小野耕世のPLAYTIME ⑨
「なぜ、馬を撃たなかったのか?」

さきに私は、『黒澤明 樹海の迷宮』(小学館)という、映画『デルス・ウザーラ』の撮影日記を中心とした本について述べたが、これとならんで今年読んだ映画に関する本として、最も感銘を受けたのは、グレン・フランクル著「捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生」(新潮社)であり、『樹海の迷宮』同様、かなり厚い本なのだが、いっきに読んでしまった。
これは『捜索者』のメイキングを記した内容をはるかに超え、アメリカ開拓期の対インディアン戦争が、いかにすさまじいものだったかを、克明に記し、アメリカ史のこの部分についてはかなり詳しいと思っていた私の無知を思い知らされた。
また、これまで映画監督ジョン・フォード(1894-1973)については伝記なども翻訳されているが、この本で初めて彼の全体像を感じとったという気がする。

名匠 ジョンフォード監督

https://maxfavilli.com/my-name-is-john-ford-i-make-westerns

例えば、この監督の代表作のひとつ『駅馬車』(1939)は、インディアンの大軍が駅馬車を襲う場面が有名だが、ある映画評論家が「インディアンたちは銃で駅馬車に撃ちまくるが、駅馬車を止められない。あのとき、馬車をひく馬たちを狙い撃てば、かんたんに駅馬車はとまってしまうのに、なぜ馬を撃たなかったか」とたずねたという。するとフォードは、こう答えた「その通りだが、インディアンが駅馬車を引く馬を撃ってしまったら、そこで映画は終わってしまうだろ?だから馬を撃たせるわけにはいかなかったのさ」

【予告】ジョン・フォード監督生誕120年!

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『駅馬車』では、馬車の出発時から護衛のため同行していた合衆国騎兵隊が、途中で馬車の人たちと別れて行く場面がある。このときカメラは、馬上で馬車の人たちに帽子を振って別れを告げる隊長の姿をはっきりと、示す。
どうもこの一瞬の場面に、監督の思いがこめられているように私には思えるのは、この隊長を演じているのがティム・ホルト(Tim Holt)だということが、映画の最初に出てくるクレジットでわかるからだ(主演のジョン・ウェィンは、このクレジットの最初ではなく、なんと四番目に名前が出る。映画の製作会社は、ジョン・ウェインのような二流の俳優を嫌い、主演にゲイリー・クーパー、女優にはマルレーネ・ディトリッヒのふたりの大スターを出演させると主張したが、フォード監督は、ジョン・ウェインにこだわったとのこと)。

ジョン・ウェイン

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Wayne

ティム・ホルト

https://theautry.org/the-colt-revolver-in-the-american-west/western-entertainers?artifact=93.141.4

ティム・ホルトは、当時人気のカウボーイ俳優のひとりだった。なぜそんなことを私が知っているかというと、そのころ人気のカウボーイ役者、歌うカウボーイとして人気を博した歌手などは、アメリカのコミック・ブックの主人公にもなっていて、小学生だった私は、それらのコミック・ブックを、東京の古本屋で買って、見ていたのである。
ロイ・ロジャーズ、トム・ミックスといった本物のカウボーイ役者は、映画や舞台のスターだった。ティム・ホルトもそのひとりで、映画『駅馬車』での出番は少ないが、自分が護衛してきた駅馬車に、帽子を振って別れを告げる場面の彼は、いかにもさっそうとしているではないか。
話を1956年の映画『捜索者』に戻すと、映画の開巻で、流浪の旅から帰ってきたジョン・ウェイン演じるイーサンは、家族に迎えられるが、ほどなく一家はコマンチ族の襲撃を受け、まだ小さい女の子だったイーサンの姪は、さらわれてしまう。そしてこの映画は、イーサンとジェフリー・ハンターが演じる若者が、ふたりで何年もかけて、インディアンに連れられた少女を奪い返そうとする物語である。
これは実話にもとづいており、シンシア・アン・パーカーという名の姪を、11年間探してついに奪い返したジェイムズ・パーカーという彼女の伯父がいたのである。コマンチ族の男の妻になっていた彼女が生んだクアナ・パーカーという混血児は、後に成長して、コマンチ族と白人たちとのあいだの橋渡しをする役目をになうことになる。
その実話は、この『捜索者』の本に詳しいが、そこには私の知らなかったことが次つぎと出てきて、目からうろこの思いがする。例えば以下のようなことだ。

① 先住インディアンは、殺した白人の頭の皮を切り取ったというが、白人のほうもインディアンの頭の皮を切り取り、戦利品として飾った。
② 定住せずに平原を移動するインディアンたちの主な食糧は野生のバファローの肉だった。だが、アメリカでバファローがほとんど消滅したのは、先住民が食べつくしたからではなく、先住民の食糧を絶やそうと、白人たちが殺しまくったからである。

映画『捜索者』のなかでは、バファローの群れを見つけたイーサンが、銃で撃つ場面がある。コマンチ族を飢えさせるためで、それをジェフリー・ハンターが阻止しようとするが、イーサンは撃ちまくって、野牛を倒していく。
1867年に、白人の合衆国政府側と、コマンチ、カイオワ、アラバホ、シャイアンなどの先住民側が、南カンザスで大会議を催すが、その場にイギリスのジャーナリスト、ヘンリー・M・スタンリーも加わっていた。後にアフリカでリヴィングストン博士を探し出すことに成功するこの若者が、ここにいたことは初めて知った。
その後、アメリカ陸軍をひきいるウィリアム・T・シャーマン将軍は、大平原に現れるアメリカン・バファローの大群の絶滅こそが、平原インディアンから食糧と住みかを奪う最良の策と考える。このシャーマンとは、映画『風と共に去りぬ』(フォードの『駅馬車』と同じく1939年製作の映画)のなかで、アトランタの街を陥落させたあの北軍の将軍である。南北戦争に勝利したあと、彼はアメリカ陸軍の長となっていたのである。
シャーマンの方針に従って、白人側のプロのハンターたちは、1874年までに400万頭以上のバファローを殺りくしたのだった。白人が北テキサスとオクラホマを流れるアーカンソー川の南でバファローを狩ることは、さきに記した1867年でのインディアン連合との会議で禁じられたはずなのだが、その約束を破って白人のハンターたちは南下していく。
1874年、J・ライト・ムーアという白人は、なんと幌馬車百台を組織し、川を渡ってインディアン地域として合衆国が保証した場所に定住しようとし、バファローたちを殺し続けていったのだった。
『風と共に去りぬ』では、ジョージア州を中心とした南北戦争の模様が描かれているが、そのさなかにも先住インディアンを追いたてる戦争も続いており、それについてはいま岩波文庫で刊行されている『風と共に去りぬ』の第三巻の解説のなかで、訳者の荒このみ氏が詳しく記している。
ただし、ここで不当に追いたてられるのは、コマンチ族などではなく、温和なチェロキー族なのであったが。

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小野耕世
映画評論で活躍すると同時に、漫画研究もオーソリティ。
特に海外コミック研究では、ヒーロー物の「アメコミ」から、ロバート・クラムのようなアンダーグラウンド・コミックス、アート・スピーゲルマンのようなグラフィック・ノベル、ヨーロッパのアート系コミックス、他にアジア諸国のマンガまで、幅広くカバー。また、アニメーションについても研究。
長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
一方で、日本SFの創世期からSF小説の創作活動も行っており、1961年の第1回空想科学小説コンテスト奨励賞。SF同人誌「宇宙塵」にも参加。SF小説集である『銀河連邦のクリスマス』も刊行している。日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に。