映画『ある女子大生の告白』を観た。フィルムセンターで開催されている特集『韓国映画 1934-1959 創造と開花』の一本。韓国映画界の巨匠、申相玉(シンサンオク)監督が、1958年に自身の独立プロで製作した作品である。

血族をすべてなくし貧困にあえぐ女子大生が、偶然知ることとなった、若いころ妻子を捨て、のちに国会議員になった男の、その成長した子になりすまし、議員に接近して認知を受ける。生来の純粋さゆえ、自らのその選択に苦悩を抱きつづけるが、「父」やその妻らの応援を得て、晴れて念願の弁護士として、その一歩を踏み出すことになる。

大衆風俗映画に社会派テイストを加味した趣きの作品で、物語としては、主人公とその「父」、「義母」、「父」の秘書で主人公と心を通わせる青年ほかをめぐって、定番の大メロドラマが起伏豊かに展開し、申しぶんなく楽しめるのだが、もうひとつの、いやむしろ最大の収穫は、そこに映しだされる50年代韓国社会の世相や風俗、暮らしぶりを目視することができるという、レアな体験にあった。

繁華街の街並みや住宅街の佇まい。会社や事務所、住居、レストラン、喫茶店に至るまでのインテリアや調度、小物類。人々のライフスタイルやファッション、ヘアスタイル、メイク。そういった、目に映るものの一つひとつが、驚くほど、当時の日本のそれらによく似ている。終戦からさほど時を経てはいない1950年代、すでにして日本も韓国も、相似形的に大きな変貌を遂げている。アメリカナイズという重要なキーワードを共通項に。ふるくから所縁の深い両国は、そのようなものとして、戦後を、復興を受け入れ、ともに生きたのだ。そうした、彼我が歩んだ戦後、現代の道のりに、かの国の貴重な映像を目にすることによって、あらためて思いを馳せることができたのだった。

映画そのもののつくり、演出や撮影などの作法も、日本とおなじような発達の経緯をたどったのか(戦後、日韓映画界のあいだで人的交流はあった、と聞く)、とてもよく似通っていて、さらに音楽までもが小津安二郎映画調なので、韓国語の会話やハングル文字、ほんのわずかに登場する民族衣装がなければ、まるでおなじころの日本映画を観ているような錯覚に陥るほどなのである。

そのように、日韓戦後の社会史を比較文化論的に検証できる得がたい機会であり、もちろん映画そのものとしても、のちに李長鎬(イチャンホ)や裵昶浩(ペチャンホ )といった監督たちの登場に衝撃を受けて私たちが注目することとなった韓国映画の、その前史としての、黎明期から商業的黄金期に至るまでの厖大なプログラム・ピクチャー群に時系列でたっぷりふれることのできる貴重な場であるわけだけれども、いつもに比べて会場フィルムセンターの観客がおそろしくまばらであることが、とても残念でならなかった。

聞けば、日韓のあいだで長い地道な準備を経て実現した企画とのことである。あと残り一週間、26日(土)までの開催となってしまったが、李滄東(イチャンドン)や金基德(キムギトク)といった監督たちの、いま現在の旬の作品を楽しむ韓国映画ファンの皆さんが、その百花繚乱の源流ともいえるこの豊かな鉱脈に、できるだけ数多くふれられることを、切に願うものである。

(12月15日鑑賞@東京国立近代美術館フィルムセンター)

旦 雄二 DAN Yuji
CMディレクターを経て映画監督
武蔵野美術大学卒
〇映画『少年』『友よ、また逢おう』
〇CM『出光』『DHC』『ラーメンアイス』『富士通』『NEC』『大阪ガス』『河合塾』『カレーアイス』『飯田のいい家』『sanaru 佐鳴学院』『タケダ 武田薬品』『ソルマック』『ミニストップ』
〇ドキュメンタリー『寺山修司は生きている』『烈 〜津軽三味線師・高橋竹山』
〇ゲーム『バーチャルカメラマン』『バーチャフォトスタジオ』
〇アイドル・プロジェクト『レモンエンジェル』
〇脚本『安藤組外伝 群狼の系譜』細野辰興監督版
など、ほか多数
〇城戸賞、ACC賞、HVC特別賞
〇日本映画監督協会 会員