3月30日(土)より、映画『ナイトクルージング』 がアップリンク渋谷ほか全国順次公開となりました。

本作は、生まれながら目の見えない加藤秀幸さんが、『シン・ゴジラ』の制作チームや国内外で活躍する美術家・金氏徹平さんなど一流のクリエイターら、そして山寺宏一さんや石丸博也さん他、 豪華声優陣の協力を得て、SF アクション映画『ゴーストヴィジョン』を完成させるまでの過程を追ったドキュメンタリーです。

見えない監督の映画に、あなたは何を“観る”か?
生まれながらの全盲者の映画制作を追うドキュメンタリー

「あぁ、見えてない。それがどうした?」

視覚がなく、光すら感じたことのない全盲の加藤秀幸は、ある日映画を作ることを決める。加藤は、映画制作におけるさまざまな過程を通して、顔や色の実体、2D で表現することなど、視覚から見た世界を知っていく。また、加藤と共に制作する見えるスタッフも、加藤を通して視覚のない世界を垣間見る。見えない加藤と見えるスタッフ、それぞれが互いの頭の中にある“イメージ”を想像しながら、映画がつくられていく。

加藤の監督する短編映画は、近未来の宇宙の小惑星を舞台にした、生まれながらに全盲の男と見える相棒が“ゴースト”と呼ばれる存在を追う SF アクション映画。
それはまるで、映画制作の現場で浮かび上がる、見える/見えない世界の間に漂う何かとも重なる。

ドキュメントとフィクション、二つの世界に漂う“ゴースト”を、捕らえることはできるのか。

映画監督・佐々木誠と、全盲のミュージシャン・加藤秀幸僕らの青春は、ジャッキー・チェン。でもなぜ全盲の彼と映画の楽しさを共有できるのだろう

監督は、本作品の前作である『インナーヴィジョン』、『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』などマジョリティとマイノリティの境界線に焦点を当てた作品を多く手がけてきた佐々木誠。プロデューサーに、障害を“世界をオルタナティブに捉え直す視点”として、『音で観るダンスのワークインプログレス』などのプロジェクトを企画してきた田中みゆき。

また、加藤が監督する映画には、『シン・ゴジラ』『バイオハザード』シリーズのプリビズや CG の制作チーム、『ファイナルファンタジーXV』の開発チーム、国内外で活躍する美術家の金氏徹平、ミュージシャンのイトケンなど、幅広い分野のクリエイターたちが協力している他、山寺宏一、石丸博也など豪華声優陣、作家のロバート・ハリスもキャス トとして参加。前代未聞の映画制作をめぐる冒険ドキュメンタリー。

画像1: ©一般社団法人being there インビジブル実行委員会

©一般社団法人being there インビジブル実行委員会

公開にあたり山寺宏一さん、坂本龍一さんなど各界から絶賛コメントが到着!

山寺宏一さんは、『ゴーストヴィジョン』に参加したことについて「声の演技で勝負して来た自分にとってこの上ない喜び」と述べ、『ナイトクルージング』について「大切な何かを教えてくれている気がしてならない」と絶賛。また、 坂本龍一さんは、本作について「これは音楽だ」と音楽家ならではのコメント。

以下各界からの絶賛のコメントです!

加藤秀幸監督が作る『ゴーストヴィジョン』への出演オファーは、声の演技で勝負して来た自分にとってこの上ない喜びでした!
見えない監督が、スタッフ達と試行錯誤を繰り返し映画製作にチャレンジする姿は、見えているつもりで見えていなかった我々に、大切な何かを教えてくれている気がしてならない。
———山寺宏一(声優・俳優)

聴覚で何かを作り上げる。
そこにはストーリーがあり、山や谷があり、緊張と緩和がある。
これは音楽だと思った。
———坂本龍一(音楽家)

最初から最後まで驚愕の連続。
単なる障害者逆差別映画でも、視聴覚の実験映画でもない。
極端なまでのリアルがむせ返るほどのリアリティーショー。
———菊地成孔(音楽家/ 文筆家/ 映画批評)

日本語話者である私(たち)はふつう、日本語が通じない人を「何かが欠けた人」だとは思わない。
単に別の言語を使う人として、経験上、ある程度想像できる。
しかし、同じ視覚を持たない人(視覚障害者)については、つい「視覚の欠けている人」と思いがちである。
それを単に、視覚を偏重して生きている私(たち)とは別の感覚を持つ人、として想像するだけで、こんなにも世界が広がる。共感できない世界こそおもしろい。
———能町みね子(エッセイスト/漫画家)

我々みたいに視覚に頼って同じ映画を観ているつもりの人たち同士だって、話しててそれ同じ映画?みたいなこともあるし、もっと言えば、観ているものは本質的に違う。ましてそれをどう咀嚼するかについては絶対に違うわけで、全 部は一致はしないんだけど、すり合わせていって、ここはわかった気がする、けどここはわからないとわかる。そんなもんじゃない人間同士?という、そういう原理的なところまで描いている。
———ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティー)※TBS ラジオ「アフター6 ジャンクション」より

夢みること、もがくこと、生きること、すべての意味が自分の中で変わってゆきました。
———穂村弘(歌人)

これは希望を与えてくれる映画だ。とはいえ、万人にではない。なにかしら「自分には絶対にわからないから無理だ」 と思っているものを抱えている者にとって、ダイレクトに刺さることだろう。
———齋藤陽道(写真家)

視座の交代。
これからの世界をどう体験していくのかが、僕たちには大事だ。
僕は現在、左目が見えないけれど一時期は両目が見えなかった。
結局は手術で右目視力は回復したのだが、3 週間だけ両目の視力がない世界を体験出来た。
その時、いかに僕らの住む「社会」が視力情報に占められているのかが分かった。
近所のコンビニまでなら道を覚えてるだろうと家から出た瞬間に恐怖を感じた。
車の走行音があまりに大きく、そこから一歩も動けなかった。
『ナイトクルージング』でも加藤さんが車道ギリギリを歩くシーンが登場する。
僕はこの感覚を知ってるぞ!と思った。
ところが加藤さんと話すと違っていたのだ。「先天的な場合と後天的な場合で全然違うと思います。」そうなのだ。
世界はさらに幅広く、そしてある意味で「豊か」だ。
『ナイトクルージング』ではそんな世界の広がりを加藤さんが、そして加藤さんを手伝う様々な人たちが教えてくれる。教えてくれようとしてくれる。
ズレがあるかもしれない。勘違いがあるかもしれない。
その分だけ、様々な視座が重なり合い、世界は豊かになっていく。
そんな生々しい視座の交代を感じられる素晴らしい作品です!
———ダースレイダー(ラッパー)

主演の加藤さんの常に冷静な人がらに呼応してか、カメラもまた落ち着いて丁寧に加藤さんや映画スタッフの仕事ぶりを追っている。映画作りのことなら多少は自分も知っているはずなのに、彼らの映画作りの過程から目が離せない。
耳もいつもより使ったような気がする。冷静沈着な加藤さんが「興奮を抑えるのに必死だった」と告白する場面の、ストレートな感動。最初から最後までスリリングだった。
———三宅唱(映画監督)

盲目の人たちが生きているのは闇の世界ではない。
光はないかもしれないけど、そこは情報にあふれた豊かな世界なのだ。
僕たちが知っているのとは全く違った世界、今回のような映画つくりを通して、
そんな別の世界が出会い刺激しあったら何を生み出してゆくだろう?
楽しみでしょうがない!
———しりあがり寿(漫画家)

イメージというのは、かならずしも「視覚的」ではないかもしれない、と思っています。たとえばそれは、夢の中の世界のように、形や色が不安定に揺れ動く、ただ「存在」としてだけある世界かもしれない、というふうに。私は、そんな非視覚的なイメージを視覚下に実現する試みに惹かれてきました。それが私にとっての「建築をする」の意味だったと言っていいかもしれません。この映画は、本来的に視覚的世界とは別のイメージのなかで生きてきた人が、建築 以上に視覚的な世界である映画をつくる話です。そして、主人公の、生まれつき目が見えない彼もまた、目で見ることができないイメージの視覚化ということを目指します。つまり、視覚的世界に生きている人が常識的にとらえる非視 覚的世界のイメージを拒絶し、それがたとえ無理難題だとしても、非視覚的イメージそのものの視覚化を求めます。 ところが、視覚化という作業は、それがどう視覚的に捉えられるか、という逆算による検証がなければ成り立ちません。だから、彼は、視覚健常者がどう世界を捉えているか理解しようと勉強します。それは当然の作業だったと思います。しかしそうすることで、映画づくりは当初の目標から微妙にずれはじめます。次第に、彼のイメージが視覚世界に 侵され、滅却されていくようでもありました。不可能なことを目指している以上、視覚世界へ回収されていくことは仕方がないことなのかもしれません。彼はそのことを理解し、ある意味で諦め、退却し、目標を立て替えたようにも思 えます。だから、この映画づくりは成功であると同時に失敗であり、そのもやもやは、私に多くのことを考えさせてくれました。
———青木淳(建築家)

この映画は徹頭徹尾“裏方”の映画である。
光に対して闇、昼よりは夜、映画というスポットライトの陰で生きる有象無象の者たちこそがこの映画の本当の主人 公である。
同時に佐々木監督自らが目を閉じることで加藤監督に寄り添い、いつからかまことしやかに総合芸術と言われる“映画” というものが、誕生するかしないかの瞬間を私たちと共有しようとする。
言うなれば観客もいつの間にか目を閉じて一緒に“裏方”になってしまう映画だ。
そしていかにテクノロジーが進歩しようがしまいがその瞬間映画はただ単に“謎”であり夜の果てだ。
だからこそ最も危険で刺激的でもあるということをこの映画に関わった全ての人が指し示すことになる。
「自動運転じゃあ、つまらないぜ」
荒野を走り続ける夜の旅はまだ始まったばかりである。
———相澤虎之助(空族/脚本家・映画監督)

うまれてはじめて目をつむって映画を観た。
どきどきして、不安でもどかしくて、すぐに薄目を開けてしまった。
視界を閉じて、想像して、息継ぎみたいに目を開けて、またつむって。
暗闇を泳いでいるみたいだ、と思った。
映画というのは、観るほうも作るほうも、こんなに自由でいいのだと知りました。
———狗飼恭子(作家・脚本家)

主演の加藤さんのキャラが強いサイボーグみたいで、目が離せない。
映画ができるまでの工程を知ることができるドキュメンタリーでもある。
その工程の大変さや面白さに、加藤さんが全盲であることを途中途中忘れてしまう。
わたしが好きなのはオーディションするシーン。顔を見ないでどうやって判断するのだろう?
今まで、私は容姿で人を判断してきたことが多いと思うのだけれど、その判断はあってたのかな?と疑問に思うようになった。
上映中、観客は目が見える世界と見えない世界を行ったり来たりするゴーストになれる。
———青羊(けもの/シンガーソングライター)

無理難題に取り組む知性たちによる「チャレンジの連打」は多方面にインスピレーションを与えるだろう。
そして最終的に完成した作品については言及は避けるが、誰もが衝撃を受けるはず。
障がい者が主役なのに涙ゼロ、怒りゼロ、オモロイだけ。これは新たなステージの作品!
———村上賢司(映画監督・テレビディレクター)

佐々木誠監督『ナイトクルージング』がいよいよ完成した。
全盲者にとってナイト(夜中)やデイ(日中)は存在するのであろうか。
厳密には存在するかもしれないが、健常者が全盲の闇を旅することとはどんな意味を持つのか。 の映画は問いかける。表向きは。
しかし、佐々木監督は常にそのときの題材を通して、映像の本質を解剖してきた。
今回も映像の正体とは果たして何であるのか。
イメージと実在、虚像と映像との関係性をとことん突き詰める。
これは全盲者が映画をどう捉えているかや、全盲者のための映画では決してなく、
健常者と言われている我々にメスを入れる健常者のための視覚解剖映画である。
いままで誰にも見えなかった映像論である。
これは紛れもなく「デイクルージング」であった。
———ヴィヴィアン佐藤(ドラァグクイーン、美術家)

映画『ナイトクルージング』は人と人とのどうしようもない「違い」や「わかりあえなさ」、
世の中の固定観念を、対立や区別を越えて、クリエイティブへと転換させていく、映画という媒体と試行錯誤を経て。
その試みは「この映画制作自体がソーシャリー・エンゲイジド・アート」とも言えるが、
ともかくただただ、そこに照射される希望と可能性に目が眩んだ。
———鈴木沓子(ライター・翻訳)

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©一般社団法人being there インビジブル実行委員会

映画『ナイトクルージング』

監督:佐々木誠
プロデューサー:田中みゆき
出演:加藤秀幸
山寺宏一、能登麻美子、神奈延年、金氏徹平、ロバート・ハリス、小木戸利光、三宅陽一郎、石丸博也 ほか

企画・製作・配給:一般社団法人 being there、インビジブル実行委員会

配給協力・宣伝協力:アップリンク

(2018 年/日本/144 分/16:9/DCP)

エンディングテーマ 『めたもるセブン』けもの(Sony Music Artists Inc. / TABOO)

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