたでしょう。「俺が賞を取ろうとすると増村がみんな持っていくんだ。増村の奴、あいつ」って言うんだけどね。でも中平康監督というのはね、『月曜日のユカ』とかね、やっぱり素晴らしい監督でしたね。ああ、斎藤武市さんもつきましたね。
代表作の一つでもある『実録 阿部定』女優宮下順子の熱演光る
田中 長谷川和彦くんは僕の『夜汽車の女』のチーフやってんだけど、相米(慎二) くん、それから金子修介も僕が助監督で入れたやつだからね、中原俊もそうだよ。あ れも助監督で入れたんだけど、それから那須。
--そうそうたるメンバーです。
田中 だからみんなね、相米くんもクマ(神代辰巳)さんとこにいたり、日活でうろ うろしてたね。だからみんなそういう自由な空気の中から育ってきてるよね。森田芳 光もそうだし、今、若くて撮ってる連中はロマンポルノ出身であるなんてことを以外 と恥じてるようなやつもいるんだよ、情ないことに。日活が18年間作って育てた土 壌ってのは、映画、純粋映画から見たらどんなに素晴らしいことかっていうか、その 初期の志を忘れてるやつはダメだね。
--中原さんの『桜の園』という映画ですね、あれは監督自身のご意向ではないでし ょうが、作品パンフレットには監督のロマンポルノの経歴が一切書いてないんで、や はり『桜の園』という映画のイメージとして配給会社がそれを出さなかったんでしょ うね。
田中 中原と那須(博之)は、僕は最後に二人に絞ったのはね、どうも那須は東京育 ちなんだよ、それで中原はラサールから東大なんだよね。よく見てくとね、助監督採 るときには大体ね、同じ系列のやつは採らない。最低三人ぐらいは採ってほしいって 会社に言うんだけどね。と、田舎育ちの中原の方がシティ感覚派なんだよね。で、那 須は東京育ちなのにね、汗飛ばしてウワーッてやる方なんだよね(笑)。これは違う タイプを採ろうと。
金子の時はね、とっちゃん坊やみたいな感じするんだよ、いつまで経っても。あ、 とっちゃん坊や的発想するやつもいていいなっていうね。あの軽み、軽やかさって言 うかさ。採るときには全部そういう感覚でね、全部採っていきますよ。池田敏春の時 には、ちょっと体が不自由だったからね、あいつの創作見るとやっぱり透明度がある んだよね。
だからみんなそれぞれいい個性持ってて、そこで偏らないようにしてみんな採るん だけど、僕も助監督の時には多分今村昌平さんやなんかで試験やってたって、後で聞 くとそうだから、そういう感覚でみんな採ってきたんだろうね。そうやってみんな採 ってきたわけよ。今の、そういうことがいいことか悪いことか知らないけど、そうい う大会社が助監督を育てるっていうことが無くなってきたから、むしろ誰でも自由に 映画が撮れる時代になったわけだけどね、だからそうですね、いい面もあるしね。
映画作家・田中登
上映期間
2016/01/23 ~ 2016/02/12
上映作品
『花弁のしずく』
『牝猫たちの夜』
『夜汽車の女』
『好色家族 狐と狸』
『官能教室 愛のテクニック』
『昼下りの情事 変身』
『㊙女郎責め地獄』
『真夜中の妖精』
『女教師 私生活』
『㊙色情めす市場』
『実録阿部定』
『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』
『発禁本「美人乱舞」より 責める!』
『女教師』
『人妻集団暴行致死事件』
『天使のはらわた 名美』
『愛欲の標的』
『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』
『丑三つの村』
『妖女伝説’88』
以下 参照元