映画監督・旦 雄二の ☆ それはEIGAな! Cool! It's a movie! ♯12(通算 第31回) 映画『戦場ぬ止み』を鑑賞して-cinefil.tokyo

国は民を守らない。国が守るのは、国そのもの、国自身にほかならない。国家という冷厳非情なシステムが宿命的に抱えるこの陥穽を、わたしたちはここであらためて目のあたりにする。

映画『戦場ぬ止み』(いくさばぬ とぅどぅみ)。

いくさばぬ とぅどぅみ(戦場ぬ止み)とは、「沖縄が戦場であることに終止符を打とう」のことだという。この映画は、沖縄・普天間基地の代替地とされ国から一方的に切り捨てられて以来、17年間にもおよぶ苦難を強いられてきた辺野古の人々の闘いの、これまでと、そして今を描いている。

山形国際ドキュメンタリー映画祭・日本映画監督協会賞に輝いた三上智恵監督(映画『標的の村』にて)の、2年ぶりとなる、新作にして大問題作である。劇場デビュー映画となった前作をはるかに上回る、文句なしの充実度、完成度だ。今年上半期のきわめて重要かつ優れた作品という点でも、時事的緊急性の観点からも、これは、いま最もリアルタイムで観ておかなければならない映画といっていいだろう。

冒頭。大浦湾の、輝くように美しく、陽光が隅々まで射し込む透明な海底。その楽園に棲む『歩くサンゴ』などの稀少な生き物たち。それだけでも貴重な観察記録映像となっているその情景から一転、キャメラは、海上の、そして地上の、この楽園を守ろうとする地元民たちへの海上保安庁や沖縄県警のあからさまな暴力をまざまざととらえる。辺野古が直面している現実を象徴的に映し出す秀逸なオープニングである。

登場する辺野古の人々の、なんと素敵なことか。まるで劇映画でキャラクターを見事に描き分けているときのように、一人ひとりがじつに個性的で、魅力的で、生き生きしていて、人間味溢れている。そんな人たちが、それぞれの暮らしに根差しながら、連帯して、国家による理不尽な暴力に毅然として立ち向かっている。

この人たちには、なんの罪もないのだ。普通に暮らしているだけなのに、国家がそれを許さない。そのことに対して異議を申し立てているだけなのである。安倍首相にはこの映画をぜひ観ていただきたい。いや、国の側の当事者として、彼は、かならずこれを観るべきだろう。

文子婆(ふみこばあ)という人物が、とくに素晴らしい。「パンツ以外(裸になって)見せようか?」と笑ってみせるその体の、1945年4月、沖縄上陸米軍火炎放射によって受けたケロイドと、彼女が語る言葉の数々は、沖縄にあっては、戦争は、戦後は、まだ終わってはいない、沖縄戦のあのときと今は地続きで直結しているのだということを、なにものにもかえがたい説得力をもって、わたしたち観る者に、強く思い知らせてくれる。新聞に目を通し、安倍首相の言動にふれて、ぽつりと「ああ、また(戦争を)やろうとしてるんだね」とつぶやく文子婆。これを、国民の、市民の、市井の人々の、ごく普通の実感というのである。

17才の青年が、辺野古の現実について尋ねられ、「重いね。でも、放っとけない」と答える。双子の少女たちが、闘争に参加するのは怖くないかと訊かれて、「笑っていれば怖くない」と返す。こんな若者が、わたしたちの身のまわりにいるだろうか? 闘いは人を成長させる。そのことを彼らは、身をもって、わたしたちに教えてくれている。青年たちが、子どもたちが、みんな、立派で、気高く、美しく、素晴らしい。

この映画が優れているのは、そうした、いわゆる「反対派」だけを描くのではなく、闘いからは距離を置いている人々、あるいは対立する立場にある人々にも、じっくりと向き合い、話を聞いている点である。

立ち退きに応じ、補償を受け、「心が痛いよ。もう撮りにこないでくれ」と肩を落とす人々。生きるための選択だった、米軍と共存するほか道はなかったと語る、Aサイン・バーのママや飲食組合長、そして、米軍施設で働く軍労働者たち。「俺は(闘いは)やらない」と突っ張る海人(うみんちゅ。漁師)と、そんな彼のことを「賛成・反対で海人をくくらないでやってくれ」と気遣う、いわゆる「反対派」の側の、おなじ海人仲間。彼らの言葉は、いずれも重い。立場は違っても、みんな、それぞれの苦渋の判断を経て、それでもなおかつ、つらく、いまを生きている。わたしたち部外者が、「この人は、いわゆる『賛成派』だから」などと簡単に切り捨て、いわゆる「反対派」の人々だけに目を向ける、そのようなことはけっしてできない重みが、ここにはある。

強制執行を伝えにやってくる役人たち、強行工事を実行する現場の業者たち、警備会社ALSOKから派遣されている警備員たち、そして、大量に動員されている海保や警察官たちさえも、その大半は、いわゆる「反対派」とおなじ沖縄県民なのである。彼らもきっと内心ではたまらなくつらいことだろう。観る者にそう思わせる力が、この映画にはある。それはすなわち、ひとしく苦難を受け続けてきた沖縄県民全体に分け隔てなく向ける、三上智恵監督の、優しいまなざしの力なのだ。

映画はさらに、いくつかの、おどろくべき光景をとらえる。

夜の米軍基地前。フェンスにキャンドルを次々にそっと灯していく『キャンドル闘争』をする父と幼い娘たちに、歩哨の若いアメリカ兵が、穏やかにその撤去を促す。そして、父と娘たちに、はにかんだような笑顔を向けたまま、そのキャンドルについて、流暢な日本語で「き・れ・い・ね」と、やさしくつぶやくのだ。そばに撮影クルーがいて自分が記録されていると分かっているのにである。

クライマックス。年明けを迎えようとしている現地。沖縄県知事選挙圧勝に沸く人々のところに、あれほど「俺は(闘いは)やらない」と突っ張り、まわりからは距離を置いてきた海人、中村さんが、大量の刺身の差し入れを手に、どこか照れくさそうにやってくる。まるで、やんちゃ坊主が、「悪かったよ。仲直りしようぜ」と、照れ隠しに少々不貞腐れながらやってくるときのように。「な、俺は、ただの暴れん坊じゃないんだ」と、いわゆる「反対派」の旧友たちに挨拶し、さらに、年明けの抱負を訊かれて、中村さんは、人々とキャメラの前で、はっきりと、こう宣言するのだ。「抱負? じゃ、言うよ。辺野古の海を守ろう!」

エンディング直前。人々と海保のメンバーが、広い海上で、双方のボートが断続的に激突する熾烈な闘いの合間に、一転して、じつは、ごく普通の雑談、のどかな会話を交わしている日常の光景を、キャメラはさりげなくとらえる。そうなのだ。おなじ沖縄県民なのだ。そういう関係なのだ。ここでもまた、至近距離の別ボートから自分たちを撮影しているクルーの存在に対して、海保はまったく警戒心を解いている。まるで無防備なのである。

さらに。そんな海保に向かって、人々は穏やかに呼びかける。「あとは(闘いは)あなたがたが、やってよ」。すると海保の一人が、おなじように穏やかに、そして、これもまた驚いたことに、あたかも「やりたくてもできないよ」といいたげな口調で、「俺らは、やれないよ。そっちでやってくれ」と、やんわり答えてみせるのだ。海保に「ありがとう」と返す人々。キャメラは、その海保を同僚が、さすがに慌てたように制止するわずかな瞬間までをも、ぎりぎりとらえている。

以上のこれらもまた、すべて、三上智恵監督が、沖縄に、辺野古に、現場に見事に溶け込んでいる、そのことの力によるものなのだ。

映画は、予想される今後の困難にもかかわらず、持ち前のユーモアと楽天性でそれに立ち向かう辺野古の人々と町の、なんともいえない多幸感で終わる。この突き抜けた、祝祭的ともいえる多幸感は、沖縄の闘いだけが持ちうるものである。彼らは、いつかきっと、最後には必ず勝利することだろう。映画『戦場ぬ止み』は、そのことを教えてくれている。

(7月23日 追記 : この稿は先行上映版をもとにしています。現在の本上映版ではエンディングが変わっているとのことです。そのことを補足いたします)

旦 雄二 DAN Yuji
映画監督
〇映画『少年』『友よ、また逢おう』
〇CM『出光』『DHC』『ラーメンアイス』『富士通』『NEC』『大阪ガス』『河合塾』『カレーアイス』『飯田のいい家』『sanaru 佐鳴学院』『タケダ 武田薬品』『ソルマック』『ミニストップ』
〇ドキュメンタリー『寺山修司は生きている』『烈 〜津軽三味線師・高橋竹山』
〇ゲーム『バーチャルカメラマン』『バーチャフォトスタジオ』
〇アイドル・プロジェクト『レモンエンジェル』
〇脚本『安藤組外伝 群狼の系譜』細野辰興監督版
など、ほか多数

〇映画『戦場ぬ止み』は、7月18日(土)から、東京のポレポレ東中野、神奈川の横浜シネマ・ジャック&ベティ、大阪の第七藝術劇場にて、絶賛公開中です。

画像は 公式サイトより