トラバタンズの庭   今泉力哉

第1章 北野肉太と私

 友達の北野肉太は映画監督だ。友達と思っているのは私だけで肉太はそうは思っていないかもしれない。そもそも友達ってどういう人のことを指す言葉なのだろう。そんなに会っていなくても友達と呼べる人はいる。逆に仕事仲間など、どうしてもお金が絡んだり損得感情が生まれてしまう間柄の人を友達とは呼べない気もする。そういう風に考えていくと、つまるところ、友達なんてひとりもいない、か、もしくは、あたし友達たくさんいますよ、のどちらかになる気がする。ふむ。私には友達と呼べる人がいるのだろうか。肉太は本当に私の友達なのだろうか。うーん。寝る。寝ちゃう。頭を使うと眠たくなる。いや、寝ませんけど。さて、友達についての話はこれくらいにして。

 現在の肉太は自主映画監督ではない。プロの映画監督である。商業の映画監督。ものすごく低予算だけど収入を得ていて、それこそ長くても1週間から10日間とかで長編映画を撮影しているが、収入を得ている以上、プロの映画監督である。1本で20万から100万。どうやっても食べていける金額ではない。それでも肉太はプロだ。

 肉太が映画監督を目指したきっかけ。それは、映画が好き。映画監督ってなんかかっこいい。もてそうだ。そのくらいの動機だったらしい。1999年、名古屋にあるよくわからない芸術系の大学で初めて映画制作を開始するも、卒業制作のできで、ああ俺は映画監督にはなれないんだなと悟り、最初の挫折。卒業後、なぜか1年間の大阪芸人生活を経て、2004年4月、やっぱり映画を諦めきれずに上京。上京すると決めた2月に心斎橋の映画館で封切初日に見た『ジョゼと虎と魚たち』がさらに映画への背中を押したことを、肉太はよく話していた。号泣しながら自転車を漕いで新今宮のアパートに帰った話を何度も聞いた。私自身はそこまでジョゼに思い入れがないから、そうなんだ、としか言えなかった。上京して1年か半年かよくわからない映画学校に通い、映画制作を再開。卒業制作で強制的に1本短編映画を撮って卒業上映会でお披露目。来てくれたモスバーガーのアルバイト仲間や知人たちから「うん、思ってたより面白かったよ」と言われ、「ああ、ありがとう。忙しかったでしょ。ごめんね、わざわざ」などと応じる。自分の映画が全然面白くないことくらい、自分が一番よくわかっていた。

 その後、渋谷にできた新しい映画館のオープニングスタッフ(今も名前を変えて存在している)やコンビニ、品川プリンスホテルのフードコート、ビリヤード場など、さまざまなアルバイトを転々としたりかけもちしたりしながら、映画学校の同級生たちと所謂「自主映画」と呼ばれる映画をつくり続ける。自主映画とは不思議な映画だ。誰から頼まれる訳でもなくこの世に誕生する映画。自由につくれる映画。締切もない。劇場でかかることを前提につくられていないのだから興行を気にすることもない。それゆえ、ある商業映画の監督は言う。「自主映画で傑作をつくるのは簡単だ。でも商業映画で傑作をつくるのは難しい」と。その発言をどこからか耳にした肉太は、ださいな、と思った。言い訳じゃん、と思った。おまえに映画の才能がないだけだろ、と思った。家でアイスを6本連続で食べながら、そう思った。

 その翌日(どの翌日だって肉太にとっては大して変わりはしないのだ)。肉太はひとり、ラーメンを食べていた。「一」と言う名のラーメン屋で、もやしたっぷりのラーメンを食べていた。一の店内にはラジオが流れていて、雀鬼こと桜井章一がゲストとして出演していた。無論、ラジオなので顔も見えない。声だけしかわからないのに、そのラジオ局のブースの緊張感、MC2人(女性と男性)を圧倒している桜井さんのその場の空気を支配している湿度が肉太に伝わってきた。媚びない。桜井さんは媚びない。4つの頬と2つの額、2つの首筋と4つの脇に流れる汗も見える気がした。ぴちょん。肉太のどんぶりに水滴が落ちた。まさか2人の汗が?否、そんなはずはなかった。では自分の汗か。否、肉太の汗でもない。肉太は天井を見上げた。雨漏りか。しかし天井には染みひとつない。もう一度どんぶりを眺めた。1、2、3、、、と10まで心の中で数えた。しかし、もう2度と水面が波紋をつくることはなかった。肉太はその水滴の原因を突き止めようと自分の顔、天井、まわりの空間を再度、見渡した。しかし、結局、わからなかった。肉太はあまり気にせず残りのラーメンを食べ続けた。その間も桜井さんの声が店内に響いていた。この時の肉太は数分後にラーメンを食べ終えて会計をする際、財布の中の小銭をかき集めても34円足りなくて、でもどうすることもできなくて、「あれ?」「あれぇ?」と言いながら財布や鞄を何度も何度も汗びっしょりになりながら探すふりをし、店主に「もういいよ」と呆れられ、「ほんと、すみません。今度来た時に必ず」などとぺこぺこしながら店を去ることになるなんて想像もしていなかった。

 2008年。秋。映画制作を続けていた肉太は、彼の5作目にあたる作品がたまたま友人が勝手に応募していた小さなインディーズ映画祭でグランプリをとったりもするが、その賞品がその土地の特産品の野菜の盛り合わせ(後日、ダンボールで郵送されてきたが肉太は料理をしない上、冷蔵庫すらなかったから困った)だったりして、それでプロになれるはずもなく、相も変わらずアルバイトの日々を過ごしていた。グランプリをとれば何か変わると思っていた部分もあったからその野菜たちは肉太を少し絶望的な気分にした。アルバイト先の映画館でかかる商業映画の監督が自分より年下なことも少なくなくなり、へんてこな気持ちになったりもするが、いざその映画を見てみると大して面白くなくて、「なんだ、つまんねえじゃん」などと心の中で呟いていればいいものを、映画学校の同級生などと酒を飲んでは「あれ、超つまんなかったな」などと、完全に嫉妬まじりに愚痴り倒す日々を過ごした。あ、今さらではあるが、肉太は痩せている。肉太という響きから勘違いしている方もいるかもしれないので(まあ絶妙なタイミングではないと思うが)読者の皆様に伝えておく。身長181cm、体重57kg、極度の猫背。早稲田の風呂なし4畳半に住んでいて、夏場は毎日銭湯に通っていたが、冬場には数日に1回、数週に1回、月に2回、などとさぼっているうちに、股間に蜘蛛の巣ができたことがある。あ、それは肉太と私の間で誰にも言わない約束になっていたんだった、ここだけの秘密にしてほしい。彼にもきっと見栄や恥、小さいながらもプライドがある。内緒でお願い。

 さらに半年が経ち、年も変わった2009年。冬。自主映画をつくるお金もなくなってどれくらい経っただろうか。もう時間や季節なども肉太にはよくわからなくなっていた。私は憶えている。確かに2009年の冬だった。ある日の昼、肉太の携帯が鳴った。その時、肉太はどこぞの駅のホームにいたらしい。知らない11桁の番号。それはまだ会ったこともない谷口という映画プロデューサーからで「北野さんが卒業制作で撮った映画を見ました。それで、実は今、弊社で企画している映画の監督候補として北野さんの名前を会議で挙げさせていただきたいのですが一度お会いできませんか?」などと言うものだから「え、ほんとですか。ぜひ」などと応え、肉太は日程を調整して会うことにした。

 2月23日14時。あいにくの雨だった。しかし、肉太は元来雨男で「何かいいことがある日は雨が降ることが多い」と普段から公言していたので、その雨をとても肯定的に捉えていた。いいぞ、いい予兆だ、と。Kという映画会社はいやに馬鹿でかいビルで、そういう建物に免疫が一切ない肉太は「でっか」と無意識に発していた。受付にはきれいな女性がいた。飴をなめている訳でもないのに頬を膨らませたり凹ませたりしていた。舌で。たぶん舌で。でかいビルの受付嬢は皆こうも嫌らしいものなのだろうか、と肉太は思った。谷口さんと待ち合わせしている旨を伝えると「どうぞ」と首からさげる外来者用のパスを渡され、それを首からさげていると「あちらです」と言った直後には、また舌で頬を膨らませながらエレベータの方を指し示した。谷口さんはこういう女性を抱いているのだろうかなどと考えたりしながら、その方向にあるエレベータで19階まであがった。「19階・・・」と肉太はまた無意識のうちに口にし、このビルの大きさを改めて確認しながら変わるデジタルの数字を見ていた。デジタルの表記は一部の縦棒が壊れていて、「8」が「6」と表記された。肉太は少し怖くなった。と同時になにかを期待していた。二度目の「15」が表示され、扉が開いた。

 谷口さんの風貌や詳細については敢えて言うほどの特徴もないので割愛させていただく。読者のそれぞれが思い描く、いかにもな映画プロデューサーを想像してもらったらいいと思う。うすい黄色のカーディガン。なにやらバツイチ。お洒落な感じで若づくりな感じの、でもいけてない眼鏡。45歳前後。白髪まじりの6:4に分けられた波打つ長過ぎない髪。あなたの想像とそんなに大差ないだろう。あ、割愛しなかった。まあいい。私は谷口さんが嫌いだ。

 名刺を交換したり、珈琲を出されたりして、簡単に挨拶を終えた後、谷口さんは話し続けた。「やれ才能がある」とか。「やれ次世代を担う」とか。なんだかんだ褒める谷口さんに肉太は悪い気はしなかったが、彼が会話の途中で引用する彼曰く傑作な映画の数々が、すべて肉太が苦手な糞つまらない映画ばかりで、肉太は「へぇ」とか「はぁ」とか「ですよね」とか「見てないです。見てみます」とかの相槌を打ちながら、困惑した。俺、この人、苦手だなあ、と思った。しかし、そこは肉太、持ち前のなんちゃらでうまいこと本音に気づかれることなく乗り切っていた。そして本題。小説をあまり読まない肉太がここ数年で読んだ中でも断トツで面白がれなかった小説の映画化の話をふられた。よりによってだ。しかもその小説家はテレビにも出たりしている人で、肉太はあまり人のことを嫌いにならないがその人のことは生理的に無理だった。嫌いだった。肉太はキリスト教徒で、嫌いな人のために祈りなさい、的なことを幼少期から教わっていたが、それでも無理だった。肉太は一応、精一杯、気を遣って「まじですか」と控えめに言った。谷口さんの耳にはその言葉が「まじですか!やったあ!」と変換されて届いたらしく、それは困ると思った肉太は「あ、あ、あの、今回のお話は誠にありがたいのですが、お断りさせていただきます」「え、ちょっと待ってよ。どうして?」「・・・」「監督もやっぱりオリジナルがやりたい人?」「いや、そういう訳ではないんですけど」「じゃあ、何かな?僕、なんか気に障ること言ったかな?」「いや、ちょっと合わないかな、と。谷口さんと俺が」「・・・え?」「すみません。時間を無駄にしたくないので、谷口さんの時間。ほんと、すみません。他の人にあたってください」と言って、冷めきった珈琲を一気、席を立ち、一礼、「失礼します」と会議室を後にした。エレベータは6つもあり、今度のエレベータの表示板は壊れていなかった。どうせもう二度とこのビルに来ることはないだろう、そう思った肉太は、件の受付嬢にパスを返す際に「おきれいですね」と声をかけ、名刺を渡した。

 雨は止んでいた。いっそ降っていてほしかった。傘を忘れた。家まで2駅。肉太は電車を使わずに歩いて帰った。歩きたい気分だった。そして、歩きながらも考えていたことがある。なぜ、プロデューサーは皆、自分のことを「僕」と言うのだろう。これは今後、肉太がさまざまな映画をつくっていく間、いろんなプロデューサーと会う中でずっと思い続けていくことになることの1つだった。ライターさんの「なるほど」と同じく、なぜか肉太はそれが気になった。嘘くさく感じてしまうのだ。別に偉そうだとは思わないけど、実際に偉いであろう人たちの使う「僕」に肉太は違和感を隠せない。肉太自身は「俺」か「自分」を使った。そうこうしているうちに上京して以来、住み続けている早稲田の風呂なし4畳半の部屋に到着。肉太は久々に脚本なんぞ書こうとパソコンを立ち上げようとしたが、壊れていて起動しなかった。しかたなく肉太はアイスを買いに出かけた。昔、アルバイトをしていた最寄りのコンビニ。今では知っている人も1人もいなかった。時は流れている。いつもの6本入りの箱アイスを手にレジに向かった。冷蔵庫がないから部屋に戻ったら6本連続で食べなければならない。それでも肉太は箱のアイスを買う。レジで会計をしていると、ダーッという信じられない音とともに滝のような雨が降り出した。肉太は今日の自分の行動が肯定されているような気がして思わず笑った。そして傘を買った。すると雨は嘘のように止んだ。撮影時に誰かが降らせている偽物の雨みたいにぴたっと止んだ。雨男や雨女の人は絶対に経験したことがあると思う。傘を買うと雨は止むのだ。軒先に宿ると雨は止むのだ。「どうします?」とアルバイトの男が言った。「ああ、大丈夫です。買います」と肉太は返した。「この先どうなるかわからないので」

 プロフェッショナルとは何か。肉太はいまだにそんなこと考えたこともなかった。でも、それでも、肉太はいつかプロの映画監督、商業の映画監督になる日を夢見ていた。そして、実際になった。この年の夏、肉太は緑内障になった。私はお察しの通り、件の受付嬢だ。

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