歴史の天使
ヴァルター・ベンヤミンというと、ユダヤ人の文学・思想家としてハンナ・アレントにも大きな影響を与えた伝説的人物として知られている。ヒトラーが政権を握ったナチス・ドイツの時代に、その追手からのがれようとして、フランスからスペインへ渡る途次、ピレネー山中の小さな町のホテルで、モルヒネ自殺を図り、48歳の生涯を閉じた。死の直前まで推敲していたのが遺稿となった「歴史の概念について」という20章あまりの断章からなるテーゼだ。
なかで、もっともよく知られているのが、「歴史の天使」と一般にいわれる第9テーゼだ。ベンヤミンは、そこでクレーの「新しい天使」という絵に託して、みずからの歴史観を述べている。眼を大きく見開き、翼を広げたその天使は顔を過去の方へ向けている。そこには、次々に重ねられた瓦礫の山が見えるばかり。天使はそこにとどまって打ち砕かれた破片を集め、死者をよみがえらせようとするのだが、パラダイスの方から強い風が吹いてきて、天使を吹き飛ばしていく。
瓦礫の山を眼下にして、後ろ向きになったまま、未来の方へと飛ばされていく天使の姿が象徴しているものこそ「歴史」というものであるというのが、ベンヤミンのいおうとするところなのだが、このようなメタフォリックな表現によってベンヤミンは何を語ろうとしたのだろうか。「私たちが、進歩と呼んでいるのは、まさにこの強風なのだ」という言葉が、そのヒントになりそうだ。
現代の科学文明、市場原理主義、グローバリズム、高度資本主義と、どの一つとっても天使を吹き飛ばしていく「強風」に値するものだが、ベンヤミンが当時、喫緊の課題としていたのが、ヒトラー独裁の国家社会主義でありスターリン独裁による共産主義だった。思想的には極右と極左であるはずのヒトラーとスターリンが結託して、最強のイデオロギーを産み出そうとしていた。それこそが、ベンヤミンにとっては強風中の強風に当たるものだった。
1939年に結ばれた独ソ不可侵条約にその結託の現実的なあらわれを認めることができるのだが、根はもっと深い。それを明らかにするためには、ローマの時代までさかのぼらなければならない。スタンリー・キューブリックの映画でも知られるスパルタカスの反乱というのがローマ共和政の時代に起こった。一奴隷だったスパルタカスが、圧政に抗して立ち上がった革命ともいっていい反乱だ。ベンヤミンは、そのスパルタカスに大きな影響を受けていた。
ローマのスパルタカスではなく、ドイツ革命のさなかに結成されたスパルタカス団にである。その思想的な支柱だったローザ・ルクセンブルク。ポーランド生まれの女性革命家・思想家だが、このローザが、ローマ時代のスパルタカスの反乱に革命の原点を見出していた。つまりロシア革命を主導したレーニンが、前衛による革命というものを主張したのに対して、ローザはあくまでも自然発生的な労働者の蜂起を目指した。さらには、レーニンが万国の労働者によるインターナショナルな団結が、ついには帝国主義国家を倒していかなければならないとして、そのためには、最終的には戦争もやむをえないと考えたのに対して、ローザは、どのような戦争にも反対した。
このローザ・ルクセンブルクと盟友のカール・リープクネヒトは、結局、ドイツ社会民主党の手で虐殺されてしまう。当時のドイツ社会民主党は、ワイマール共和国の中枢を握る政党で、レーニンのインターナショナルとも通じていたのだが、一方で極左組織であるスパルタカス団を極度に警戒し、結局は、のちにナチスの中枢を握る人物(ルドルフ・ヘスなど)が加盟していたドイツ義勇軍の手で、壊滅にいたらせる。
こうしてみると、ベンヤミンが強風中の強風と考えていたのが、このスパルタカス団のローザ・ルクセンブルクを排除した左派勢力と虐殺に直接手を下した右派勢力だったということになる。彼らの危険性を、当時そこまで直観していたのは、ベンヤミンのほかにアレントぐらいしかいなかったとされるのだが、ではなぜ、ベンヤミンとアレントはそのことに気がつくことができたのか。鍵を握っているのは、アレントの2度目の夫で、一緒にアメリカ亡命を果たしたハインリッヒ・ブリュッヒャーだった。
映画「ハンナ・アーレント」でアレントを陰ながら支える穏健そうな紳士として登場するこのブリュッヒャーこそ、ローザ・ルクセンブルクとともにスパルタカス団で戦った闘士だったのだ。ベンヤミンは、このブリュッヒャーを通してローザの思想の薫陶を受け、社会主義や共産主義というのが変幻自在に極右と極左になりうること、そして手もなく結託しうること、そのことによって、ありもしない未来をイデオロギー的に描き出し、民衆に幻想を抱かせることを知った。その現実的なあらわれが、ヒトラーとスターリンの結託だった。
そのような無残な結託が、天使の翼を吹き飛ばす強風となって、眼の前に瓦礫の山を積み上げていくことに、最大の危機を感じ取ったのがベンヤミンだった。だが、そういうベンヤミンも力尽きて消えていくのだが、その遺志を継ぐかのように「歴史の概念について」のフランス語稿を携えてブリュッヒャーとともにアメリカに亡命したアレントは、ローザ・ルクセンブルクとヴァルター・ベンヤミンという虐殺と、自死というかたちで生涯を閉じた希有の思想家のなかから、みずからの思想をたちあげていったといえる。
神山睦美 プロフィール
1947年岩手県生まれ。東京大学教養学科卒。
文芸評論家。2011年『小林秀雄の昭和』(思潮社)で、第二回鮎川信夫賞受賞。
その他の著書に、『夏目漱石論序説』(国文社)『吉本隆明論考』(思潮社)『家族という経験』(思潮社)『クリティカル・メモリ』(砂子屋書房)『思考を鍛える論文入門』(ちくま新書)『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)『二十一世紀の戦争』(思潮社)『希望のエートス 3 ・11以後』(思潮社)『サクリファイス』(響文社)など多数。