「冷戦期最大の謎のひとつ」(米ワシントン・ポスト紙)とされる、1961年国連チャーター機墜落事故の真相に迫る衝撃の問題作『誰がハマーショルドを殺したか』が、7月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開となります。

本作は、今もなお暗殺説が囁かれる第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルド謎の事故死にデンマーク人ジャーナリストで監督のマッツ・ブリュガーが迫ったドキュメンタリー。

この度、本作のタイトルにも入っておりますハマーショルドとはそもそも何者なの?という人のために、「1分で分かる国連事務総長ダグ・ハマーショルド」と題した特別本編映像を初解禁致します。

1953年に47歳で国連事務総長に選任されたダグ・ハマーショルドとは、反植民地を掲げてアフリカ解放のため精力的に活動していたが、56歳で死去した人物だ。映像では、ハマーショルドが第2次世界大戦後、植民地支配から独立を果たしたばかりのアフリカ各国を訪れる姿が映されている。”熱烈な理想主義者”として行動するハマーショルドが、「独立国は自国の力で進化しようとしている。国連に人道的、政治的、経済的支援を求める」と語る姿も。しかし、欧米の搾取を排してアフリカ諸国の独立を進める彼の行動は、旧植民地大国からは快く思われておらず「国連加盟国が死を望む事務総長がいるとすればハマーショルドだった」と彼の死の裏に大国の存在があった事を匂わせる映像となっている。「BlackLivesMatter」運動により、今改めて黒人への差別や経済格差に注目が集まっているが、現在より更に黒人、アフリカ諸国に対する国際社会の関心が低い50年以上も前に、率先してアフリカ諸国の平和維持に努め、欧米諸国による植民地支配からの解放運動を支持したハマーショルド。今日のアフリカ諸国の発展に多大な貢献を果たした彼を、一体誰が殺したのか。今回解禁された本編映像を見る事で、事件の糸口が掴めるはずだ。

【特別本編映像】1分で分かる!国連事務総長ダグ・ハマーショルド

画像: 【特別本編映像】1分で分かる!国連事務総長ダグ・ハマーショルド/映画『誰がハマーショルドを殺したか』 youtu.be

【特別本編映像】1分で分かる!国連事務総長ダグ・ハマーショルド/映画『誰がハマーショルドを殺したか』

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また、映像では収まりきらないハマーショルドに関する情報を、以下にまとめているので併せてご覧頂きたい。

■コンゴ問題
1960年、ベルギー領コンゴも65年間にわたるベルギーの支配を離れて、コンゴ共和国として独立。独立の混乱の中、内戦状態となったコンゴは混乱に乗じたアメリカとその同盟国対ソビエト連邦の代理戦争の戦場にならぬよう、国際連合に対して治安維持部隊を派遣するように要請。
冷戦下の中、大国の思惑により部隊の派遣が一時危ぶまれるが、ハマーショルドは怯むことなくコンゴ政府の要望にもとづいて国連軍を派遣し、治安維持に取り組む。アフリカの黒人たちの手に統治権を戻し、自分たちの未来を自分たちで決めることができるように行動するハマーショルドの存在は、大国にとって厄介な存在になっていく。治安回復により代理戦争の戦場になることは回避できたコンゴだったが、国内では同じ民族同士の争いが残っていた。1961年、民族同士の争いを話し合いで解決するため、ハマーショルドは現地に飛ぶ。しかし、ハマーショルドはコンゴで乗り込んだ飛行機が墜落して、志半ばで死亡した。

■経歴
1905年、スウェーデンの首相ヤルマル・ハンマルフェルドの四男として生まれたハマーショルド。裕福な家庭に生まれたハマーショルドは、同国の財務次官や外務次官などを経て、53年に第2代国連事務総長に就任するが在任途中の61年に死亡。国連平和維持軍を初めて派遣した功績や、大国から独立した姿勢が評価され、ノーベル平和賞を死後授与された。

映画『誰がハマーショルドを殺したか』予告編

画像: 映画『誰がハマーショルドを殺したか』予告編 www.youtube.com

映画『誰がハマーショルドを殺したか』予告編

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監督・脚本:マッツ・ブリュガー
撮影:トーレ・ヴォーラン 
音楽:ヨーン・エリック・コーダ 
出演:マッツ・ブリュガー、ヨーラン・ビョークダール

2019年/デンマーク=ノルウェー=スウェーデン=ベルギー/原題:Cold Case Hammarskjold/ビスタサイズ/123分/5.1ch

配給:アンプラグド
© 2019Wingman Media ApS, Piraya Film AS and Laika Film & Television AB

7月18日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

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