奈良時代と平安時代初頭をそれぞれ代表する仏像の傑作ニ体が、奈良県から東京に運ばれて同じ一室に展示されている。天平彫刻の最高傑作とも言われる奈良県桜井市・聖林寺の国宝 十一面観音菩薩立像と、平安時代初期の傑作、生駒郡・法隆寺の国宝 地蔵菩薩立像だ。

画像1: 国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・9世紀 奈良・法隆寺蔵

国宝 地蔵菩薩立像 平安時代・9世紀 奈良・法隆寺蔵

この二体がそこにあるだけで、1930年代の「帝冠様式」を代表する、いわば当時の日本国家の威信をかけた壮麗な建築である東京国立博物館本館の、中央・大階段の奥にある豪壮な吹き抜けの展示室が、異次元の重厚な荘厳さに満たされる。

どちらも国宝に指定されてもいるが、とにかくまず、この二体の仏像がそこにあるだけで醸し出す、圧巻としか言いようがない厳粛で荘重な空気に、思わず息を呑む。

画像1: 国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

古墳時代には埴輪が作られていた日本に、仏教と共に「仏像」という形で彫刻の文化が本格的に入って来たのが飛鳥時代の、聖徳太子の祖父にあたる欽明天皇の時代、6世紀半ばだ。仏像は最初は中国や朝鮮半島からの輸入で、その模倣から始まって国内で本格的に彫刻が作られるようになったのが、その聖徳太子の時代かその少し前からだ。

仏教の伝来から200年経つか経たないかの奈良時代に、すでに日本の彫刻芸術は最初の絶頂期を迎えていた。聖林寺の十一面観音菩薩はその奈良時代に独特の「木心乾漆像」の知る人ぞ知る傑作だ。

画像2: 国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

明治時代半ばの政府文化財調査で、当時は秘仏扱いだったというこの像を「発見」したアーネスト・フェノロサに始まり、『古寺巡礼』の哲学者・和辻哲郎、日本の戦後社会を切るルポルタージュ写真の巨匠が晩年は仏像を撮り続けた写真家・土門拳らが、この世のものとも思えぬ神々しい威厳、人間のものならぬ美しさ、というような絶賛の言葉を、この観音像に捧げて来た。

画像: 国宝 十一面観音菩薩立像(部分・背面より右手と天衣)奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像(部分・背面より右手と天衣)奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵 

明治30年に制定された旧国宝制度でも、戦後の新たな文化財保護法に基づく国宝制度(昭和25年制定・同29年施行)でも、最初に選ばれた仏像のひとつだ。この知る人ぞ知る傑作が、聖林寺の観音堂を地震で万が一にもこの像が損なわれることのないようにする耐震化と、より見易くするための大々的な改築工事に合わせて、非常に珍しいこととして寺の外、それも東京まで運ばれて展示されている。

当初は昨年の予定だったのが、新型コロナの蔓延で東京国立博物館も休館を余儀なくされたために延期。今年あらためて、満を辞しての開催だ。

なお聖林寺では観音堂の大改修のためのクラウドファンディングを実施中。詳しくはこちらをクリック

画像3: 国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

奈良時代の後期に、すでにこれだけの美の水準に達していた日本の仏像彫刻だが、驚くことに平城京から平安京に遷都して時代が平安朝に移るのと相前後して、そのあり様が劇的に変化し、新たな潮流が始まっている。

法隆寺の地蔵菩薩は、その平安時代初期の「一木造り」を代表する傑作のひとつだ。

画像: 国宝 地蔵菩薩立像(部分・左腕と宝珠) 平安時代・9世紀 奈良・法隆寺蔵

国宝 地蔵菩薩立像(部分・左腕と宝珠) 平安時代・9世紀 奈良・法隆寺蔵

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