失踪して三年たったころ、夫が突然戻り、「俺、死んだよ」という。富山の海で死亡したため、死体もあがらず、死亡確認もされていなかった。妻は住職に勧められて夫が戻ることを願う祈願書を百枚も書いていたが、消息は杳として知れなかった。

 子ども相手のピアノ教師をしている妻瑞希、大病院の歯科医師だった夫優介——夫婦の関係、生活環境、死の原因といったことはまるっきり語られない。
優介は瑞希に会うため三年間かけて歩いてきたと言う。ただ歩いてきたのではなくて、ところどころでしばらく留まって生活していたらしい。
そのお世話になった人々に会いに行くというので、瑞希も同行することにした。優介は死者なのに電車にもバスにも乗るし、食事もするのだ。


 最初は新聞配達店の島影店長。「忙しいときに優さんが配達を手伝ってくれて助かったよ」と言う。しばらく、ここに泊まり、料理を作ったり、新聞に広告を挟む作業を手伝ったりする。
夫によると「島影さんも死んでいるんだけど、それに気づいていないんだ」とのこと。優介もそうだが、死人なのに生者にもちゃんと見える不思議な存在という設定なのだが、淡々と語られると、そういうものかとなぜか素直に納得。成仏できず、地上をさまよっている幽霊も多いらしい。
やがて、島影は体の調子がおかしくなり、或る日いなくなってしまう。瑞希が家に戻ると、新聞配達店の入っていたビルは老朽化していて、店舗の中は廃墟と化していた。まるで「雨月物語」の浅茅が宿のような話である。

 つぎに二人が訪れたのは夫婦二人でやっている食堂。
夫によると、二人は死人ではなく生者とのこと。店主の妻フジエの妹は幼くして死亡していたが、フジエは自分が強制的に習わされていたピアノが嫌いだったにもかかわらず、妹がそれに触ることを許さなかった。
妹はその後病死し、妹につらく当たったことがフジエには心残りだったという。
瑞希がピアノを弾くと妹が現れる。最後に農村にいく。夫はここで塾を開き村人を集めて光の質量に関する知識を講義していた。
ちんぷんかんぷんなのに、みんな真面目に聞いているのがおかしい。とめてもらった農家の嫁の夫タカシは死亡しているのに、嫁に執着して、彼女を縛り付けていた。
 

 決して派手でも、恐怖を誘う作品でもないが、さまざまなタイプの死者と周りの人々との関係が、さらりと描かれながら、ドラマティックな興趣を見るものに与える。
死後の三年間に過ごした土地を再訪することでわかった夫の人となり、そんな夫に対する妻の静かなる愛を織り込んで、ホラー映画史的にも他に例を見ないユニークな幽霊譚となっている。

 湯本香樹実の同名小説(文春文庫)をもとに宇治田隆史が脚色し、黒沢清が監督。カンヌ映画祭の“ある視点”部門に出品され、日本人初の監督賞を受賞した。
優介に浅野忠信、瑞希に深津絵里、島影に小松正夫、農家の主人に柄本明が扮して堅実な演技を披露している。

北島明弘


長崎県佐世保市生まれ。大学ではジャーナリズムを専攻し、1974年から十五年間、映画雑誌「キネマ旬報」や映画書籍の編集に携わる。
大好きなSF、ミステリー関係の映画について、さまざまな雑誌や書籍に執筆。著書に「世界SF映画全史」(愛育社)、「世界ミステリー映画大全」(愛育社)、「アメリカ映画100年帝国」(近代映画社)、訳書に「フレッド・ジンネマン自伝」(キネマ旬報社)などがある。

『岸辺の旅』予告編

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