AV界の巨匠の一人と呼ばれるTOHJIROをあなたはご存知だろうか?
この分野では数々の話題作を生み続けてきたヒットメーカー。実はそんな、彼の監督人生は、伊藤智生として、1986年に完成したこの長編映画『ゴンドラ』からスタートしている。
当時、バブルの時代。
時代の喪失感を予言した伊藤智生監督が『ゴンドラ』を発表する。
しかし、なかなか、劇場公開することができない。その反面、詩人の谷川俊太郎さんをはじめ、多くの文化人からも称賛されると同時に、海外の映画祭でも多く出品を重ね、賞を受賞する作品となっていった。
美しい映像と幻想的な色彩に透明なメッセージを封印して、ひとりの少女の“心の対話の物語”を刻みこんだこの作品。
伝説となってしまった映画『ゴンドラ』が、完成から30年を経た今、リバイバル上映が決定し蘇ろうとしている!
古いけれど新しい・・・大事な忘れ物を思い出させてくれるこの映画を、ますます先が見えにくくなったこの現代に彷徨い、浮遊する、たくさんの“孤立する魂”に、今、あらためて届けたい。
1987年 OCIC日本カトリック映画賞 大賞受賞
1988年 オーストリア・ブルーデンツ国際映画祭 審査員特別賞受賞
1987年 トロント国際映画祭正式招待
1987年 ウィーン・シネアジア映画祭正式招待
1987年 ハワイ国際映画祭正式出品
1987年 香港 第2回ジャパン・インディペンデント・フィルムフェスティバル正式招待
1987年 第1回清水映画祭正式招待
1987年 第2回東京立川映画祭 特別奨励賞(プロデューサー個人賞)受賞
1987年 第9回ヨコハマ映画祭 新人監督賞・撮影賞受賞 1988年 インド国際映画祭正式出品
1988年 ニュージーランド現代日本映画祭参加
1988年 ポルトガル青少年国際映画祭正式出品
1988年 メルボルン映画祭正式招待
1989年 東京国際映画祭正式招待
80年代公開時
話題性に頼ることなく、映画が映画でしか成し得ない本当の独創性(オリジナリティー)にこだわって、人々にいつまでも愛される本当の映画を作ろう! と集まった当時20代の若者たちの参加によって、1985年夏、映画『ゴンドラ』はクランク・インした。
しかし、1986年春、配給公開も未決定のまま誕生したこの流浪の新作には、映画館のスクリーンの扉が固く閉ざされていた。
海外の映画祭で、先に高い評価を受けた『ゴンドラ』は、作品と観客が出逢うことのできる本当のスクリーンをもとめて、1987年には、渋谷・東邦生命ホールに長蛇の列を作った先行封切りで、国内にも静かな大騒ぎを起こし、ついに1988年春、テアトル新宿にて劇場公開を果たした。
リバイバル上映に寄せての監督メッセージ
「謝罪とけじめ」
伊藤智生
今から29年前、完成した「ゴンドラ」が公開する劇場も決まらずに彷徨っていた時に、海外の映画際の扉を開いてくださったのは川喜多記念映画文化財団の川喜多かしこさんだった。
「監督、どうにも劇場決まらないなら、ホール借りて、先行ロードやりなさいよ。素晴らしい映画なんだから、きっとお客さん来るわよ」
このかしこさんのお言葉にどれだけ自主上映する勇気をいただいた事か!! あの、渋谷・東邦生命ホールでの先行ロードがなければ、テアトル新宿の公開もなかった。それから何度か財団でお会いするたびに、かしこさんは「早く伊藤監督の次回作観たいわ。」そう言って下さった。それから月日が流れ、俺は何の約束も果たせないまま川喜多さんは故人になられてしまった。
ヴェローナで開かれていた日本映画の映画祭に招かれた時、あのフランスの評論家でカンヌの審査委員長などやられていたマルセル・マルタンさんも「ゴンドラ」を観てくださった。
上映後、ディナーに招待してくれて、奥様が日本人だったので通訳してくれて、マルタンさんとはかなり長い時間、映画の事話すことが出来た。
マルタンさんはものすごく「ゴンドラ」を気に入ってくれて、最後に「君の2本目の映画をカンヌ映画祭で待ってるよ」と言われ、約束して別れた。今でも、握手した時のマルタンさんの優しい笑顔、忘れられない。
そんなマルタンさんが今年の6月に89才で亡くなられた。
ゴンドラの劇場公開の後、俺の2本目の映画を期待して待ってくれてる人がいるにもかかわらず、あれから30年が過ぎたのに、俺はまだ2本目の映画を撮れていない!!
そして一昨年、池袋の文芸坐で「森崎東特集」をやった時、久しぶりに森崎監督とお会いした。
「君は何だかポルノの世界じゃ黒澤明だってな!! でも伊藤君!! 俺が生きているうちに2本目の映画見せろや!!」師匠の愛情がこもった言葉が、強烈に突き刺さった。
30年前に「ゴンドラ」の完成試写をイマジカでやった時に、誰よりも早く観てくれたのが森崎監督で、「傑作だ!! おめでとう」そう言ってくれた。
今回の28年ぶりの「ゴンドラ」リバイバル上映は、俺にとっては60年間の人生のケジメだと思う。
今、俺は30年ぶりに、新作を撮る覚悟が出来た。
by 伊藤智生(TOHJIRO)
監督プロフィール
<伊藤智生(TOHJIRO)プロフィール>
本名/伊藤裕一(ひろかず)〔監督名 伊藤智生(ちしょう)〕
監督 伊藤智生(TOHJIRO)
1956年、東京、六本木に生まれ育つ。区立城南中学在学中から映画監督を志し、明大付属中野高校夜間部在学中に、「働かせてくれ」と円谷プロ門前に座り込み、美術部で働かせてもらう。1974年4月、夜間部から普通部に転入。1975年3月、同校卒業。
1975年4月、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に第一期生として入学。
1976年~1977年、ATG・馬場プロ作品 森崎東監督「黒木太郎の愛と冒険」製作参加。伊藤は、森崎監督との脚本から参加し、そして自らをモチーフにした映画監督志望の青年役を自身で演じた。この作品で森崎監督は、ドラマの中にドキュメントをちりばめた“ドキュメラマ”という新機軸に挑戦した。この試みは、「ゴンドラ」にも静かに影響を与えている。
横浜放送映画専門学院を卒業後、数々のアルバイト、8mm習作制作を重ねる。
1979年7月、「ゴンドラ」のプロデューサー貞末麻哉子とともに、creative space OM(オム)を六本木に設立。12月、仲代達矢・隆巴主宰〈無名塾〉の公演「渋谷怪談」で演出助手。1980年、「ソルネス」で演出助手。1983年8月OMにて「駆込み訴え」演出。10月、再演。12月、六本木WAVE館オープニングイベントのためのイメージビデオ「ドアを開ければ」監督。
1984年、第一回監督作品『ゴンドラ』着手。1986年4月、完成。
国内での劇場公開の壁には阻まれたが、世界各地の映画祭では評価を得て、1987年10月、渋谷・東邦生命ホールを借りて特別先行上映を敢行。多くの良識ある観客の声援を得て、『ゴンドラ』は、完成より2年を経て1988年4月、テアトル新宿でロードショー公開を果たす。
1989年、外資系の会社からオファーがあり、2本目の映画のコンセプト作り、シナリオ、ロケハンティングで真冬の北海道の紋別に行く。流氷が来る街を舞台にし、親に棄てられ、祖父と暮らす聾唖の少年と、東京から来た踊れなくなったダンサーの女との歪んだ愛の形を描いた「冬の女 winter woman」のシナリオを作成するが、出資する会社との軋轢によりこの企画は空中分解する。この時つくづく「映画は自分の金で撮らないとダメだ!!スポンサーが付く、イコール口が出る」ことを伊藤は思い知る。
1989年、知り合いの紹介で初めてAVを撮る事になり、AV監督TOHJIROが誕生する。
AVの世界は、この時まだキャスティング権はなかったが、伊藤は自ら女優と面接して全て自分のやりたい企画で制作し、メーカーからは一切口出しがなかった。限られた予算だったが、とにかく実験的な事を含め、思うようにやりたい放題に撮りまくった。気がつくと「最初は食うため、ゴンドラで作った借金の返済のため」と思って始めたアダルトビデオの世界に、伊藤はどんどん夢中になっていった。
1997年、レンタル中心だったAVに、セルビデオという新しい流通が現れ、戦場をレンタルからセルビデオに移し、更に伊藤は暴れまくり、AV監督TOHJIROの名を業界で不動のものにした。
2001年、自社AVメーカー「Dogma (ドグマ)」を設立。以後、15年間、自ら精力的に作品を作り続けながら、次世代のAV監督を育ててきた。
2016年、還暦を迎えた。丁度、ゴンドラから30年・・・ついに、2本目となる本編(一般映画)を撮る決意を固め、「ゴンドラ」のデジタルリマスター化を、自らの覚悟の証とした。そんな矢先、今回のゴンドラリバイバル上映のチャンスを頂いた。
ストーリー
高層ビル街の上空で、ゴンドラに乗って黙々と窓を拭く青年。
窓ガラスの向こう側は彼にとって音のない別世界。
眼下にはミニチュアールな都会の光景
―ノイズが波の音に聴こえ、彼の目には海の幻が重なる ―。
11歳のかがりは、母・れい子とふたりでマンション暮らし。
母は音楽家の夫と離婚し、夜の仕事で忙しい。
かがりの晩ごはんは個食。
彼女のひとり遊びの相手は、二羽の白い文鳥、
そして音叉の響きに耳を澄ますことだった。
―Aの音― その響きは、かがりの心を落ち着かせ、調律した。
ある日、鳥かごの文鳥が激しく争い、1羽が傷つく。
瀕死のチーコを両掌に抱きとり、
茫然自失として立ち尽すかがりを、
窓の外を降りてきた窓掃除の青年が目撃する・・・そして・・・
出演
上村佳子・界 健太(新人)
木内みどり・出門 英
佐々木すみ江・佐藤英夫
鈴木正幸・長谷川初範(友情出演)
奥西純子・木村吉邦
原案・脚本 伊藤智生 棗 耶子
撮影 瓜生敏彦
照明 渡辺 生
編集 掛須秀一
音楽 吉田 智
音響 松浦典良
効果 今野康之
録音 大塚晴寿
助監督 長村雅文 飯田譲治
ネガ編集 小野寺桂子
衣装 藤井 操
美術装置 張ケ谷 実
メイク 立川須美子
アニメーション制作 スタジオぎゃろっぷ
制作進行 四海 満 小宮 真
プロデューサー 貞末麻哉子
監督 伊藤智生(TOHJIRO)
製作OMプロダクション 1986年制作 公開年度1988年
オリジナル・フィルム=35mm・スタンダード・イーストマンカラー・劇映画・112分
デジタル・リマスター版 制作・配給 Teamゴンドラ