戦前から1960年代にかけて日本映画を代表する女優として活躍した原節子(はら・せつこ、本名会田昌江=あいだ・まさえ)さんが9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去したことが25日分かった。95歳。横浜市出身。
 35年に映画デビュー。37年、日独合作映画「新しき土」でヒロインに抜てきされ、新進女優の地位を確立した。
 戦後、今井正監督「青い山脈」に主演。「晩春」「東京物語」など小津安二郎監督の代表作でヒロインを演じた。黒沢明監督「白痴」や成瀬巳喜男監督「めし」など、日本映画史を飾る名作に出演し、42歳で引退した。                           (共同通信)

画像1: http://alpacask.com/article/1297/

http://alpacask.com/article/1297/

画像2: http://alpacask.com/article/1297/

http://alpacask.com/article/1297/

戦後、黒沢明監督の「わが青春に悔なし」に主演。たくましく生きるヒロインを演じて演技派を印象づけた。47年フリーになり、松竹の吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」「誘惑」に主演、一段と成長した。
 49年に木下恵介監督「お嬢さん乾杯!」、今井正監督「青い山脈」、小津安二郎監督「晩春」に主演したことで、熱狂的な人気を集めるのと同時に、お嬢さん女優的な一面を払拭(ふっしょく)、円熟期を迎えた。この3作品で毎日映画コンクール女優演技賞を受賞した。
 51年には黒沢監督の「白痴」、小津監督の「麦秋」、成瀬監督の「めし」に主演。「麦秋」と「めし」は、毎日映画コンクール日本映画賞を分け合ったほどの名作。原さんも2度目の同コンクール女優演技賞を受賞した。
 53年には小津監督の「東京物語」に出演。老父母の面倒をみるけなげな次男の嫁の役で観客を魅了した。翌年には成瀬監督「山の音」で、寂しさに耐える人妻を演じた。
 54年東宝映画「福沢諭吉」のセット入り直前に白内障と診断されたが、55年、倉田文人監督「ノンちゃん雲に乗る」で、初の母親役を演じてカムバック。その後、小津監督の「東京暮色」「秋日和」「小早川家の秋」、成瀬監督の「娘・妻・母」、稲垣浩監督の「日本誕生」「ふんどし医者」などで、つつましいが、シンのしっかりした人妻といった役を好演した。

画像: http://topicks.jp/16009

http://topicks.jp/16009

小津安二郎

昭和26年「原節子ほど理解が深くてうまい演技をする女優は珍しい。『原節子は大根だ』と評するのはむしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだ。実際、お世辞抜きにして、日本の映画女優としては最高だと私は思っている。」

笠智衆

著書『大船日記』で「原さんは、きれいなだけじゃなく、演技も上手でした。ほとんどNGも出しません。めったなことでは俳優を褒めなかった小津先生が、『あの子はウマいね』とおっしゃっていたのですから、相当なもんです」
「普段はおっとりとして、気取らない方でした。美人に似合わずザックバランなところもありました。撮影の合間に、大きな口を開けて『アハハ』と笑っとられたことを覚えています」と回想している

『東京物語』小津安二郎

『東京物語 ニューデジタルリマスター』予告編

youtu.be

日本映画の黄金時代に活躍した伝説の女優・原­節子が、デビュー間もない16歳のときに主演した映画。この作品で地位を確立。
日本初の国際合作映画として製­作された本作は、「聖山」、「死の銀嶺」、「モンブランの嵐」などレニ・リーフェンシ­ュタールが出演した山岳映画で知られるドイツの巨匠アーノルド・ファンクと、日本の伊­丹万作(伊丹十三の父)による共同監督作で、1937年(昭和12年)に日本国内はも­とより、ヨーロッパを中心に世界各国で公開されて大ヒットを記録。

『新しき土』

『新しき土』予告

youtu.be

出演作 (wikipediaより)

『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲 監督、1935年) 節子
『深夜の太陽』(倉田文人 監督、1935年) 君江
『魂を投げろ』(田口哲 監督、1935年)女学生(現存する最古の原節子作品とされる。)
『緑の地平線』前篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり (原節子初のトーキー作品)
『緑の地平線』後篇(阿部豊 監督、1935年)ゆかり (原節子初のトーキー作品)
『白衣の佳人』(阿部豊 監督、1936年) 由紀子
『河内山宗俊』(山中貞雄 監督、1936年)お浪
『嫁入り前の娘達』(吉村廉 監督、1936年) 杉浦美枝子
『生命の冠』(内田吐夢 監督、1936年) 有村絢子
『丹下左膳 日光の巻』(渡辺邦男 監督、1936年) おまつ
『検事とその妹』(渡辺邦男 監督、1937年) 明子
『新しき土』(アーノルド・ファンク 監督、1937年)大和光子
『東海美女伝』(石田民三 監督、1937年) お由利
『母の曲』前編(山本薩夫 監督、1937年) 桂子 (原作は吉屋信子)
『母の曲』後編(山本薩夫 監督、1937年) 桂子
『巨人伝』(伊丹万作 監督、1938年)千代 (主演は大河内伝次郎、『レ・ミゼラブル』の翻案。)
『田園交響楽』(山本薩夫 監督、1938年)雪子 (アンドレ・ジッドの同名作の翻案。)
『将軍の孫』(渡辺邦男 監督、1938年) 笹野南枝
『冬の宿』(豊田四郎 監督、1938年) 三宅和子
『美はしき出発』(山本薩夫 監督、1939年) 都美子
『忠臣蔵』前後編(滝沢英輔、山本嘉次郎 監督、1939年) おてる
『上海陸戦隊』(熊谷久虎 監督、1939年)明珠 (義兄熊谷久虎の作品への初出演)
『街』(山本薩夫 監督、1939年) 苑生
『女の教室』前編(学校の巻・七つの俤)(阿部豊 監督、1939年) 陳鳳英
『女の教室』前編 中後編(人生の巻・美しき星、戦争の巻・心の花)(阿部豊 監督、1939年) 陳鳳英
『東京の女性』(伏水修 監督、1939年)君塚節子
『光と影』前後編(島津保次郎 監督、1940年) 桂佐保子
『東遊記』(大谷俊夫 監督、1940年) 女優 (満州映画協会と東宝映画の提携作品。)
『嫁ぐ日まで』(島津保次郎 監督、1940年)生方好子
『蛇姫様』第一編(衣笠貞之助 監督、1940年)琴姫
『女の街』(今井正 監督、1940年)いね子
『二人の世界』(島津保次郎 監督、1940年)さち子
『姉妹の約束』(山本薩夫 監督、1940年) 幸子
『兄の花嫁』(島津保次郎 監督、1941年)原田昌子
『大いなる感情』(藤田潤一 監督、1941年)高田篤子
『結婚の生態』(今井正 監督、1941年)中村春子
『指導物語』(熊谷久虎 監督、1941年)瀬木邦子
『希望の青空』(山本嘉次郎 監督、1942年)千鶴子
『青春の気流』(伏水修 監督、1942年)槙子(脚色は黒澤明)
『若い先生』(佐藤武 監督、1942年)平山富美子
『緑の大地』(島津保次郎 監督、1942年)上野初枝
『母の地図』(島津保次郎 監督、1942年)岸桐江
『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎 監督、1942年)立花きく子
『阿片戦争』(マキノ正博 監督、1943年) 愛蘭
『望楼の決死隊』(今井正 監督、1943年)高津由子
『若き日の歓び』(佐藤武 監督、1943年)穂積泰子
『決戦の大空へ』(渡辺邦男 監督、1943年)村松杉枝
『熱風』(山本薩夫 監督、1943年)平沼久美子
『怒りの海』(今井正 監督、1944年)平賀光子 (1943年2月に死去した平賀譲の伝記映画)
『勝利の日まで』(成瀬巳喜男 監督、1945年) (冒頭の15分のみ現存、原節子はクレジットされているが出演場面を確認できないため、原節子作品リストに掲載されることがない幻の作品。)
『北の三人』(佐伯清 監督、1945年) (昭和20年8月5日(あるいは9日)公開で戦中公開の最後の日本映画とされる。)
『緑の故郷』(渡辺邦男 監督、1946年) 栗山マキ
『麗人』(渡辺邦男 監督、1946年) 菊小路圭子
『わが青春に悔なし』(黒澤明 監督、1946年)八木原幸枝
『かけ出し時代』(佐伯清 監督、1947年) 智田美也子
『安城家の舞踏会』(吉村公三郎 監督、1947年) (原のフリー第一作にして初の松竹作品。)
『女だけの夜』(倉田文人 監督、1947年) 由利しげ子
『三本指の男』(松田定次 監督、1947年)白木静子 (横溝正史の『本陣殺人事件』の映画化。)
『誘惑』(吉村公三郎 監督、1948年)孝子
『時の貞操』前編 (吉村廉 監督、1948年)森しづ江 
『時の貞操』後編(吉村廉 監督、1948年)森しづ江
『颱風圏の女』(大庭秀雄 監督、1948年)佐藤久里子
『幸福の限界』(木村恵吾 監督、1948年)高松由岐子
『殿様ホテル』(倉田文人 監督、1949年)長岡アキ
『お嬢さん乾杯』(木下惠介 監督、1949年)池田恭子 (原節子唯一の木下惠介監督作品。)
『青い山脈』(今井正 監督、1949年)島崎雪子
『続青い山脈』(今井正 監督、1949年)島崎雪子
『晩春』(小津安二郎 監督、1949年)紀子 (初の小津安二郎監督作品。)
『白雪先生と子供たち』(吉原廉 監督、1950年)雨宮加代子
『女医の診察室』(吉村廉 監督、1950年)田島文子
『野生』(沢村勉 監督、1950年)ユキ (沢村勉監督の第一回監督作品。)
『七色の花』(春原政久 監督、1950年)柏木照子
『白痴』(黒澤明 監督、1951年)那須妙子 (四時間二十五分の大作として完成したが、会社の要求で削られ、最終的に二時間四十五分で公開された。黒澤明が「フィルムを切るなら縦に切れ」といった逸話で知られる。)
『麦秋』(小津安二郎 監督、1951年)間宮紀子
『めし』(成瀬巳喜男 監督、1951年)妻・三千代 (本作は1951年度の日本映画文化賞作品賞、世界映画社賞作品賞、毎日日本映画コンクール日本映画賞(『麦秋』との共同受賞)など多くの賞を得る。)
『風ふたたび』(豊田四郎 監督、1952年)久松香菜江
『東京の恋人』(千葉泰樹 監督、1952年)ユキ
『恋の風雲児』(山本嘉次郎 監督、1953年)雪子
『白魚』(熊谷虎久 監督、1953年)上村幸子
『東京物語』(小津安二郎 監督、1953年)紀子 (小津安二郎監督の代表作にして原節子の代表作。)
『山の音』(成瀬巳喜男 監督、1954年)尾形菊子 (川端康成原作作品。)
『ノンちゃん雲に乗る』(倉田文人 監督、1955年)お母さん
『美しき母』(熊谷虎久 監督、1955年)光代
『驟雨』(成瀬巳喜男 監督、1956年)並木文子
『愛情の決算』(佐分利信 監督、1956年)勝子
『婚約三羽烏』(杉江敏男 監督、1956年)松川女史 (原節子初のカラー作品。)
『女因と共に』(久松静児 監督、1956年)杉山保安課長
『兄とその妹』(松林宗恵 監督, 1956年) 妻・あき子 (島津保次郎監督の昭和14年松竹作品のリメイク)
『大番』(千葉泰樹 監督、1957年)森可奈子
『東京暮色』(小津安二郎 監督、1957年)沼田孝子
『智恵子抄』(熊谷久虎 監督、1957年)智恵子(高村光太郎の同名詩集を基にした作品。)
『続大番 風雲編』(千葉泰樹 監督、1957年)森可奈子
『最後の脱走』(谷口千吉 監督、1957年)看護婦・とみ子 (初のワイドスクリーン作品。)
『続々大番 怒涛編』(千葉泰樹 監督、1957年)森可奈子
『女であること』(川島雄三 監督、1958年)佐山市子
『東京の休日』(山本嘉次郎 監督、1958年)ファッション協会理事長 (山口淑子映画生活二十年記念作品。)
『大番 完結編』(千葉泰樹 監督、1958年)森可奈子
『女ごころ』(丸山誠治 監督、1959年)伊曽子
『日本誕生』(稲垣浩 監督、1959年)天照大神(アマテラス大神)(東宝映画1000本製作記念作品。)
『路傍の石』(久松静児 監督、1960年)吾一少年の母
『娘・妻・母』(成瀬巳喜男 監督、1960年)曽我早苗
『ふんどし医者』(稲垣浩 監督、1960年)蘭方医の妻・いく
『秋日和』(小津安二郎 監督、1960年)三輪秋子
『慕情の人』(丸山誠治 監督、1961年)三浦聡子
『小早川家の秋』(小津安二郎 監督、1961年)小早川秋子
『娘と私』(堀川弘通 監督、1962年)千鶴子 (獅子文六の自伝の映画化。)
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(稲垣浩 監督、1962年)大石内蔵助の妻りく (原節子最後の出演作品。)

This article is a sponsored article by
''.