2015年10月、シャンタル・アケルマン が、パリで、自死した。「あ、じゃがいもを茹でる間に売春する主婦についての映画をつくった人だ」。斎藤綾子氏の印象深い文章を読んで、ずっと頭のすみにひっかかっていたのに、未見だった。

見てみよう、見るタイミングだ、と思ったのは、その6年後。去年、コロナで家にこもっていた時期だ。3時間ある作品なのに、全く、あきることがなかった。テーマも方法も、おそろしいほどシャープで、しかも、その二つが、必然性を持っている。完璧。

戦争で、夫を失い、一人で子供を育てる主婦がいる。家はピカピカで、すみずみまで、完璧にオーガナイズされている。その状態を維持するために、彼女は、いつものルーティーンをこなしていく。その3日間を昆虫を観察するように、観客に見せるように、組み立てられた映画だ。でも、ファーストカットから、音が異様に研ぎ澄まされている。家事の音が、全て、たってくる。だから、ずっとサスペンスが持続する。ルーティンの、つまらない、ちょっとした綻びから、彼女が、少しずつ、取り乱していく。それが、すごくこわい。

画像1: © Chantal Akerman Foundation

© Chantal Akerman Foundation

子育てと家事のルーティンの中に、売春がスケジューリングされている。夕食の芋を茹でている間に、終わらせるのだ。「シングルマザーの売春」という個別の社会事象を描いているんじゃなくて、多分、「主婦」という存在のメタファーなんだろう。金銭と性の交換。子育てと家事とセックスが並列される家庭という時空間。クリーンな主婦という存在と、売春のグロテスクさの並置。見事だ。こんな映画が、25歳に作れるなんて。

平凡な私は、もし、この作品を、25歳の頃に見たら、何も理解できなかっただろうと思う。今、わたしは、この映画の主人公のジャンヌ・ディエルマンと同じ中年の主婦だ。彼女の生活を、心の動きを、自分のことのように、理解できる。

近所の主婦仲間が、子供同士遊ばせていた公園で、ふと漏らす。「あたしさ、気づくと、キッチンの椅子の足を必死で拭いてるの。汚れているわけじゃないのに。おかしんだろね、わたし。」午後の光に照らされた、彼女の、美しい横顔を見る。柔和で、全然、けわしい顔なんかしていない。

少なくとも今は。しかし、夕暮れになって、公園のベンチを立つ、表情は暗く、足取りは重い。彼女は彼女の家庭に、降り立たなければならない。わたしだってそうだ。気が重い。

画像2: © Chantal Akerman Foundation

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優秀な主婦で、毎日同じルーティーンをこなしていくジャンヌ・ディエルマンのリズムに綻びが生じ始めるのを見る。ふと、カフェで、考え込んでいる暗い表情に不安になる。ジャンヌ、考えちゃダメ。考えたら終わり。その生活の空虚さに、気づいてはダメ。その綻びから、彼女は、自分の生活を壊してしまう。

アケルマンは、ユダヤ系だ。彼女の母親は、強制収容所の生き残りで。生き延びて、戦後を迎えたのに。こんどは家を彼女の牢獄としてしまった。というようなことをアケルマンがインタビューで答えている。収容所から出たのに、収容所から出ていない。家という収容所に自分を閉じ込めた、と。

アケルマンが、家にいる、自分の母親を撮る、そのショットの画角を決める。映像が残っている。カメラをまわしながら、探している。彼女と家が、どんなに不可分な関係かを、正確に映し出す画角を。そして見つける。

この映画の画角。昆虫観察するみたいな画角。『ジャンヌ・ディエルマン』の、人を人とも思わないような不自然な画角も。このように発見されたのだろうか。でも、人には、人を、まるで昆虫を観察するように、突き放した冷たい目で見てみたいという、願望が、確かにあるのだ。それは、映画の本質でもあると、私は思う。

アケルマンと、よく並んで称される、偉大な映画監督に、同時代に活躍したマルグリット・デュラスがいる。『ジャンヌ・ディエルマン』の主演のディルフィーヌ・セイリングは、同じ年に作られたデュラスの『インディア・ソング』にも出演している。デュラスは、『ジャンヌ・ディエルマン』を見て、怒って席をたち、その場を立ち去った(これは、アケルマン が一方的に言っていることで、事実はわからないんだけど)。でも、わかる。デュラス映画には、まだ、ファンタジーの入り込む余地がある。その女性に、主体のようなものが、ぎりぎり、授けられているのだ。欲望といってもいい。主体は剥奪されているのかもしれないけど、欲望によって、ぎりぎり、他者からの規定を逃れている、というか。解放区があるように見せる。そこにロマンティシズムや自己陶酔みたいなものが、存在する余地がある。人生は、その自由を死守するための戦いだと。その後に続いた、クレール・ドゥニにも、そういうところがあるし。クレール・ドゥニに影響を受けた多くの映画監督も、その範疇からは出ていないと思う。わたしも、そちらをずっと摂取してきたのだ。だって、楽だった。その方が、心がおさまったから。そう思いたかった。『ジャンヌ・ディエルマン』には、主体が予め剥奪されている。欲望すら、ジャンヌ自身、自ら否定している。ジャンヌの動機は、生活の持続、サイクルでしかない。でも、それは、そもそも破綻を含んでいる。これが、不快だったのだと思う。でも、アケルマンが、他の映画監督たちと一線を画すのは、そこのところなのだ。デュラスは、それを。わかっていたんじゃないか。だから、そんなにイラついたんじゃないだろうか。

アケルマン映画の射程の中から、わたしたちは、出ていないと思う。自分で牢獄を作り、その中に自分を閉じ込めてしまうという、あの作業の中に、今も、いるのだ。この映画を作った25歳のアケルマンの直感が、どれだけ正しかったか。中年になった今、よく理解できる。

住所と個人名。この映画のタイトル。個人なのに、個人じゃない、冷たい響き。人一人、むしけらのように扱うファシズムや全体主義の時代の、あの感じ。でも、いったいそこから何がかわったんだろう。

わたしたちは、ちっとも、自由なんかじゃない。この映画を見ると、それを認めざるを得なくなる。この映画は「主婦の狂気」を描いた映画じゃない。世界の理を、直接的に描いた映画だ。自分の墓を掘って、自分でそこに入ってしまうという、心の動きを。昆虫を見るように観察できる映画だ。むごたらしい。アケルマンの映画がむごたらしいのではなく、人のありようがむごたらしいから、それを正確に描こうとする、アケルマンの映画がむごたらしいものになるのだ。

アケルマンの65歳の人生が、むごたらしいものでなければいいと。平凡な、わたしは、つい思ってしまう。でも、彼女が、新作への酷評を気に病んで自死した。というSNSの言葉は、容赦無くこちらを刺してくる。映画を作って、映画を公開するサイクル。無防備なまま、自分の心にある不備が、あぶりだされて、傷つきながら進むしかない、孤独で絶望的なサイクルに自ら入っていたのじゃないだろうかと悪い方に想像が膨らむ。勝手な想像だ。ほんとうは、どうだったのか。わたしには、もう、知る術がないのに。

一つ、確かなことは、わたしたちの前には、シンプルでいながら、カミソリのように鋭い、この作品が、ただ、そっけなく、遺されている。

(終)

木村有理子(きむら・ありこ)
映画監督。慶応義塾大学環境情報学部卒。角川大映に勤務の後、様々な媒体に映画評を寄稿。主な監督作品に『犬を撃つ』(カンヌ国際映画祭正式出品)、『わたしたちがうたうとき』(ソウル国際女性映画祭招待作品)、『くまのがっこうのみゅーじかるができるまで』(ドキュメンタリー)。

画像3: © Chantal Akerman Foundation

© Chantal Akerman Foundation

4月29日〜5月19日ヒューマントラストシネマ渋谷
『シャンタル・アケルマン映画祭』開催。デジタルリマスター版で公開

『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』 Jeanne Dielman, 23, quai du Commerce, 1080 Bruxelles

監督・脚本:シャンタル・アケルマン 撮影:バベット・マンゴルト

出演:デルフィーヌ・セイリグ、ジャン・ドゥコルト、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ

1975年/ベルギー・フランス/カラー/200分 © Chantal Akerman Foundation

ジャンヌは思春期の息子と共にブリュッセルのアパートで暮らしている。湯を沸かし、ジャガイモの皮を剥き、買い物に出かけ、“平凡な”暮らしを続けているジャンヌだったが……。アパートの部屋に定点観測のごとく設置されたカメラによって映し出される反復する日常。その執拗なまでの描写は我々に時間の経過を体感させ、反日常の訪れを予感させる恐ろしい空間を作り出す。主婦のフラストレーションとディティールを汲み取った傑作。ジャンヌを演じるのは『去年マリエンバートで』(61)『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(72)のデルフィーヌ・セイリグ。

シャンタル・アケルマンChantal Akerman

1950年6月6日、ベルギーのブリュッセルに生まれる。両親は二人ともユダヤ人で、母方の祖父母はポーランドの強制収容所で死去。母親は生き残ったのだという。女性でありユダヤ人でありバイセクシャルでもあったアケルマンは15歳の時にジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』を観たことをきっかけに映画の道を志し、18歳の時に自ら主演を務めた短編『街をぶっ飛ばせ』(68)を初監督。その後ニューヨークにわたり、『部屋』(72)や初めての長編『ホテル・モンタレー』(72)などを手掛ける。ベルギーに戻って撮った『私、あなた、彼、彼女』(74)は批評家の間で高い評価を得た。25歳のときに平凡な主婦の日常を描いた3時間を超える『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を発表、世界中に衝撃を与える。その後もミュージカル・コメディ『ゴールデン・エイティーズ』(86)や『囚われの女』(99)、『オルメイヤーの阿房宮』(2011)などの文芸作、『東から』(93)、『南』(99)、『向こう側から』(2002)といったドキュメンタリーなど、ジャンル、形式にこだわらず数々の意欲作を世に放つ。母親との対話を中心としたドキュメンタリー『No Home Movie』(2015)を編集中に母が逝去。同作完成後の2015年10月、パリで自ら命を絶った。

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