連載第3回 デンマークの船 

 デンマークというと、ディネセンやアンデルセンや、キルケゴールの国としてしか知らなかったが、逆にいうと、この北欧の小国が、どうして彼らのような文学者や哲学者を輩出したのだろうかという思いがあった。
その理由の一端に当たるような事実に、このところ読み継いでいるパウル・ツェランの詩のなかで出会った。公刊された詩集では最後のものになる『時の屋敷』に収録された次のような詩。
 
 存在していた
 無花果の一片が お前の唇の上に、
 存在していた
 イェルサレムが ぼくたちのまわりに、
 存在していた
 明るい松の香りが
 僕たちが感謝したデンマークの船のうえ
 僕は存在していた
 お前の中に。
 
このなかの「デンマークの船」について、訳者である中村朝子の以下のような解説が付されていた。
 
ナチスのユダヤ人迫害の中で、デンマークは一貫してユダヤ人に保護を与え続けた。
ドイツが一九三四年に予定していたデンマークのユダヤ人狩りは、国民全体と政府の協力によって阻まれ、ほぼ全員がスウェーデンに船で脱出できた。
捕えられてテレージェンシュタットに送られた約四〇〇人のユダヤ人も、デンマーク政府の不屈の査察要請により唯一人も虐殺されなかった。
現在、イェルサレムには「デンマークの船」の記念碑があるのだが、ツェランは、一九六九年、生涯で初めて、そして唯一度だけイスラエルを訪ねた際、この記念碑の近くの友人の家に滞在している。
 
「デンマークの船」については、ハンナ・アレントも『イェルサレムのアイヒマン』でとりあげている。
アイヒマン裁判における「善き政府に属する者は幸運であり、悪い政府に属する者は不運だ。私には運がなかった」というアイヒマンの証言が、あたかも自分がデンマーク政府の官吏であったならば、ユダヤ人脱出のために「デンマークの船」にかかわることになったであろうということを述べているかのように、論じているのである。
 
 デンマーク政府とその国民の不屈の意志というものに比べるならば、アイヒマンの卑小さは一目瞭然だ。
しかし、もし私たち日本人が、ユダヤ人脱出という事態を前にどういう選択をおこなうだろうかと考えるとき、たいていの人は、アイヒマンのような選択をするのではないだろうか。つまり、当時の政府が不屈の選択として脱出に手を貸すようなことがあれば、そういう命令をそのままに履行し、逆に、ナチスの意のままにユダヤ人を引き渡す事を決定すれば、それもまた命に従って履行するといった具合に、である。
そして、日本及び日本人の選択としては、確かに杉原千畝のような人がいたことに間違いはないとしても、まず後者になるのではないかと思われるのである。
 
 いや日本及び日本人に限ったことではなく、国家と国民が共にデンマークのような選択をするということ自体が、奇跡に近いのではないかと思われてならない。そのことを思うにつけ、私たちは、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーといった国々の歴史や文化や制度というものに、これからも多く学ぶべきものがあるのではないかと思われるのである。

神山睦美 プロフィール

1947年岩手県生まれ。東京大学教養学科卒。
文芸評論家。2011年『小林秀雄の昭和』(思潮社)で、第二回鮎川信夫賞受賞。
その他の著書に、『夏目漱石論序説』(国文社)『吉本隆明論考』(思潮社)『家族という経験』(思潮社)『クリティカル・メモリ』(砂子屋書房)『思考を鍛える論文入門』(ちくま新書)『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)『二十一世紀の戦争』(思潮社)『希望のエートス 3 ・11以後』(思潮社)『サクリファイス』(響文社)など多数。