<この文章は、女性に対する暴力の描写が含まれます。また、本作品のストーリーなどの核心に触れています。>

ジェーン・カンピオンの描いてきた女性たち

BBC製作の連続ドラマです。監督は、ジェーン・カンピオン。1945年ニュージーランドのウェリントン生まれで、1980年から、40年ちかくにわたって映画を撮り続けています。しかしながら、不思議なことですが、このドラマをみて、カンピオンは、ようやく自分が描きたいものを描けたのではないかという気が、私は、したのです。

今、この2020年に、カンピオンの代表作である1993年の『ピアノ・レッスン』を見返してみると、大きな違和感があります。言葉を話せない(何らかの事情で、自分で話さないと決めている?)女性エイダが、父親に命じられて、婚外子を連れて、イギリスから、海を渡ってオセアニアに嫁いできます。結婚していない男性との間に娘をもうけてしまったが故に、他にもらってくれる人がいないので、「島流し」されたというわけなのでしょうか。しかし、彼女は、夫以外の男性と姦通してしまう。その罰として、夫は、彼女の指を切断する。彼女を愛するが故、「嫉妬のあまり」という描写なのです。ショックを受けた夫の顔が、切なげなスローモーションのアップとなったりして。「男二人に女一人」の、三角関係を描くカット割なのです。でも、エイダの身分は、奴隷のようなもので、男を選ぶ選択肢というものがないはずなので、起こっていることと、撮り方がチグハグです。

そもそも、なんで、擁護してくれるはずの父親に、島流しにされるのだろうか、という疑問も残ります。そして、その矛盾に、もちろん、カンピオンは、気づいているので、主人公に、最後にモノローグで、「本当の自分は沈黙したまま、海の底の墓場に浮かんでいる。私は、その死体と共に生きている」と言わせます。これは、作り手自身にとっても不健康なことだったろう、と、思います。エイダは、圧倒的な暴力や支配の元に、沈黙させられている女性です。また、そのように支配され、傷つけられても、尊厳を失わない、ますます美しい女性エイダというのは、見る側にとっても、実害があったように思います。「美しさ」って、映画の世界では、「正しさ」と同じ意味を持ってしまうからです。

カンピオンは、2000年代に入ったあたりから、その矛盾に向き合い、男性の悪意や暴力性に焦点をあてるようになるのですが、そこで、大きくキャリアが低迷します。2004年の『イン・ザ・カット』は、評価されず、興行的にもふるわなかった。輝かしいメグ・ライアンを主演フラニーに迎え、激しい濡れ場を演じさせたにもかかわらず、彼女のキャリアをつぶした作品として有名です。内容は、パパが、暴力的で、ママを苦しませていた。つまり、出自からして暴力的な男性によって生み出されたフラニーと異母姉妹のポーリーヌが、パパみたいな男性たちに囲まれて、立ち往生する話です。出自からして、そもそも、暴力的であったとしたら、その女性は、どのように生きて行ったらいいのだろう。テーマ自体は、いい。ただ、何せ、主人公に能動性がありません。能動性がないと、物語は、間延びしていきます…。カメラのレンズを工夫して、近視眼的なルックを作っていたり、音の工夫もあり。何せ、完璧主義のジェーン・カンピオンのやることですから、それ以外にぬかりはない。しかし、一番大きな問題は、テーマを語るための形式を間違えているということなのです。それがなぜ起こるかというと、そのテーマに関して、結論が出ないために、盲目になってしまう。これでいえば、傷ついた女性に、一緒に傷ついてしまっているのですね。これだと、映画になりません。この女性が、一歩外に出なければいけないわけですが、いやでも、どうやって外に出るのだろう。と作り手も迷宮に入っているのです。男性側にも、踏み込んだ描写ができてない。男性側が何考えているのか、謎のままです。傷つきすぎてて、そっちがわにまで、踏み込めない。しかし、こういう言い方はフェアではありません。映画監督は、いつだって、自分でもわからないものを、必死で探りながら進むものですから。それをあとから、ダメ出しするなんて、後出しジャンケンみたいなものです。

『イン・ザ・カット』の約10年後に作られた『トップ・オブ・ザ・レイク』は、『イン・ザ・カット』で問題提示しながら、踏み込めなかった問題を、次々に解決しています。『トップ・オブ・ザ・レイク』の主人公ロビン・グリフィスは、生まれ育った小さな町の男たちに、若い頃にレイプされ、妊娠して子供をうみ、その子供を里子に出し、自分は性犯罪捜査官になって、町に戻ってきます。この刑事物のプロットを使うことで飛躍的にカンピオンの世界が広がっています。傷ついた主人公に能動性を持たせたのです。

主人公ロビン・グリフィスが、小さい町に戻ると、12才の妊娠した女の子が失踪します。ロビンは、自分のこともあるので、捜査にのめりこみます。すると、狭い町の秘密があらわになっていきます。街を牛耳る麻薬製造&密売人家族は、ロビンの上司の警察署長とつながっています。そして、組織的に、「問題児」といわれる子供達を預かり、薬で昏睡させて、町の男たちや、休日にやってくる金持ちたちに、性的にあてがっている。町中の、誰もがそれを知っているのに、みな黙っています。

画像: 消えた12歳の少女 『トップ・オブ・ザ・レイク』 © 2012 See-Saw (TOTL) Holdings Pty Limited, Screen Australia and Screen NSW Distributed under licence by BBC Worldwide Ltd.

消えた12歳の少女 『トップ・オブ・ザ・レイク』
© 2012 See-Saw (TOTL) Holdings Pty Limited, Screen Australia and Screen NSW Distributed under licence by BBC Worldwide Ltd.

しかし、これは、『イン・ザ・カット』で描かれたような、ある特定の男性の悪意によって行われるような、単純な悪ではありません。この組織は、小さな町の男たちが、自分自身の生存をかけて協力しあい、女性や子供を、何もない小さな町の「資源」として、食い物にするために、長い間かけて作った仕組みなのです。社会の縮図といってもいい。この町を牛耳る麻薬製造&密売人家族を中心とした男性社会と、町の外から、突然やってきた、ホーリー・ハンター演ずるグルのような女性GJが率いるドロップアウトした女性たちのシェルター。この二つを対置することで、物語の推進力とするのですが。シェルターは、ロビンや失踪した少女たちが町の男性たちから身を隠して休んだりする逃げ場となります。
しかし、面白いところは、このシェルターの女性が麻薬密売人の家族と恋仲になったりすることです。本来、ニュージーランド 出身のカンピオンは、80年代くらいまでは、こうした感覚の映画を作っていました。狭い町で、異質なはずの男女が否応なく関わってしまい、奇妙な世界が築かれてしまうのです。でも、小さな閉じられた世界、というのは、世界中そういうふうにできていますよね。すべての人がつながってしまう。善悪が明瞭にわけられない。誰もが、システムの中に組み込まれてしまい、そこから抜け出ることは、容易ではない。男も女も、その中で、黙って、権力に従っていくように作られている。ロビンは、自らも、否応なく、その一部である、小さな町にある地獄を、刑事という能動性だけを頼りに、めぐり続けるのです。一方的に女性が支配されてしまっていた『ピアノ・レッスン』や『イン・ザ・カット』の世界観を脱して、もっと包括的な視点を、カンピオンは、再び手に入れたように思えます。

ホーリー・ハンター演じるグルGJが、「もう、あんたたちみたいな女の面倒を見てらんないから、私は、アイスランドに行く」と言って、出て行ってしまうのが、すごく面白かったです。強い求心力を持った人物が支えるシェルターっていうのは、ずっとそこにあるものでもないし、問題を含まないものでもないって、みんな知っていますものね。90年代に大変な影響力を持ってしまったカンピオン自身だって、そういう正しさや一貫性を求められて、「いや、わたし、正しさのために生きてるわけじゃないから、飽きたらやめるし」と思ったことがあるに違いないのです。そう、『ピアノ・レッスン』で、ホーリー・ハンターが演じたような、傷つけられても傷つけられても、尊厳を失わない頑固な女性、というのは、一見よさそうで、よくないのですよね。どんな人も、弱ってる時もあるし、間違える時もあるし、そもそも、わたしみたいに、強くない人も多いし。だから、カリスマティックなはずのGJが、「もう、やってらんない」っていって、どっかへいっちゃって。そのあとも、なんやかやで、残った人が、その場を回してる感じも、男性たちのシステマティックな社会とは対照的で、面白かったです。

そして、続編『トップ・オブ・ザ・レイク~チャイナ・ガール』では、ロビンが、里子に出した娘メアリーがいるはずの、シドニーにくるところからはじまります。またも、暗い物語がはじまるのかと思いきや、暗さとともに、明るさやおかしみがある。90年代以降のカンピオンの生真面目な作品群と、トーンが違うので、驚きました。80年代に作っていた、ブラックでありながらおかしみのある、とっても先鋭的なコメディ『スウィーティー』などで組んでいた脚本家ジェラルド・リーと再び組んでいます。

ロビンが、里子に出した娘のメアリーとはじめて会うシーンがすごくいいです。これぞ、「子供」ってものの、びっくりするところだなって思うのですが。誰から生まれようが、誰が育てようが関係なく、その子は、その子の目でものをみて、その子の考えで世界を知っているんですね。くもりなくものをみている。だから、本質的に、相手から必要なものをもらい、自分も、相手にそれ以上のものを渡します。ロビンは、メアリーにとって、もちろん、生物学的な母親なのですが、それよりも、今まで知らなかった異質な女性の大人との出会いなのですね。もじもじしながらも、「なぜ、そんな格好をしているのか」とか(はじめて出会う刑事だから、職業的な雰囲気が一番気になりますよね)、「わたしはレイプで生まれたって、ネットに書いてあった、それって、大変なことだったよね」とか、いうのです。ロビンの方は、思い入れがありすぎて、うまく答えられません。ただ、質問に答えるだけです。特に、心が通じ合ったりはしません。それが、とてもいい。このシーンは、お互いが、全く、仲良くなったりせず、もじもじしているだけで、そこが、とても感動的です。生物学的には、母親と子供だけども、初対面の大人と10代の少女である。ロビンは、変則的でありながらも、一度手放した自分の子供と、関わり、彼女を守るチャンスを得るのです。

画像: ロビンの娘メアリー 『トップ・オブ・ザ・レイク〜チャイナ・ガール』 © See-Saw (TOTL2) Holdings Pty Ltd. 2017

ロビンの娘メアリー 『トップ・オブ・ザ・レイク〜チャイナ・ガール』
© See-Saw (TOTL2) Holdings Pty Ltd. 2017

シドニーの警察署で働き始めたロビンは、妊娠したアジア人女性が殺害された事件をまかされます。すると、アジア人女性を不法な代理母としてお金儲けをしている白人男性アレクサンダーの存在が露わになるのですが、彼が、娘のメアリーの彼氏なんですね。裕福な家に里子に出されてすくすく育っているはずのロビンの娘は、悪い男に騙されているわけです。思春期の葛藤や反抗心を利用されて、アレクサンダーに思うがままに操られてしまうメアリーなのですが。最後に、自らの判断で、アレクサンダーを捨てます。これが、カンピオンのやりたかったことなのかもしれません。男性の誘惑にのり、虐待に甘んじてきた女性たち。彼女たちが、自分の意思で、それを断ち切ること。メアリーを演じているのは、ジェーン・カンピオンの娘、アリス・イングラートです。

考えてみると、そもそも、『ピアノ・レッスン』のホーリー・ハンター演じる主人公エイダが、連れていた、父親のいない娘フローラは、レイプによって生まれた子供なのかもしれません。だから、彼女は、生まれ育ったコミュニティにいれないのかも。もしかすると、フローラの父親は、エイダの父親かもしれません。彼女の沈黙は、この暴力的で支配的な父親によって作られたものなのかもしれません。「愛情深い」ようにみえて、子供を犯す父親。優しい指導者としてふるまいながら、実は狡猾に、子供や女性を支配する教師や上司。こうした「父親」的な人物と、ロビンが戦っていく過程は、簡単な道程ではありません。しかし、彼らの擁護下に入ってしまったが最後、『ピアノ・レッスン』のエイダのように自分自身の言葉を奪われる。エイダや『イン・ザ・カット』の、父親に傷つけられながら、同じように暴力的な男性たちと馴れ合ってしまうフラニーとポーリーヌと同じ轍を踏まないために、ロビンは、戦い続けます。わたしは、この作品を見て、ほんとうに、心からほっとしたのです。胸のつかえが、とれた。カンピオンが、暴力や悪意に傷つけられた女性が、そこから抜け出る姿を、やっと描けるようになったのですから。そして、その抜け出し方は、杓子定規なものではありませんでした。その場その場で、風変わりな関係を人ときり結んでいくことで、ロビンは、地に足をつけ、自分の、自分だけの人生を切り開いていくのです。

例えば、捜査で、バディを組まされる警官ミランダは、背がとてもとても高い女性です。そして、ロビンみたいに優秀!って感じの人じゃなくて、はっきりいえば、仕事上は、使えません。ミスしがち。男性の同僚たちから笑い者にされてて、職場のハズレものって感じです。しかし、この女性が、すごくいいんですね。上司と不倫して、妊娠してます。それなのに、日陰者って感じもしなくて、ちょいちょい、他の男の人と遊んだりもしていて、人生を、楽しんでいくタイプです。そして、ちょっと抜けてて、滑稽で、けっこう、ずるいとこもあって、でも、憎めないっていうか。正しさには拘泥しないのに、情はあって。要は、人間的なんです。ロビンは、超真面目な堅物ですから、ミランダに、最初は、すごーく反感を抱くのですが、長いことかけて、彼女の自由さに、感化されていきます。そんなロビンを見て、ミランダは、「やっと、人間らしくなってきたじゃない?」って言ったりします。この二人の、関係がすごくいいです。結果的に、ロビンの内面を救っているのは、すごい仲良しってわけでもないミランダです。同情的な、親友みたいな女性とか、彼女を愛する男性が、ロビンを救うわけじゃない。そんなに単純じゃない。もっと乾いた関係が、ロビンを立ち直らせる。

それから、ロビンは、血の繋がりはないのに、メアリーを必死で守ろうとする、とても静かな、メアリーの育ての父親パイクと、恋におちるのです。実母と、育ての親である父親との恋。その恋は、もちろん、一筋縄でいくものではありません。前例もないでしょう。でも、ともかく、ロビンは、ロビンの人生をいきはじめるのです。被害者でもなければ、刑事でもない。一人の、なんでもない人としての人生を。そこに正解はない。正解なんて誰にもわからない。

正直いって、私は、この20年間、カンピオンに無関心でした。虐げられる女性たちが、そこから逃れられない様子をスクリーンでみるのがつらかった。女性の置かれた厳しい現実に向き合いたくなかった。主には、スムースに展開する、ハリウッド産のコメディを摂取して、自分をごまかしてきたのです。でも、女性に対する差別、虐待、暴力は、まぎれもない、現実です。だから、それにまっこう、向き合い、かつ、面白い『トップ・オブ・ザ・レイク』を、ほんとうに、まぶしくおもいます。80年代の、ほの明るく先鋭的なカンピオンが戻ってきたようにも思えるし、同時に、虐待される女性を長い間描いてきたからこそできる容赦なく残酷な描写もある。これこそが、40年間、女性をめぐるストーリーテリングの世界の最前線で、あがいてきた、ジェーン・カンピオンの鋭敏な魂が与えてくれた果実だ、と思うのです。そして、それは、すごくフレッシュでした。ちゃんと、今を生きる、わたしの心象を、照射していた。

Covid 19の世界的な感染で、撮影が延期されていたましたが、カンピオンの新作、netflix製作の大作映画で、モンタナの牧場で育った兄弟の宿命の対決を描くジェシー・プレモンスとベネディクト・カンバーバッチ主演の『The Power of the Dog』の撮影が、ニュージーランド で始まったようです。間にはさまる女性を、キルスティン・ダンストが演じるそうです。原作は、1967年にトーマス・サーヴェージによって書かれた小説で、『エデンの東』や『ブロークバック・マウンテン』を彷彿とさせる雰囲気の小説ということなのです。カンピオンが、数年前に「今はじめて、自分は、男性を主演にした作品を撮りたくなっている」とインタビューで語っているのを読みました。「辺境に男二人と女一人」という、『ピアノ・レッスン』と同じ構図を、今の彼女が、どのように料理するのかが、ほんとうに、楽しみです。

(終)

木村有理子(きむら・ありこ) 映画監督。慶応義塾大学環境情報学部卒。角川大映に勤務の後、様々な媒体に映画評を寄稿。主な監督作品に『犬を撃つ』(カンヌ国際映画祭正式出品)、『わたしたちがうたうとき』(ソウル国際女性映画祭招待作品)、『くまのがっこうのみゅーじかるができるまで』(ドキュメンタリー)。

『トップ・オブ・ザ・レイク』ストーリー

ニュージーランド南部の小さな町に住む12歳の少女トゥイ。麻薬の密売人の父を持つ彼女がある日、妊娠したことを知り、湖にきえていく。彼女はトゥイを見つけ出せれば自らの過去にも整理がつくと考え、この事件にのめりこんでいく。やがて彼女の前に現れる謎の男たちとGJと呼ばれる老女。単なる失踪事件がやがて町を不安に陥れていく・・・。

『トップ・オブ・ザ・レイク〜チャイナ・ガール』ストーリー

ロビン・グリフインは10代で産んだ娘メアリーを追うようにシドニーへ。そこで街の警察署に配属になるが、過去の事件のことで周囲から冷ややかに見られてしまう。一方、引き取られたロビンの娘メアリーは里親のジュリアとの確執に悩んでいた。ある日、スーツケースに入れられた死体“チャイナ・ガール”が浜辺に打ち上げられ、ロビンは事件の捜査に乗り出す。17歳となったメアリーと再会したロビンだったが、メアリーが売春宿の危険な男と愛し合ってしまい・・・・・・。

『トップ・オブ・ザ・レイク』予告編

画像: 海外ドラマ『トップ・オブ・ザ・レイク』(予告) www.youtube.com

海外ドラマ『トップ・オブ・ザ・レイク』(予告)

www.youtube.com

原案、脚本、監督:ジェーン・カンピオン
監督:ガース・ディヴィス、アリエル・クレイマン
脚本:ジェラルド・リー
製作総指揮:エミール・シャーマン、イアン・カニング、ジェーン・カンピオン

出演:エリザベス・モス
   ピーター・ミュラン
   ホーリー・ハンター
   ニコール・キッドマン
   アリス・イングラート

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画像: 『トップ・オブ・ザ・レイク』発売・販売元:KADOKAWA © 2012 See-Saw (TOTL) Holdings Pty Limited, Screen Australia and Screen NSW Distributed under licence by BBC Worldwide Ltd.

『トップ・オブ・ザ・レイク』発売・販売元:KADOKAWA
© 2012 See-Saw (TOTL) Holdings Pty Limited, Screen Australia and Screen NSW Distributed under licence by BBC Worldwide Ltd.

画像: 『トップ・オブ・ザ・レイク〜チャイナ・ガール』発売・販売元:KADOKAWA © See-Saw (TOTL2) Holdings Pty Ltd. 2017

『トップ・オブ・ザ・レイク〜チャイナ・ガール』発売・販売元:KADOKAWA
© See-Saw (TOTL2) Holdings Pty Ltd. 2017

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