自らを不良牧師を名乗るアーサー・ホーランド師。

十字架を背負い日本・アメリカ・韓国を縦断する破天荒な伝道活動を行う異色のホーランド師に韓国の宗教映画『赤い原罪』について語っていただきました。

この映画が韓国で受け入れられなかった理由、ホーランド師でなければ語れないキリスト教会の話・・・映画にまつわる背景など興味深い逸話の数々をお楽しみください。

アーサー・ホーランド
新宿の路上で辻説法をしたり、40キロの十字架を背負い日本列島を縦断、元ヤクザを集めたクリスチャン集団「ミッション・バラバ」を生み出すなど破天荒な生きざまの牧師。
犯罪者、薬物依存者など分け隔てることなく全ての人々に神の愛を説き続けている。

画像1: アーサー・ホーランド師

アーサー・ホーランド師

■教会関係者に受け入れられない映画

教会関係者の中には、この作品を受け入れない人が多いんじゃないかな(笑
教会の在り方について真っ向から問題提起をしている。

この作品が韓国で作られたというのも興味深いですね。公開時に韓国の宗教界で受け入れられなかったことも十分理解できます。
俺は韓国でも十字架背負って行進(※)もしているんです。
髭を生やして長い髪の毛で十字架背負って歩きやすい短パン。
牧師がそんな恰好をするなんて、と韓国の教会で厳しく言われたこともある。
しかし、多くの教会の壁に飾ってある聖画はジーザスが長髪で髭も伸ばし放題、サンダルを履いている。
また、十字架のジーザスには腰布履かせたりしているけど、罪人としてとらえられ処刑されるんだから本当は真っ裸なんですよ。身体なんて汚れ放題。
それを美化するのが教会。

教会は比較的、牧師を父親みたいにして人が集まる意識というのが高いんですね、特に韓国なんかはそう。
そうすると家長の言うことが一番で、「こうでなければならない」と律法的になりがちなんですね。

いつの間にか「教会と外」という意識を持ち、外の人を上から目線で見ることも起こりえるし、神を知らないものを「堕落した者」とする意識を持つ人も多く出てくることもある。全部が全部、そうじゃないけれど。

そんな教会の一番悪いところを描いているから、韓国で公開されたときに教会関係者の中には作品を観て拒否反応を起こす人も多かったのかもしれないよね。

今の日本でも、聖書の教えやジーザスの生き様を模範として表現せず、どうみてもキリストを十字架に張り付けた宗教学者の集まりのように思える教会もある。

組織化して建物を建てるとスピリットを追い出してしまう現象は、教会に限らず他のどんなところでも起こりえるけどね。

(※)十字架行進
40キロの木製の十字架を背負って歩くアーサー・ホーランド師のキリスト教の伝道。
沖縄から北海道まで3,700キロを徒歩で縦断(1992年)。
韓国・釜山から板門店までを踏破(1993年)
ハワイ・オアフ島一周後、米国本土にて4,800キロを更新(2014~2015年)

■作品の端々に在る暗喩

作品に出てくる教会は岬の先に立っていますよね。
暗闇の船を灯で導く灯台を暗喩していると思うんですが、灯台の灯は海を照らし海路を示しますよね。作品の教会も同じで信者たちに道を示す説教は行われるけれど、現実にもがき苦しんでいる人に歩みよらない。
照らすだけで、教会が歩み寄り救うのは「救う価値のあるひとだけ」と言い切る。
貧乏な父娘を「救う価値がない」と「忌むべきもの」としてしまう。
父親は呪詛の言葉を暗記し事あることにつぶやくけれど、申命記28章に書かれている
祝福と呪いの箇所の一部なんですよね。
彼は教会を信じてないのかもしれないけれど、聖書の言葉を暗記しているんですよね。

赤い口紅というのも印象的でした。
父親の元妻がしていた赤い口紅が効果的にいくつかの場面で出てくる。
シスターが口紅を塗るシーンなど背徳的なイメージを醸し出していた。

また、教会で真面目な信者たちが説教を聞いているシーンでは、真剣な信者たちが教会の話を従順に聞いていますが、俺には彼ら無感動・無気力に見えてしまう。
かたや父娘は泥の中で生きているけれども、とっても人間らしくてね。

最後のシーンで主人公たちがかぶっている仮面を外す。
覆い隠した自分の仮面を取り去って自分らしくなると、そこに光がある。
天国なのかもしれないよね。
彼らが笑い続けるんですがその声が笑い声のようでもあり泣き声にも聞こえる。

画像2: アーサー・ホーランド師

アーサー・ホーランド師

■神は自分の身で俺たちの罪をかぶってくれる人

監督はこの作品で、もがいている人間たちが必死に生きようとしているところにフォーカスを当てようとしている気がするんです。
ジーザスは罪びと達と飲み食いをして、パリサイ人や律法学者たち宗教家から顰蹙をかっているわけですよね。
主人公のシスターは不遇の中でも必死に生きようとする父娘に歩み寄ろうとする。
寄り添うだけでなく「呪われたもの」とされる父の悪しき想いをを受け入れるわけね。
ジーザスも俺たちの罪を負ってくれたのね。囚人となり十字架に真っ裸でさらされて。
人を救うって綺麗なだけじゃないと思うのね。
神さまの愛はただ教え導く、なんかじゃない。泥をかぶって、悪意や呪いを自分の身に受けとめる方なんだよ、って。
神さまは本当は泥を食むような人の中に来てくれてその人達とともに泣き笑う方なんだってね。

俺も罪を犯した人達に積極的に神の愛を伝えてきたのね。
そういった経験を元にこの作品を観ると、教会や宗教に捉われることのない、
神がジーザスを通して見せた愛を人間はどう示せるのか問う、そこを描こうとしたんじゃないかな、と思う。
タブーの要素だけを批判するんじゃなく、どう闇から光が生まれるんだろうなってことを考えさせられる作品だね。

■信仰心が試される映画

一人ひとりが観てどう感じるかだと思う。
観るのも自由、観ないのも自由。

信者がこの作品を観たときに自分の信じていることが試される、それもいいことじゃない?
自分が信じていたことがある体験によってぐらつくようであれば、自分の信仰心が
それだけのものだったってことですよ。
でも体験により刺激され、考えさせられ、信仰心が成長するのであれば、時にタブーなものもいいものだってことですよ。
信者にとっては信仰心が試される映画だよね。

画像3: アーサー・ホーランド師

アーサー・ホーランド師

写真:塩出太志

韓国映画『赤い原罪』予告編

画像: 韓国映画『赤い原罪』予告編 youtu.be

韓国映画『赤い原罪』予告編

youtu.be

■STORY
とある漁村の教会を訪れる白髪の女性。その教会に修道女として務めていた40年前の出来事が語られはじめる。40年前、その村には極貧の身体の不自由な父親と癲癇持ちの娘が住んでいた。他人に頼らず生きようとする父娘と手を差し伸べようとする修道女。村と父娘の秘密と罪があらわになっていく。神を呪う父と神を追う娘、修道女が最後にとった選択は…

■STAFF
監督:ムン・シング(文信久)
プロデューサー:クォン・ミョンファン(權明煥)

撮影監督:チョン・ジェ・スン/照明:ミン・ドクギ/美術:イ・ヨンガプ/サウンド:スタジオ87 /
編集:カン・ヒチャン/音楽:パク・ソンフン/デジタルインターミディエイト:カン・ヒチャン

赤い原罪(原題『ORIGINAL SIN』)|2017年|韓国|102分

宣伝:配給:ガチンコ・フィルム

2021年10月2日(土)~渋谷・ユーロスペースにて

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