修復が可能な男女関係
 

 教え子(女性)から「離婚することにしました」という葉書が届いた。いつも年賀状に記してある住所とは異なっていたので、夫と一緒に住んでいた家を出たのだろう。最近では、シングルマザーもバツイチという言葉も普通に使われるから、珍しいことではないのかもしれない。しかし、当事者にとってみれば、さぞかし辛いことであろう。
 
 人間は自我の尊厳を傷つけられたとき、死に至る病を経験する。失恋や失職、さらには受験や就職活動での度重なる不合格によって、絶望の淵に立たされた経験のある人は少なくない。しかし、離婚というのは、本質的にこれと異なるのではないだろうか。
 
 ヘーゲルに主人と奴隷の承認をめぐる闘争というテーゼがある。二人の人間が相対したとき、たがいに相手に自分を認めさせようと、際限のない闘争がくりかえされる。結果として、この闘争によって主人となるのは、死を怖れない者であり、死を怖れて闘いを放棄したものは、奴隷に甘んずるほかはない。
 
 私は、この主人と奴隷という比喩が、たんに自己と他者といった一般的な二者関係をあらわすだけでなく、男女の関係の根本をあらわしているのではないかと思ってきた。夫婦とか付き合っている男女とか、そういう関係には多かれ少なかれこの主人と奴隷の関係がしのびこんでくる。したがって、これを突き詰めていくならば、結局は男女の関係は破綻せざるをえない。
 
 しかし、奴隷の境遇に甘んずるものは、黙々と労働に従事することによって、死の恐怖に打ち勝とうと絶えず緊張している主人をやがて乗り越えていくのだと、ヘーゲルはいう。男女の関係でも、いつも自分の方が奴隷のような下位の立場におかれていると思ってしまう場合があるのだが、そのことは、決して主人の立場にあるような相手に対して、劣位にあるというのではない。そう思えるものが少しでもあるときには、この関係は修復されるのではないだろうか。
 
 しかし、相手が自分とは別の異性に心を奪われているとか、経済的破綻、生活上の破綻に陥ってそこから回復しようという意志をなくしているとか、いずれにしろ主人と奴隷の関係が膠着状態となってしまう場合には、訣別もやむをえない。だが、そのことは、そういう状況でないかぎりは、男女の関係では主人と奴隷に通ずるような事態は日常茶飯事なのだから、そう思っていつでも修復を心がけることができるということでもあるのだ。


神山睦美 プロフィール

1947年岩手県生まれ。東京大学教養学科卒。
文芸評論家。2011年『小林秀雄の昭和』(思潮社)で、第二回鮎川信夫賞受賞。
その他の著書に、『夏目漱石論序説』(国文社)『吉本隆明論考』(思潮社)『家族という経験』(思潮社)『クリティカル・メモリ』(砂子屋書房)『思考を鍛える論文入門』(ちくま新書)『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)『二十一世紀の戦争』(思潮社)『希望のエートス 3 ・11以後』(思潮社)『サクリファイス』(響文社)など多数。