故・佐々木史朗氏は、70年代にATG(日本アート・シアター・ギルド)の代表になり、作家性のある監督や作品をプロデュースし、映画界に新風を吹き込んだ。90年代オフィス・シロウズを設立し中江裕司監督「ナビィの恋」や李相日監督「スクラップ・ヘブン」、平山秀幸監督「やじきた道中てれすこ」、沖田修一監督「キツツキと雨」など数多くの作品をプロデュースした。

4月27日(水)正午、オフィス・シロウズの公式サイトにて、「当社設立者であり映画プロデューサー佐々木史朗 儀は令和4年4月18日 肺癌により享年83歳にて永眠いたしました」と訃報を伝え、故人の生前の遺志により、近親者のみで葬儀が執り行なわれたことが報告された。
後日お別れ会を予定している。

画像: [訃報] 佐々木史朗さん(83歳)-70年代、ATGの代表を務め、故・森田芳光監督ら作家性のある監督作をプロデュース。その後も中江裕司、李相日、西川美和、沖田修一を世に送り出し続けた名プロデューサー

佐々木史朗(Shiro SASAKI)略歴

1939年1月22日、大連生まれ。本名 佐々木正路(ささきまさみち)
「新劇団自由舞台」(後の「早稲田小劇場」)での活動、TBS勤務を経て、1970年東京ビデオセンターを設立。1979年、日本アート・シアター・ギルド(ATG)の代表に就任、大森一樹、長崎俊一、森田芳光ら自主映画の作家たち、また井筒和幸や根岸吉太郎といった新進気鋭の若手監督たちの作品を次々とプロデュースする。1993年、オフィス・シロウズを設立。中江裕司や李相日、西川美和、沖田修一など、才能ある若い作り手を世に送り出し続ける。2011年、故・今村昌平監督の念願であった日本映画大学を設立し、理事長に就任(2018年退任)。2017年、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)にて『映画プロデューサー佐々木史朗』特集が3週間にわたり開催される。2018年、半自伝と日本映画界の変遷を綴った『時の過ぎゆくままに』を上梓。2004年に日本アカデミー賞協会特別賞、2018年に文化庁創立50周年記念表彰、2019年に文化庁映画賞(映画功労部門)を受賞。

<主なプロデュース作品(ATG)>

1980年:「ヒポクラテスたち」(大森一樹作品)
1981年:「ガキ帝国」(井筒和幸作品)、「遠雷」(根岸吉太郎作品)
1982年:「転校生」(大林宣彦作品)、「九月の冗談クラブバンド」(長崎俊一作品)、「TATTOO〈刺青〉あり」(高橋伴明作品)
1983年:「家族ゲーム」(森田芳光作品)
1984年:「人魚伝説」(池田敏春作品)、「逆噴射家族」(石井聰亙作品)、「さらば箱舟」(寺山修司作品)

<主なプロデュース作品(オフィス・シロウズ)>

1993年:「空がこんなに青いわけがない」(柄本明作品)
1996年:「ロマンス」(長崎俊一作品)
1997年:「20世紀ノスタルジア」(原將人作品)
1999年:「ナビィの恋」(中江裕司作品)
2002年:「コンセント」(中原俊作品)、「笑う蛙」(平山秀幸作品)、「ごめん」(冨樫森作品)
2003年:「ホテル・ハイビスカス」(中江裕司作品)
2005年:「カナリア」(塩田明彦作品)、「スクラップ・ヘブン」(李相日作品)
2006年:「闇打つ心臓Heart, beating in the dark」(長崎俊一作品)
2007年:「フリージア」(熊切和嘉作品)、「恋するマドリ」(大九明子作品)、「やじきた道中てれすこ」(平山秀幸作品)
2012年:「キツツキと雨」(沖田修一作品)、「夢売るふたり」(西川美和作品)
2013年:「許されざる者」(李相日作品)
2015年:「岸辺の旅」(黒沢清作品)
2016年:「モヒカン故郷に帰る」(沖田修一作品)
2020年:「君が世界のはじまり」(ふくだももこ作品) 

著書

2018年:「時の過ぎゆくままに」(ワイズ出版)

This article is a sponsored article by
''.