奈良・聖林寺の国宝 十一面観音菩薩立像

画像1: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

  和辻哲郎(哲学者)「神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさ」 (『古寺巡礼』)
  白洲正子(随筆家)「世の中にこんな美しいものがあるのか」(『十一面観音巡礼』)
  土門 拳(写真家)「それは菩薩の慈悲というよりは、神の威厳を感じさせた」(『古寺巡礼』)

造立された経緯などの記録は残っていないが、おそらく西暦760年代に、東大寺の工房で作られたものとみられる。

日本の仏師、つまりは現代風にいえば彫刻家で今日もっともよく知られているのは鎌倉時代の運慶・快慶たちだろう。現代にも通ずるような個人のアーティストにして革新的な天才としても認識されている彼らだが、奈良時代の仏像が多く伝わっていた興福寺の僧の出身で、近接して東大寺もあった。「慶派」が新時代の力強い表現で、仏像の様式化が進んだ平安時代後期の穏健な造形を一新したインスピレーションの源には、身近に見て親しんで来た奈良時代の仏像から多くを学んだこと、そして源平合戦の南都焼き討ちで興福寺や東大寺の焼失を目の当たりにした体験も無視できない。ヨーロッパでミケランジェロが古代ギリシャ=ローマの石像から学んで彫刻の文字通り「ルネサンス」つまり再生復活を成し遂げたように、国際的には「日本のミケランジェロ」とも呼ばれる運慶は、奈良時代の仏像彫刻を「ルネサンス」させていた。

画像2: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

運慶の特徴とされる強調・誇張されたリアリズム、張りのある肉体とその筋肉描写の力強さはその実、奈良時代に盛んに作られた乾漆像や塑像にすでにみられる表現だ。たとえば運慶の現存が確認される最古の作品で、独り立ちした仏師としてのデビュー作と目される奈良・圓成寺の大日如来坐像(国宝・平安時代 安永元(1175)年)のみずみずしく凛とした若々しさに、聖林寺の十一面観音に共通する美意識を見出す人もいるかも知れない。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分・背面) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分・背面) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

像自体の高さは209.1cm、堂々たる大きな観音像だ。その前の飛鳥時代の、法隆寺の通称「百済観音」として知られる極端な細身の観音菩薩立像とほぼ同じ高さなのは、観音経の記述の解釈に基づく身長なのだろう。やはり奈良時代の、唐招提寺の巨大な千手観音菩薩の5m超、東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音の3m半以上よりは小さいが、その荘厳な重厚さは勝るとも劣らない迫力で屹立し、その優美で官能的ですらある美しさは圧倒的だ。

この上体の、胸の分厚さと堂々たる肩幅はどうだろう。菩薩なのでゴツゴツした筋骨隆々とは違うが、優雅な曲線の堂々たる豊満な肉体が、奈良時代ならではの(そしてのちの運慶らにも通じる)肉感的な張りのある曲面の構成の卓越した造形で、力強さのみなぎった生命感が神々の領域に昇華したかのような荘重さをもって浮かび上がる。

画像3: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

分厚い胸と肩の上の、美少年のような丸顔の面立ちは、キリリと結ばれた小ぶりな唇によって引き締まって見える。伏目がちに見下ろす厳粛な眼差しは、のちの時代の「慈母観音」などと形容されるやさしげで女性的なたたずまいとは異質な、男性的なおごそかさ、厳粛さを秘めている。

画像4: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

菩薩とは元来、いずれ仏陀・如来となるべく修行中の存在だ。凛々しく気品に溢れながら厳しく結ばれた唇と、半目だけ開けて伏し目がちながらも、その瞼の奥の憂いを帯びた強固な眼差しは、もしかしたら史実としてのブッダつまり釈尊が悟りに到達する前の若き日の、シャカ国の王子シッダールタが出家を決意した時の貌も、このようなものだったのかも知れない。

王宮の中でなに不自由なく育った王子は外の世界を見たいと望み、貧困、病、そして死に苦しむ人々の現実を目撃して苦悩し、王となるだけではその人々を救えないと思い詰めて出家する。人であると同時に人を超えたなにかであるこの像の存在感に、深刻な天然痘のパンデミックを経て自ら「菩薩」たらんとした聖武天皇を筆頭に、新しい国家像の建設に邁進した古代の人々は、神聖さを見たのではないか?

画像1: 国宝 十一面観音菩薩立像 (部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像 (部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

言い換えるなら、この菩薩像の神々しい超越性はあくまで、もしかしたら人間でも、並外れた努力の果てしない積み重ねで到達できるかも知れない「悟り」の直前の、人間の究極の理想の姿としてのリアルさを投影した姿を表現しようとしているのか? 「悟り」への到達は果てしなく難しいとしても、その「悟り」に至るためにやるべきことを釈迦は「戒律」の教えとして遺している。鑑真を招いてその本格的な戒律を日本に広めようとしたのが聖武天皇であり、自らが菩薩である君主となって衆生を救おうと願い、鑑真に「菩薩戒」を授かったのが、この像の推定製作年代から10年前後前のことだ。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分・背面より左腕) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分・背面より左腕) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

特筆すべきは、抜群の保存状態の良さだろう。ほとんど欠落部分がなく、全身に漆の上に貼られた金箔もよく残っている。

繊細な手の表現は、特に一本一本独立した指は細さからどうしても破損しやすいのだが、指がそれぞれに表情豊かに曲げられた造形も当時のままほぼ無傷だ。

両腕にかけられた、体から離れて帯状の衣(天衣)も、折れて欠損した菩薩像がほとんどの中で、この像では膝上正面の中央部だけは下半分が欠けているものの、あとはほぼ原型のまま両脇にとても優雅な曲線を描いて垂れ下がり、その先端にまでリアルさを神々しさに昇華させる美意識がみなぎっている。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像 (部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵 腕にかけられた天衣が先端までほぼ完全に残る

国宝 十一面観音菩薩立像 (部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵
腕にかけられた天衣が先端までほぼ完全に残る

張りのある花弁の複雑な曲面の重なりが華やかな蓮台も、奈良時代当時のものだ。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像 (部分・蓮台) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像 (部分・蓮台) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

極薄に丹念に彫り上げられた蓮の花弁は一枚一枚が別個に作られていて、それが中心部に差し込まれている。後の時代の、平安や鎌倉時代の仏像でも台座がそのまま残っているのは珍しい中で、この台座もほぼ奈良時代の造立当時のままだ。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代8世紀 奈良・聖林寺 部分・台座(蓮台)

国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代8世紀 奈良・聖林寺 部分・台座(蓮台)

花弁はほんの数枚だけ後代に交換され補われているだけなのだそうだ。その一枚が取り外されて別個に展示されている。平安時代以降、このような凝った蓮の花の表現はまず見られなくなるが、極薄なのに立体感にあふれ見事な木彫技術を駆使した湾曲面の上に、丁寧に施された漆と金箔まで含めて、とても華やかで美しい。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像 台座蓮弁 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像 台座蓮弁 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

一枚一枚がこれだけ丁寧な木彫の花弁を、いったい何十枚重ねるとかくも華麗な蓮台になるのだろう? 聖林寺十一面観音の美しさは、そうした膨大な努力・労力の集積でもある。工房で製作されたのであろうこの時代の彫刻は、作者名は記録に残っていない。

十一面観音菩薩は頭の上を円状に10の小さな菩薩の頭が取り囲み、360度全方位を見渡している姿で表され、頭頂部中央に一際高く仏の頭が配される。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像 (部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵 前から見ると頭上面は正面の菩薩面だけが欠損

国宝 十一面観音菩薩立像 (部分) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵
前から見ると頭上面は正面の菩薩面だけが欠損

ここも壊れやすかったり外れてしまって欠損しやすい部分だが、この像では欠けているのは正面と真後ろ、その真後ろの右隣(正面から見て左隣)の3面だけ。残った8面は緻密に造形された顔のひとつひとつがそれぞれ異なったリアルな表情で、ここにもこの像に細部に至るまで込められた膨大な美の作業の集積が見て取れる。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像 (部分・頭部、背面より) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵 正面以外は真後ろとその右の一面のみ欠損しているだけで、ほとんど無傷のまま残っているのは驚異的

国宝 十一面観音菩薩立像 (部分・頭部、背面より) 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵
正面以外は真後ろとその右の一面のみ欠損しているだけで、ほとんど無傷のまま残っているのは驚異的

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