「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」明石海人

海の底のような深く青い闇の中に、ほのかに浮かび上がる赤と肌色の、暖色のすっと伸びる長身。

Oh...

思い浮かぶ言葉はこれしかない。「神々しい」「世にこんなに美しい空間が」などと、いまさら手垢のついた美辞麗句を連ねたところで、この展示室に入った時の感情を言い表すには陳腐だ。

国宝 観音菩薩立像「百済観音」 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺

正面からの姿は縦のラインを強調して一見直線的で、極端に縦長の二等辺三角形の安定したシルエットからは、なぜか曲線的な揺らぎとゆらめきも感じ取れる。よく見れば胸や腹の膨らみはデリケートな曲線で慎ましく表現され、帯のウェストで微妙に締まり、丸みを帯びた肩の上に、すっきりした目鼻立ちに微かに笑みを浮かべる、凛としつつも優しげな顔。

この青い闇に浮かび上がる暖かい灯火のような穏やかなかがやきの前では、誰もが思わず日常・現世のトリビアルな不安や欲望、不満をつかの間にせよ忘れ去るに違いない。そうした日々の煩悶のいわば「煩悩」がこの場にいる間だけでもくだらないものと気づけるかも知れないし、より高次な精神状態への糸口を見出す人もいるかも知れない。

英語題「Oh! KOKUHO」が悪ふざけではなく大真面目なのは、このような「Oh!」、中世の英語で当時であれば神と認識された超越性になにかしら触れて思わずあげる声「Oh!」に倣ったという。そんな「Oh!」体験の超越性、あるいは「百済観音」として知られるこの法隆寺伝来の、飛鳥時代の観音菩薩立像が「教科書に載ってる国宝」の代表例なあまり、教科書で見た写真の記憶を確認して終わることになりかねない、そんな有名美術品の宿命を「超」えて無化する驚嘆と畏怖、言葉で表現し得る範疇を「超」えて心を揺さぶられる(「感動」などと手垢のついた定型句は使うまい)。

しかも「超」越した存在でありながら決して現実世界と隔絶しているわけではない。むしろこの宇宙が宇宙として存在する、その根源・深淵に触れるような・・・「美」とは本来、そのような感情を呼び起こす何かを、人類は遥か太古にそう呼び始めたのではないか?

美、芸術を「神の狂気」と論じたのはプラトンの『パイドロス』だったか。この世ならぬとも思える光景を目にした驚きと、畏怖、あるいは安らぎや落ち着きなど、直感することは人それぞれだろう。美を神や真理へ至るためのほとんど唯一の道であるとしたのはシモーヌ・ヴェイユだった。そんな「美」が眼前にある。いや、ただ目の前にあって見るだけではなく、我々はその空間の中に自らを発見する。

百済観音、あるいは天に向かって立ち上がる永遠の灯

「超 国宝 Oh! KOKUHO」という題名の発表以来「奈良博どうしたんだ」と訝しがられ「悪ふざけ」となじられることも少なくなかったそうだが、本気で大真面目だった野心的な狙いは、この最初の展示室で真っ先に実現している。見えた瞬間から、「百済観音」だと知識に照合して認識する隙も与えずに、まず「Oh!」なのだ。

画像2: 国宝 観音菩薩立像「百済観音」 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺

国宝 観音菩薩立像「百済観音」 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺

そして我々は夢遊病者のように、この闇の中の灯に引き寄せられる。

1350年以上前の、木造におがくずを混ぜた漆(乾漆)と彩色で仕上げた像は、表面の一部がかなりデリケートな状態のはずだ。それでも、保護・環境管理のためのガラスケースもない。いや、こんな言及も野暮に思えるが、とはいえこの「Oh!」体験のためには、透明なガラスでさえ観る者を隔ていたら、こんな感覚や感情は生まれ得なかっただろう。文字通り同じ空間を共有する、「百済観音」が顕現する海の底に我々が一緒にいると体感すること(とはいうものの表面素材の剥落のリスクもあって法隆寺にとって特別な決断、法隆寺の大宝蔵院・百済観音堂ではガラスケースの中だし今回はぜひ、とは言っておく)。

古代の仏堂は現代でも神社の本殿がそうであるように、滅多に人が入れる場所ではなかった。仏は外から仰ぎ祈るもので、後に外から風雨を避けて祈りを捧げる場所として礼堂(神社なら拝殿)が追加で建てられたりもして来た。江戸時代にこの像が置かれていた記録がある法隆寺の金堂も、拝観で入れるのは構造上の補強を兼ねて増築された裳階で、本来の金堂からは外になる。

だが一方で、法隆寺金堂の壁画などは、人が中に入って見て教えを学ばないと意味がないようにも思える。特別に身を清め、神聖で人の属する場ではない空間に籠るようなことも、あったのではないか?

この展覧会に出品されている「信貴山縁起絵巻」の「尼公巻」にも、東大寺大仏殿での参籠の場面がある。

画像: 国宝 信貴山縁起絵巻 尼公巻(部分)平安時代・12世紀 奈良・朝護孫子寺 展示期間:4月19日~5月18日 生き別れの弟の消息を訪ねる姉の尼が、東大寺の大仏殿に一晩籠って祈りを捧げ、大仏の夢のお告げを得る場面。聖武天皇の大仏と大仏殿は源平合戦の平家の南都焼き討ちで焼失したため、その以前に描かれたこの絵巻は元の大仏殿を描いた貴重な記録でもある。右の半開きの扉から四天王(多聞天?つまり毘沙門天?の下半身が見える)。

国宝 信貴山縁起絵巻 尼公巻(部分)平安時代・12世紀 奈良・朝護孫子寺 展示期間:4月19日~5月18日
生き別れの弟の消息を訪ねる姉の尼が、東大寺の大仏殿に一晩籠って祈りを捧げ、大仏の夢のお告げを得る場面。聖武天皇の大仏と大仏殿は源平合戦の平家の南都焼き討ちで焼失したため、その以前に描かれたこの絵巻は元の大仏殿を描いた貴重な記録でもある。右の半開きの扉から四天王(多聞天?つまり毘沙門天?の下半身が見える)。

普通の「美術鑑賞」、名品ぞろいの「国宝展」とはまったく違った何かを、この展覧会は目指している、それこそが「超 国宝」ということではないか?

百済観音と金堂四天王、台座に表象された岩山から見える古代の人々の祈り

「百済観音」と空間を共にできるのは特別な体験であり、それが海底を思わせる空間になっていることには、古代の人々が仏の空間に入った時に感じたであろう「Oh!」体験の「祈り」になるべく近い感覚を、現代の我々に呼び起こそうという博物館側の野心的な試みに思える。

画像: 展示風景。最初の部屋から百済観音を中心に、金堂の四天王のうち広目天・多聞天が観客を出迎える特別な空間

展示風景。最初の部屋から百済観音を中心に、金堂の四天王のうち広目天・多聞天が観客を出迎える特別な空間

左右に控えるのは法隆寺金堂の四天王のうち、須弥壇後方を護る多聞天・広目天だ。

通常の、東西南北の守護神としての四天王の配列とは左右が逆だ。「百済観音」は江戸時代より前の記録がない謎の仏像なのだが、その記録によれば「三国渡来」の「虚空蔵菩薩」とされたこの像は、南面する金堂の裏側、本尊・釈迦三尊の背後に、反対の北向きに安置されていた。つまり南を正面とした時の配列の左と右が、北向きの観音菩薩にとっては逆の、この左右の位置関係になる。

国宝 四天王立像 多聞天 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺
光背銘文の書き起こしと現代文の意訳が添えられている。こうした銘文をすべて書き起こして訳をつけているのもこの展覧会の特徴。なお多聞天は「毘沙門天」として単体で祀られ、聖徳太子は一説には毘沙門天の生まれ変わりとの信仰もある。

国宝 四天王立像 広目天 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺
本来は「すべてを目撃する者」である広目天は、古代には筆と書き留める巻物を持った記録者として造像されていた。東大寺戒壇院の奈良時代の四天王(国宝)の広目天も、筆と巻物を持つ。

広目天もまた「百済観音」と同様の二等辺三角形と丸みを帯びた撫で肩のシルエットが、すっきりと落ち着いた全体のフォルムを形成している。

四天王と法隆寺金堂の釈迦三尊、薬師如来には光背に銘文が彫られていて、釈迦三尊と四天王には作者名が含まれる。釈迦三尊には聖徳太子とその母、妃の一人が相次いで亡くなった直後に、釈迦如来を太子の等身大として造られたこと(つまり本尊が釈迦であると同時に太子でもあり、太子を釈迦の再来のみなす信仰が病没の直後に成立していた)が銘記されているのは、仏師の名・鞍作止利も含めてよく知られているが、四天王の光背銘文は作者の名前で、多聞天は「薬師徳保」、広目天は「山口大口費」がメインの仏師だったことと、それぞれの助手の名前が判る。こうした銘文のいちいちを、この展覧会では書き起こして現代語の意訳をパネル展示している。ひとつひとつの寺宝に文字通り、どんな祈りが込められているのかを伝える重要な工夫だ。

山口大口費という『日本書紀』に天智天皇の命で千体仏を造ったとの記載がある仏師がいかに優れていて、この広目天がいかに傑作かは、記事が際限なく長くなってしまうので、筆を持つ手のアップの写真だけにしておく(奈良・東京の両国立博物館で展示された際の記事をお読みください https://cinefil.tokyo/_ct/17448894 https://cinefil.tokyo/_ct/17466594 )。

国宝 四天王立像 広目天 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺
この筆を持つ右手の簡潔かつ明確な表現を見ても、山口大口費の並外れた技量が分かる。

ただ、この日本で最古の四天王像の台座には触れておきたい。仏像の台座や光背は火災で本体だけしか運び出せずに失われたりすることが多いが、法隆寺の金堂は7世紀末に一度火災に遭って再建されて以来、昭和の戦後までずっとその場にあり続けたので、「百済観音」も四天王も台座も光背も当初のままで、これはとても貴重なことだ。

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