京都文化博物館フィルムシアター、追悼映画女優原節子、1月19日と22日は『青い山脈』(1949)。20日と23日は『続・青い山脈』(1949)を上映。
石坂洋次郎による原作は、1947年6月から10月にかけて朝日新聞に連載され、大好評を博した。
脚本は、当時まだ新進だった井出俊郎。
「これは忠臣蔵で行きましょう」と歌舞伎の忠臣蔵での十二段返しを適用、「最後に皆で自転車旅行するというラスト、これが泉岳寺の引き揚げです」と軽快なテンポとしっかりした構成で脚本化を果たす。

原節子がここで演じるのは、戦後も残る封建的な考え方に新風を起こすべく奮闘する英語教師。
「女が女らしくというのは男の人の都合にすぎなかった」と強く主張し、戦後、解放された新しい時代を生きるようとする姿をいつになく力強く堂々と演じている。

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

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画像: 『青い山脈』 1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ 原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 (C)京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

『青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ
原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 (C)京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

『青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ
原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 


『青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ
原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 撮影:中井朝一 美術:松山崇 録音:下永尚 照明:森茂 音楽:服部良一 主題歌:作詞/西條八十、作曲/服部良一「青い山脈」歌/藤山一郎、奈良光枝 「恋のアマリリス」歌/二葉あき子 コロムビアレコード吹込
出演:原節子(島崎雪子)、木暮実千代(梅太郎)、池部良(金谷六助)、伊豆肇(ガンちゃん)、竜崎一郎(沼田玉雄)、若山セツ子(笹井和子)、立花善枝(駒子)、山本和子(松山浅子)、杉葉子(寺沢新子)、三島雅夫(井口甚蔵)、田中栄三(武田校長)、島田敬一(八代教頭)、藤原釜足(岡本先生/第一協団)

画像1: 『青い山脈』 1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ 原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

『青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ
原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive


ひょんな事から六助と知り合った新子のもとに偽のラブレターが届いた。どうやらクラスメイトの仕業らしい。新子から相談を受けた英語教師・島崎雪子は、卑しい好奇心から友人を試し男女の交際をからかうのは間違っていると生徒たちを諭す。だが偽の手紙を書いた生徒・浅子は、母校の風紀を守るためにしたのだと主張する。他の女生徒達も浅子に同調、教員達も雪子を非難した。やがて事件は新聞に取り上げられ、町中の大問題となった。学校側はこの問題の裁定を理事会に一任。雪子に想いを寄せる校医・沼田や、芸者の梅太郎とその妹・和子、六助やその級友らが雪子に協力し、理事会にむけ準備を進めるが・・・。

画像2: 『青い山脈』 1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ 原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

『青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ
原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

『青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ
原作:石坂洋次郎 脚色:今井正、井手俊郎 監督:今井正 製作:藤本真澄 


『続・青い山脈』
1949(昭和24)年藤本プロ・東宝作品/91分・モノクロ


*スタッフ・キャストは『青い山脈』を参照
偽ラブレター事件をめぐって、新旧勢力の対立の場となった理事会を数日後に控えた夜、沼田が町の有力者で学校の理事長でもある井口の手下によって暴行を受けた。
容体を心配し、花を持って見舞いに行く雪子の心に不安がつのる。いよいよ理事会当日、だがそこに雪子の姿はない。経過報告が終わる頃、出席しないようにと言い渡されていた雪子が入ってきた。
「どんな厳しい批判でもはっきりお伺いしたいと存じます。」
堂々としたその態度に、会はそのまま続けられ、問題のラブレターが読み上げられたが・・・。


石坂洋次郎による同名の原作は、1947年6月から10月にかけて朝日新聞に連載され、大好評を博した作品。
その人気に目を付けた各映画会社はこぞって映画化の希望を申し出る。
今井正監督での映画化を企画したプロデューサーの藤本真澄に対抗して、松竹は木下恵介監督での映画化を提案。勝ち目はないと居直っていたところ、原作者の石坂氏の意見で東宝での映画化が見事決定した。

脚本は、当時まだ新進だった井出俊郎を起用。
「これは忠臣蔵で行きましょう」と歌舞伎の忠臣蔵での十二段返しを適用、「最後に皆で自転車旅行するというラスト、これが泉岳寺の引き揚げです」と軽快なテンポとしっかりした構成で脚本化を果たす。
だが1948年8月19日に起きた第3次東宝争議によって、東宝は製作業務の停止が決定、本作も撮影の中断を強いられる。
これを機に撮影所の責任者であった藤本は東宝を退社。自ら株式会社藤本プロダクションを創設、資金を東宝からあおいで、全責任を藤本プロが負う形となり、製作は再開される運びとなった。

原がここで演じるのは、戦後も残る封建的な考え方に新風を起こすべく奮闘する英語教師。
「女が女らしくというのは男の人の都合にすぎなかった」と強く主張し、戦後、解放された新しい時代を生きるようとする姿をいつになく力強く堂々と演じている。

原を中心に池部良と木暮実千代、藤原釜足といった巧い役者が脇を堅め、東宝ニューフェイス達を学生役でキャスティングするという、新鮮さと味わいを兼ね備えた布陣をとった。
学生、教師、芸妓たちはそれぞれの個性を遺憾無く発揮し、また理知的で、すすんで忠誠を尽くしたくなるような原を女教師として配置することにより、女性達が改革のリーダーシップをとって男性が嬉々としてそれに従うという構図が自然に受け入れられた。

本作は井手脚本と躍るような晴れ晴れとした今井演出により、いきおい教訓的になりがちだった民主主義・女性解放映画の中で、“若く明るい歌声に〜”という主題歌と共に“民主主義は楽しい”という新鮮な感覚を与え好評をもって迎えられた。
(キネマ旬報賞第2位作品)

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

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