小野耕世のPLAYTIME ⑪
「一期一会なのよ」東京国際映画祭での会話


「今日は、どのお茶にします?」
六本木ヒルズの森ビル49階にある第28回東京国際映画祭のプレス・センターに顔を出すと、受付にいる女性たちのひとりが。私に声をかけた。
今年の映画祭は10月22日から31日までの10日間だが、例年、プレス・パスを手に入れても、なかなか映画が見られなかった。パスがあっても見たい映画は前もって予約しなくてはならず、予約もすぐいっぱいになってしまうからだ。
でも今年は、予約なしでも上映の直前に会場に行くと、空席があれば入れることになっていたのが嬉しかった。けっこう席はあって、予約済みの人たちを入れたあと、上映の5-3分前に入場できたのだ。けっこう席は空いているのだと知る。

予約して見たのは、小栗康平監督の「FOUJITA」という映画だった。エコール・ド・パリの時代に、フランスですばらしい仕事をした画家・藤田嗣治を描いた作品。この画家は、東京芸術大学を卒業しており、同大学の同じ西洋画科を卒業した私の父、画家・マンガ家の小野佐世男(1905-54)の十年先輩に当たる。1930年代に短期間出ていた「バクシヨー」というマンガ雑誌の創刊号の表紙を藤田が描き、別の号の表紙を私の父が描いている(この表紙絵は、アメリカで出ている世界マンガ百科事典の「小野佐世男」の項目に出ている)。藤田と父が、いっしょの写真も、この雑誌に載っている。

小野佐世男

wikipedia

映画はパリ時代の藤田を、もちろんパリにロケして描いており、時代の雰囲気をていねいに見せる。藤田や他の画家たちの恋人だった「モンパルナスのキキ」として知られるモデルの女性も登場する。
キキは有名で、フランスの女性マンガ家が描いた長編コミックスも出ていて、私はその作者が二年前に来日したときインタビューしているが、マンガのなかのキキは、すらりとして若々しい美女だった。マンガには藤田やピカソなど、当時のパリの画家たちがみな登場していた。でも、映画「FOUJITA」のなかのキキは、少し太っている。映画のほうが、実際のキキに近いのかもしれないが、どちらが正しいか私にはわからない。

モンパルナスのキキ

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映画の後半は日本が舞台で、いわゆる戦争画を描いたこの画家の内面に迫ろうとしていて、私は藤田に共感した。しかし、映画の途中で出ていく外国人が少し目立ったのは、日本での場面の意味が理解できなかったからかもしれない。この映画には、説明のナレーションなど一切ないし、人物のクローズアップはひとつもない。いい映画だった。

49階のプレス・センターには、日本茶や紅茶のプラスチックのボトルか冷えていて、毎日1本もらえる。それでよく顔を出す私に、初めに話したように、係の女性が質問したのだ。「昨日と同じ日本茶でお願い」と私。「配給は1日1本なんですね」
以前は本数に制限はなかった。一昨年、帰り際にボトルを5本も持っていく記者がいて、制約するようになったとのこと。そんなマナー知らずの人がいたとはなさけない。
プレス・センターとは別に、二階にラウンジがあるのも、今年初めて知った。ゲストやプレスの者が出入りできる広い場所で、コーヒーやお茶などのほか、ちょっとケーキなどが用意されていて、なによりも広いテーブルがいくつもならんでいるのがいい。
私は四人がけのテーブルのひとつで、原稿を書き始める。プレス・センターではパソコンが置いてあるが、PCなど電子機器とは無縁の私は、資料と原稿用紙が広げられるテーブルのほうがいい。
映画祭の最終日、そこで原稿を書いていると、同じテーブルのななめ前に、白髪の外国人がすわり、なにかひろげて見ている。多くの外国人が、彼に話しかけてくる。こうした場合、黙っているのは気づまりなので、私も英語で話しかけてみる。
「ことしの映画祭、いかがでしたか?」
「いや、映画はあまり見ていないんだ」と、彼は私を見る。
「パーティばかり出ているからね。今日もトルコ大使館でパーティがあったし・・・。きみも、ずいぶん仕事に集中しているね」
「いや、私はパソコンもスマホも使わなくて、すべて手書きだから、こうした場所がないと」
「そうだね。私も広い場所が好きなんだ」と彼は、やたらに名刺の束をテーブルにひろげてなにかメモしている。
そして突然、大勢のゲストや記者などでにぎわっていたラウンジが、まったくからっぽになった。
「あっというまにふたりだけになったな」と彼「映画祭の授賞式が始まったんだよ」
なるほど、ラウンジのモニターにその様子が映し出される。
私はパーティとか授賞式などのイベントには興味がないし、招待など受けていない。
「ほら、これは私と安部首相の昭恵夫人といっしょの写真だよ」と言って、彼はなにかの英文の記事のコピーを見せる。「首相夫人はとてもダイナミックだと書いてありますが、ほんとにそうですか」と私。「うん、彼女は英語をよく話すし・・・」と彼。
やっと私は、彼が映画評論家でも海外からの取材記者でもなく、東京に長く住み、英語の情報誌に、各種のパーティなどで出会った有名人のことを記事にしているのだと知った。
だから私が映画「FOUJITA」と藤田嗣治のエコール・ド・パリについてちょっと話しても意味がわからなかったはずだ。長年日本にいて、藤田嗣治のことも知らず、日本語も少ししか話せない。そうした外国人が東京にいることを知っている私は、彼についての興味を急速に失った。
「映画祭は、やたらに写真をとっちゃいけないとか、制約が多いのは困るが、事務局の若い人たちはみな親切で、それはとてもいいね」
と言う彼のことばには、私はまったく同感した。
書いた原稿を新聞社にファクスするため、最後に49階のプレス・センターに行く。
「来年も、皆さんにここでお会いできるかしら」と私がたずねると、「それはわからないわ。一期一会なのよ」と、女性のひとりが答え、笑顔で送り出してくれた。
来年も、この親切で気持ちのいい人たちに会いたいと、私は感謝しつつプレス・センターを後にしたのだった。

11/14公開:映画『FOUJITA』予告編

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小野耕世
映画評論で活躍すると同時に、漫画研究もオーソリティ。
特に海外コミック研究では、ヒーロー物の「アメコミ」から、ロバート・クラムのようなアンダーグラウンド・コミックス、アート・スピーゲルマンのようなグラフィック・ノベル、ヨーロッパのアート系コミックス、他にアジア諸国のマンガまで、幅広くカバー。また、アニメーションについても研究。
長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
一方で、日本SFの創世期からSF小説の創作活動も行っており、1961年の第1回空想科学小説コンテスト奨励賞。SF同人誌「宇宙塵」にも参加。SF小説集である『銀河連邦のクリスマス』も刊行している。日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に。