俳優 小松拓也の『中国電影事情』第三回 『レッドクロス~女たちの赤紙~』中国ロケより - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
「レッドクロス~女たちの赤紙~」出演しました!
毎回中国の映画に関することをテーマに綴っているこちらのコラム。
今回は番外編は、来月8月1日、2日の21時より二夜連続で全国TBS系列にてオンエア予定の、スペシャルドラマ「レッドクロス~女たちの赤紙~」について紹介したい。
主演の松嶋菜々子さんをはじめ、西島秀俊さんや笑福亭鶴瓶さん、山﨑努さんなどキャスト陣は超豪華!
私はその中で中国共産党の幹部である王江明役として物語後半から出演している。
以下はドラマオフィシャルHPからの引用になるがストーリーのあらすじだ。
「今から70年前、自らの信念で戦時召集状、いわゆる「赤紙」を受け取り、戦地に赴く女性たちがいた。
第二次世界大戦中、「従軍看護婦」として3万5千人余りの女性が戦地に赴き、1,120人が殉職。
彼女たちは戦地で命を救う仕事に崇高な理想を持って男たちと肩を並べて働き、今や当たり前の“女性の社会進出"の先駆け的存在でもあった。
しかし敗戦の色が濃くなるにつれ、大きく狂わされる運命。戦後も続く過酷な試練。逆境にあっても博愛の精神を持ち続け、生きることの尊さを信じ続けた女性たち──。
ドラマでは、戦争で家族と別れ人生を翻弄されながらも「博愛」の精神、そして家族への愛を貫いた天野希代という1人の女性の生き様を、満州事変から第二次世界大戦、朝鮮戦争の時代にわたって描く。
ロケでの小松拓也
約2ヶ月に渡って撮影が進められてきた本作品は半分を日本で、残りの半分を中国でロケする中行われてきた。
今回のコラムではドラマの紹介と共に中国での撮影の様子を紹介していきたい。
日本の常識が通用しない中国撮影の現場
中国での撮影は中国映画も多く撮られている北京や瀋陽のスタジオを使用し、そこでは昔ながらの町並みをそのままに再現したセットの中、撮影が行われた。
中国国内においては決して規模の大きなスタジオとは呼べない場所での撮影であったものの、それでもその敷地の広さや規模の大きさには日本人キャストやスタッフも感嘆の声を上げていたほどで、私自身も改めて今後の中国映画の更なる存在感の飛躍を想像せずにはいられなくなった。
スタジオだけでなく、中国の撮影では当然現地スタッフや地元俳優、エキストラなどを交えながら日本人、中国人が入り乱れて撮影が行われてきたのだが、日本人と中国人とでは仕事のやり方だけでなく、そもそも価値観や撮影現場でのマナーなど、様々な違いを抱えながら撮影に取り組まなければならない。
その為、日本の現場では起こり得ないような様々なハプニングも起こる。
中国国内で日本人が中国人と共作する際によく起こる現象としては、事前に押さえておいた現地の車やスタッフやキャストなどが時間になっても現れない。
使用許可を得ているはずのロケ先での撮影現場を訪れてみると、そこでは撮影が出来ないと公安に止められたり、使用時間を極端に縮めざるを得ない状況に追い込まれたりしてしまう、などの問題が恒常的に発生する。
今回のドラマ撮影でも数百人の中国人エキストラを起用してのシーン撮影がいくつかあったのだが、カメラや照明のセッティング時間などのちょっとした待ち時間が生じるとその度にスタッフにも伝えずに勝手に現場を離れて涼みに出かけたり、トイレに行ってしまうエキストラが続出して、ひどい場合だと全く現場にも戻って来ない人間もいたりするなど、その影響で何度も撮影が間延びしてしまうという現象が起きた。
主演の松嶋さんが過酷な暑さの中、エキストラ待ちをしなければならないという日本では到底起こりえないような場面も実際に何度かあったほどだ。
中国での仕事の経験が長い私にしてみればこういったハプニングはある意味日常茶飯事なので慣れっこではあるが、今回初めて中国人と仕事を共にした多くの日本人からしてみれば奇妙で大変な体験であったろう。
上記のような事象は日本においてはタブーであるし、良くないルール違反の典型と言えるだろう。だが、中国においてはあくまでそれがスタンダードなのだ。
もしこのコラムを読んでくれている方の中で今後中国と撮影を通して共作するような機会のある方がいらっしゃるならば、最初から「日本でのスタンダードは中国のスタンダードではない」という意識を持って臨まれることをお勧めしたい。
美しく、壮大な大絶景に圧倒される---
最後に宣伝も兼ねて私の視点から見たドラマの見どころを自身の体験から挙げさせて頂きたい。
ストーリーは間違いなく終戦70周年に相応しいスケールの大きな感動的かつ、意義深い作品である。その中では命の尊さや戦争の悲惨さを改めて再認識せざるを得なくなるだろう。
だが、今回はストーリーだけでなく映像美やロケーションにも注目をして観て頂ければより一層ドラマを楽しんでもらえる要素となる。
特に日本では見ることの出来ないような大草原が広がる内モンゴルで行われたロケでの壮大な景色は、出演している私自身もオンエアの映像を期待せずにいられないほど大絶景であった。
そういった光景の一部はドローンを使用して空上から撮影されたカットもあり、あの絶景がいったいどのような映像として収められ、そして編集されていくのだろう?と想像しただけで鳥肌が立つほどワクワクしてしまう。
そんな部分にも是非着目頂きながら8月1日、2日は是非「レッドクロス~女たちの赤紙~」をご覧頂ければ光栄です。
レッドクロス公式HP
小松拓也オフィシャルブログ
シネフィル連載陣にイケメン俳優も登場!小松拓也の『中国電影事情』スタートにあたって--- - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」をみて、国際俳優を目指すーー
はじめまして。
今日は私のことを、皆さんに自己紹介させてください。
私、小松拓也は20年近い時間を台湾、香港、中国といった、いわゆる中華圏で活動し、関わり続けてきている日本の俳優です。
私が初めて日本を飛び出し、台湾へと北京語の語学留学に向かったのは、高校を卒業したばかりの1996年3月のことでした。
留学のきっかけになったのは、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」でした。
「恋する惑星」のなかで、自由自在に日本語や英語、中国語などの多言語を使いこなす金城武の芝居に影響を受け、自分自身も言葉を巧みに操りながら演技の出来る、国際俳優になりたいと思ったからです。
©小松拓也-cinefil.asia
事務所の先輩、ビビアン・スーの協力で台湾留学
留学先に中国本土ではなく、台湾を選んだのは、所属している日本のプロダクションの先輩に、台湾出身のビビアン・スーがいたからでした。
台湾留学当初は、彼女の実家にホームステイをさせてもらいながら、北京語の勉強に勤しみました。
そうして少しずつ北京語を覚える傍ら、ビビアンの紹介などで、台湾芸能界での人脈も広がり、やがてはローカルテレビの情報番組でリポーターを務めるようになります。
その影響もあり、台湾留学を終えて日本へ帰国した後も、台湾から映画のオファーが来るなど、台湾との仕事の関わりが続くようになります。
全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリース
2003年には、全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリースする機会に恵まれ、自身にとっても新境地となる音楽活動を開始することになり、人口2000万人強の台湾において2万枚のセールスを記録します。
そのCDアルバムのプロモーションは、同じ中国語圏の香港やシンガポールなどでも行われ、活動する国や範囲を更に広げるきっかけとなりました。
©小松拓也-cinefil.asia
上海の東方衛視テレビ「加油!好男儿」で、約8万人の応募者の中から、トップ20入りーー
2007年には、上海の東方衛視テレビが主催する「加油!好男儿」という、毎回3時間半にも渡って生放送された、国民的人気テレビオーディション番組に出演をし、約8万人の応募者の中から唯一の日本人参加者として、番組終盤のトップ20に入るという、外国人番組参加者の中での最高位を収めます。
また、それがきっかけで現地の多くのファンや知名度を獲得し、その後は上海に拠点を移しながら、芸能活動を始めることになりました。
主な活動内容は、テレビ番組や雑誌、イベント出演、CDリリースや映画、ドラマ出演、音楽番組のMCや数社の企業イメージキャラクターを務めるなど、広範囲に及ぶものでした。
©小松拓也-cinefil.asia
中国から、ふたたび日本へーー
そうして順風満帆に活動をしていた、中国での芸能活動でしたが、2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに、全ての仕事がストップし、また決まっていた仕事も、全てキャンセルされることになってしまいました。
当時は日本人がテレビ出演するなどのメディアへの露出が禁じられるようになり、突然、中国国内での一切の活動が適わなくなってしまったのです。
それがきっかけで、翌年の2013年からは日本に帰国し、再び日本での芸能活動も始めるようになりました。
そして、今夏、2015年の夏、TBSで2夜連続放送される、物語の舞台がほとんど中国という戦後70周年スペシャルドラマに、中国人役として抜擢されたことは、私にとって大変意義深いことです。(タイトルなどは、情報解禁後にお知らせします)
このドラマをきっかけに、少しでも多くの日本の皆さんに歴史の再認識、戦争や争いごとの罪深さを感じ取ってもらえたらと望んでやみません。
2012年秋以降、日本人のテレビ出演などが非常に限定的に規制されていた中国でしたが、最近ではまた少しずつ、その交流が盛んになってきています。
中国の映画産業は今が絶頂期を迎え、総制作費100億円を超えるような、ハリウッドばりの超大作も近年では珍しくありませんし、ハリウッドをはじめ、他国との合作映画や外国人俳優を多く起用した作品も増えつつあります。
日本人俳優も、当たり前のように中国映画に出演するようになる。
そんな時代も、決して遠くないように感じます。
中華圏の芸能界と20年近くに渡って交流をし、その半分近くの時間を現地に居住し、生で触れ合ってきた私だからこそ、これから、このコラムで発信出来る情報があると考えています。
是非楽しみにしていてください。
小松拓也
cinefil.tokyo
俳優 小松拓也の中国電影事情 第二回「中国の映画館の今---」 - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
2015年中国の映画館事情
前回のコラムでは中国の映画館が近年急激に増加中だということを紹介をしたが、今回は中国の映画館が現在どのような雰囲気であるのか?それを紹介します。
若い子達を中心に---
日本で言うシネコンスタイルの映画館が急増しています。いわゆる、ショッピングセンターやデパートなどと隣接。映画館の基本的な構造は日本とさほど大差がなく、場内にはチケット売り場やフードコーナーが設けられ、日本でもお馴染みのポップコーンは中国でも日本と同様に映画をより楽しむためのオプションとして中国人に親しまれている。
ちなみにポップコーンの価格は取材した映画館では32元(約640円)であった。
その他、コーラやオレンジジュースなどのソフトドリンクはおよそ20元(約400円)前後で販売されているほか、中国でポピュラーなスイーツである红豆双皮奶(小豆入りの牛乳プリンのようなもの)や杨枝甘露(マンゴーの果肉入りココナッツミルク)といった中国オリジナルスイーツの販売もされている点は日本の映画館とは異なる点だろう。ちなみに価格はそれぞれ20元(約400円)と18元(約360円)。
参考までにコンビニなどで売られている中国国産のソフトドリンクは3~6元(約60~120円)前後のものが主流となって流通している。
ポップコーンスタンド
今回取材で訪れた映画館でのチケット価格(劇場によりチケット代は多少誤差がある)は安いもので50元(約1000円)、一番高い3D専用の劇場では120元(約2400円)だったので、もしチケット代と合わせて場内の飲食を楽しむ場合は多くの中国人にとって決して安い出費ではなくなるはずだ。
現在中国では急激な映画ブームに支えられて劇場数が増え続けている実態が顕著であるが、中国人の大学新卒時のサラリーマン平均月収が4万円前後であること、更に映画館を訪れる割り合いの多くを若いカップルが占めることを考慮すると、決して安くはない映画館での映画鑑賞や飲食などのデートにステータスを感じている若者が相当数いるということの裏づけとも言える。
ちなみに取材した映画館内にはUFOキャッチャーや電動マッサージ器なども配備され、映画の待ち時間にくつろぐ事の出来る娯楽スペースも確保されていた。
急激な経済発展に伴い、質の高いサービスを提供する飲食店なども増加傾向にある中国であるが、その余波は映画館のような娯楽施設にまで幅を広げているようだ。
マッサージチェアー
UFOキャッチャー
ちなみに取材した映画館内にはUFOキャッチャーや電動マッサージ器なども配備され、映画の待ち時間にくつろぐ事の出来る娯楽スペースも確保されていた。
急激な経済発展に伴い、質の高いサービスを提供する飲食店なども増加傾向にある中国であるが、その余波は映画館のような娯楽施設にまで幅を広げているようだ。
話は変わるが、今回訪れた映画館には至るところにドラえもんのポスターや人形が設置されていた。
それもそのはずで昨年日本で公開された「STAND BY ME ドラえもん」が中国でも今年の5月より公開をスタートし、現在大ヒットを記録しているという。
劇場を訪れていたカップル数組に何の映画を観に来ているのかと聞いてみたところ、「ドラえもん」と答えたカップルも多く、ドラえもん人気は中国でも非常に根強いものがあるのだということを筆者自身も再認識させられた。
中国でも大人気のドラえもん
日本が尖閣諸島を国有化した2012年からは中国での日本映画放映が禁止され続けていたので、同作品がその壁を打ち破り3年振りに中国で放映されることとなった作品であるという点を踏まえ、同作品の中国でのヒットが日本と中国の友好関係に更なる弾みをつけてくれることを個人的に大いに期待したい。
今後中国で映画館を訪れる機会のある方がいるようならば、その時は是非ポップコーンではなく、中国スイーツを片手に---日本で味わう映画鑑賞とは一味違った映画鑑賞を味わってみてはいかがだろうか?(笑)
中国でも活躍の小松拓也とは---
シネフィル連載陣にイケメン俳優も登場!小松拓也の『中国電影事情』スタートにあたって--- - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」をみて、国際俳優を目指すーー
はじめまして。
今日は私のことを、皆さんに自己紹介させてください。
私、小松拓也は20年近い時間を台湾、香港、中国といった、いわゆる中華圏で活動し、関わり続けてきている日本の俳優です。
私が初めて日本を飛び出し、台湾へと北京語の語学留学に向かったのは、高校を卒業したばかりの1996年3月のことでした。
留学のきっかけになったのは、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」でした。
「恋する惑星」のなかで、自由自在に日本語や英語、中国語などの多言語を使いこなす金城武の芝居に影響を受け、自分自身も言葉を巧みに操りながら演技の出来る、国際俳優になりたいと思ったからです。
©小松拓也-cinefil.asia
事務所の先輩、ビビアン・スーの協力で台湾留学
留学先に中国本土ではなく、台湾を選んだのは、所属している日本のプロダクションの先輩に、台湾出身のビビアン・スーがいたからでした。
台湾留学当初は、彼女の実家にホームステイをさせてもらいながら、北京語の勉強に勤しみました。
そうして少しずつ北京語を覚える傍ら、ビビアンの紹介などで、台湾芸能界での人脈も広がり、やがてはローカルテレビの情報番組でリポーターを務めるようになります。
その影響もあり、台湾留学を終えて日本へ帰国した後も、台湾から映画のオファーが来るなど、台湾との仕事の関わりが続くようになります。
全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリース
2003年には、全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリースする機会に恵まれ、自身にとっても新境地となる音楽活動を開始することになり、人口2000万人強の台湾において2万枚のセールスを記録します。
そのCDアルバムのプロモーションは、同じ中国語圏の香港やシンガポールなどでも行われ、活動する国や範囲を更に広げるきっかけとなりました。
©小松拓也-cinefil.asia
上海の東方衛視テレビ「加油!好男儿」で、約8万人の応募者の中から、トップ20入りーー
2007年には、上海の東方衛視テレビが主催する「加油!好男儿」という、毎回3時間半にも渡って生放送された、国民的人気テレビオーディション番組に出演をし、約8万人の応募者の中から唯一の日本人参加者として、番組終盤のトップ20に入るという、外国人番組参加者の中での最高位を収めます。
また、それがきっかけで現地の多くのファンや知名度を獲得し、その後は上海に拠点を移しながら、芸能活動を始めることになりました。
主な活動内容は、テレビ番組や雑誌、イベント出演、CDリリースや映画、ドラマ出演、音楽番組のMCや数社の企業イメージキャラクターを務めるなど、広範囲に及ぶものでした。
©小松拓也-cinefil.asia
中国から、ふたたび日本へーー
そうして順風満帆に活動をしていた、中国での芸能活動でしたが、2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに、全ての仕事がストップし、また決まっていた仕事も、全てキャンセルされることになってしまいました。
当時は日本人がテレビ出演するなどのメディアへの露出が禁じられるようになり、突然、中国国内での一切の活動が適わなくなってしまったのです。
それがきっかけで、翌年の2013年からは日本に帰国し、再び日本での芸能活動も始めるようになりました。
そして、今夏、2015年の夏、TBSで2夜連続放送される、物語の舞台がほとんど中国という戦後70周年スペシャルドラマに、中国人役として抜擢されたことは、私にとって大変意義深いことです。(タイトルなどは、情報解禁後にお知らせします)
このドラマをきっかけに、少しでも多くの日本の皆さんに歴史の再認識、戦争や争いごとの罪深さを感じ取ってもらえたらと望んでやみません。
2012年秋以降、日本人のテレビ出演などが非常に限定的に規制されていた中国でしたが、最近ではまた少しずつ、その交流が盛んになってきています。
中国の映画産業は今が絶頂期を迎え、総制作費100億円を超えるような、ハリウッドばりの超大作も近年では珍しくありませんし、ハリウッドをはじめ、他国との合作映画や外国人俳優を多く起用した作品も増えつつあります。
日本人俳優も、当たり前のように中国映画に出演するようになる。
そんな時代も、決して遠くないように感じます。
中華圏の芸能界と20年近くに渡って交流をし、その半分近くの時間を現地に居住し、生で触れ合ってきた私だからこそ、これから、このコラムで発信出来る情報があると考えています。
是非楽しみにしていてください。
小松拓也
cinefil.tokyo
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俳優 小松拓也の中国電影事情 第一回 空前の映画ブームで一年で5000も増えたスクリーン :シネフィル新連載 - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
今の中国映画事情ってこんなに!
大卒の平均初任給が、4万円前後と言われている中国。
その中で、約1500円~2000円する映画館のチケットは決して安いとは言えないし、一部の富裕層のみの嗜みだと、日本人ならば考えてしまうだろう。
小松拓也 Wuxi Studiosにて
空前のブームの映画鑑賞!映画館は昨年だけで957館増加!
だが中国で映画鑑賞は、もはや空前のブームであるし、映画館へ足を運べば学生などの若い男女のカップルが、大勢デートで訪れている姿を簡単に目撃することも出来る。
2003年時に全国約16000前後だった劇場数は、この12年間で約19000にまでその数を増やし、特筆すべき点は、この12年間で約3000前後劇場数が増加した中で、そのうちの約3分の1を占める957もの劇場が、2014年の1年間だけで新設されたということだ。
現在でもなお、新たな映画館建設が全国至るところで進められており、この数年間の国内映画需要が、軒並み高まっているという点だ。
昨年1年間だけで、新設されたスクリーン数は、5077にも及ぶ。
日本全国でのスクリーン数が3364(2014年12月末時点)だというのだから、この数値がいかに凄いものかは、容易に想像出来るだろう。
Wuxi Studiosスタジオの入口©cinefil.tokyo
国が支える、映画の撮影。
撮影所はディズニーランドとシーを合わせた3倍の広さ
映画需要が高まっているのは、なにも映画館の劇場数に限られたことではない。
超大型の映画撮影所や映画村なども、新たに増えているのだ。
そのうちの1つが、私も映画村オープン式典にゲストとして参加したことのある、「無錫国家数字電影産業園」だ。
ここは2013年6月にオープンしたばかりの巨大な映画村で、敷地内の撮影所で撮影を行えるのはもちろんのこと、その他にCG制作や撮影の編集作業として、今後大きな役割を担うスタジオとして期待されている新スポットだ。
このスタジオを使用して後期制作された作品には、「キャプテンアメリカ2」や「ウィンターソルジャー」、「ミュータントタートルズ」などの、ハリウッド作品も含まれる。
中国国内には、元々アジア最大級と言われている横店影視城をはじめ、長影世紀城や上海影視楽園など、日本の撮影所とは比べ物にならないほどの、広大な敷地とセットを擁した撮影所が、数多く存在する。
横店影視城内には「秦王宮」や「清明上河図」「香港街」」など、幾千年の歴史をまたぐ13のエリアがあり、総面積(資料によりばらつきがあるので正確な広さは不明)は、ディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積の、3倍ほどの広さとも言われている。
こういったハード面を存分に活かした映画やドラマの映像制作は、年々その数を増やしているし、近年中国は国策として、映画などの文化産業に力を入れていることもあり、国内の高まる映画需要に合わせて、大作や海外との合作作品も増加の一途にある。
中国がアジアのハリウッドと呼ばれる日も、もしかしたらそう遠くはないのかもしれない。
©cinefil.tokyo
中国でも活躍の小松拓也とは---
シネフィル連載陣にイケメン俳優も登場!小松拓也の『中国電影事情』スタートにあたって--- - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」をみて、国際俳優を目指すーー
はじめまして。
今日は私のことを、皆さんに自己紹介させてください。
私、小松拓也は20年近い時間を台湾、香港、中国といった、いわゆる中華圏で活動し、関わり続けてきている日本の俳優です。
私が初めて日本を飛び出し、台湾へと北京語の語学留学に向かったのは、高校を卒業したばかりの1996年3月のことでした。
留学のきっかけになったのは、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」でした。
「恋する惑星」のなかで、自由自在に日本語や英語、中国語などの多言語を使いこなす金城武の芝居に影響を受け、自分自身も言葉を巧みに操りながら演技の出来る、国際俳優になりたいと思ったからです。
©小松拓也-cinefil.asia
事務所の先輩、ビビアン・スーの協力で台湾留学
留学先に中国本土ではなく、台湾を選んだのは、所属している日本のプロダクションの先輩に、台湾出身のビビアン・スーがいたからでした。
台湾留学当初は、彼女の実家にホームステイをさせてもらいながら、北京語の勉強に勤しみました。
そうして少しずつ北京語を覚える傍ら、ビビアンの紹介などで、台湾芸能界での人脈も広がり、やがてはローカルテレビの情報番組でリポーターを務めるようになります。
その影響もあり、台湾留学を終えて日本へ帰国した後も、台湾から映画のオファーが来るなど、台湾との仕事の関わりが続くようになります。
全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリース
2003年には、全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリースする機会に恵まれ、自身にとっても新境地となる音楽活動を開始することになり、人口2000万人強の台湾において2万枚のセールスを記録します。
そのCDアルバムのプロモーションは、同じ中国語圏の香港やシンガポールなどでも行われ、活動する国や範囲を更に広げるきっかけとなりました。
©小松拓也-cinefil.asia
上海の東方衛視テレビ「加油!好男儿」で、約8万人の応募者の中から、トップ20入りーー
2007年には、上海の東方衛視テレビが主催する「加油!好男儿」という、毎回3時間半にも渡って生放送された、国民的人気テレビオーディション番組に出演をし、約8万人の応募者の中から唯一の日本人参加者として、番組終盤のトップ20に入るという、外国人番組参加者の中での最高位を収めます。
また、それがきっかけで現地の多くのファンや知名度を獲得し、その後は上海に拠点を移しながら、芸能活動を始めることになりました。
主な活動内容は、テレビ番組や雑誌、イベント出演、CDリリースや映画、ドラマ出演、音楽番組のMCや数社の企業イメージキャラクターを務めるなど、広範囲に及ぶものでした。
©小松拓也-cinefil.asia
中国から、ふたたび日本へーー
そうして順風満帆に活動をしていた、中国での芸能活動でしたが、2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに、全ての仕事がストップし、また決まっていた仕事も、全てキャンセルされることになってしまいました。
当時は日本人がテレビ出演するなどのメディアへの露出が禁じられるようになり、突然、中国国内での一切の活動が適わなくなってしまったのです。
それがきっかけで、翌年の2013年からは日本に帰国し、再び日本での芸能活動も始めるようになりました。
そして、今夏、2015年の夏、TBSで2夜連続放送される、物語の舞台がほとんど中国という戦後70周年スペシャルドラマに、中国人役として抜擢されたことは、私にとって大変意義深いことです。(タイトルなどは、情報解禁後にお知らせします)
このドラマをきっかけに、少しでも多くの日本の皆さんに歴史の再認識、戦争や争いごとの罪深さを感じ取ってもらえたらと望んでやみません。
2012年秋以降、日本人のテレビ出演などが非常に限定的に規制されていた中国でしたが、最近ではまた少しずつ、その交流が盛んになってきています。
中国の映画産業は今が絶頂期を迎え、総制作費100億円を超えるような、ハリウッドばりの超大作も近年では珍しくありませんし、ハリウッドをはじめ、他国との合作映画や外国人俳優を多く起用した作品も増えつつあります。
日本人俳優も、当たり前のように中国映画に出演するようになる。
そんな時代も、決して遠くないように感じます。
中華圏の芸能界と20年近くに渡って交流をし、その半分近くの時間を現地に居住し、生で触れ合ってきた私だからこそ、これから、このコラムで発信出来る情報があると考えています。
是非楽しみにしていてください。
小松拓也
cinefil.tokyo
cinefil.tokyo
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