『眠るパリ』の巨大建築物

パリはスクラップアンドビルドを繰り返してきた東京とは比べようがないほど古い建築が取り壊されずに残っている。パリを訪れるとまずそのことに驚くが、もちろん建て替えられてその姿を見られなくなってしまった建築も数多い。その多くは匿名的な存在だが、中には映画の中で初めて出会い、今は埋もれて忘れ去られたパリの過去の層に思いがけず触れてしまったような感慨と快楽をもたらしてくれる建築もある。

たとえば、ルネ・クレールの『眠るパリ』(1924)。ラストにエッフェル塔からの俯瞰ショットがあるが、そこに見慣れない建築物が映り込んでいる。モニターの画面を静止して確認すると、その円形平面の巨大な建築物はその高さをしのぐ尖塔が両脇を固めさらにその前に広がる庭園を抱えるようにウィングが延びている。この建物は一体なんだろう?

調べてみると現在シャイヨー宮の立つ場所にあったトロカデロ宮であることがわかった。1878年の第3回パリ万博の際にメイン会場のひとつとして建設されたもので、1937年のパリ万博の際にシャイヨー宮を建てるために取り壊されたという。

セーヌを間に挟んでエッフェル塔と対峙するように立って異様なオーラを放つこの建物を俯瞰でとらえた映像には不意を突かれる思いがしたが、現在シャイヨー宮はその中心部分がテラス=ヴォイドとなっているためエッフェル塔と結ぶラインがそのまま北へと抜けていくのに対しトロカデロ宮は大きな図体でそのラインを受け止めアイストップになっていたのだ。デザインの異様さと合わせてこの界隈の空気感は現在とはずいぶんと異なるものであったろう。

画像: シャイヨー宮はトロカデロ宮のあった部分がテラス=ヴォイドになっている。左の建物には以前、シネマテーク・フランセーズが入っていた。

シャイヨー宮はトロカデロ宮のあった部分がテラス=ヴォイドになっている。左の建物には以前、シネマテーク・フランセーズが入っていた。

『地下鉄のザジ』のメトロ

ルイ・マルの『地下鉄のザジ』(1960)でも一瞬「この建物はなんだろうか?」と驚いた映像があった。ザジがメトロの中へと入ろうとするがストで閉鎖されていてかなわず泣き出してしまうシーンだ。このメトロの入口の建物、こんなデザインのものはパリの街を歩いていて今まで目にしたことがない。

これも調べてみるとバスティーユ広場にあったメトロの入口であることがわかった。アール・ヌーヴォーのデザインは、エクトール・ギマールの手によるものらしい。レストアして残していれば現在の殺風景な広場の雰囲気がいくぶんか和らぐのではとも思うが、新オペラ座とではあまりにもコンビネーションが良くないだろうか。それともある種の異化効果で人を呼びよせることになるだろうか。

画像: ギマール設計の建物はこの写真の左のほうに立っていた。ジャック・リヴェットの『アウト・ワン』(1971)ではジュリエット・ベルトがこの鉄柵に沿って歩くシーンがある。右端に見える水面はサン・マルタン運河の終点部分。

ギマール設計の建物はこの写真の左のほうに立っていた。ジャック・リヴェットの『アウト・ワン』(1971)ではジュリエット・ベルトがこの鉄柵に沿って歩くシーンがある。右端に見える水面はサン・マルタン運河の終点部分。

内野正樹
エディター、ライター。建築および映画・思想・文学・芸術などのジャンルの編集・執筆のほか写真撮影も行っている。雑誌『建築文化』で、ル・コルビュジエ、ミースら巨匠の全冊特集を企画・編集するほか、「映画100年の誘惑」「パリ、ふたたび」「ヴァルター・ベンヤミンと建築・都市」「ドゥルーズの思想と建築・都市」などの特集も手がける。同誌編集長を経て、『DETAIL JAPAN』を創刊。同誌増刊号で『映画の発見!』を企画・編集。現在、ecrimageを主宰。著書=『パリ建築散歩』『大人の「ローマ散歩」』。共著=『表参道を歩いてわかる現代建築』ほか

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