「受賞者記者会見」登壇者コメント (31日登壇可能な受賞者のみ)

◆【東京グランプリ受賞 】
『ニーゼ』ホベルト・ベリネール(監督)

私達(映画の作り手)は、賞を取れるかもしれない、とある種期待しているところがあります。
しかし他にも良い映画が沢山ありますし、個人的な趣味もありますので、実際に受賞できるかどうかは、そのチャンスによって ではあるかと思います。映画を作っていると、良い映画になることもあるし、そうではないこともあります。
しかし、今回の映画を作っているときに、これは何か特別なものを扱っているんだ、という感触がありました。たとえ、賞を受賞しなくとも、この映画を作れたことで十分に幸せなんですが、こうやって賞を頂いてみますと、 更に世の中に紹介されるチャンスが広がったであろうと、非常にワクワクしています。また、この映画の“質” を認識してくださった審査員の方々にお礼を申し上げたいと思います。
(主演女優賞を受賞した主演:グロリア・ ピレスに報告は?)
メールを送ったんですが、寝ている様で、まだ返信はありません。
(主演:グロリア・ピレス を起用する事になったキッカケは?)
最初、実は他に主演を演じてくれる女優さんがいたんです。健康上の問題 で、途中でやめる事になってしまいました。では、誰にしよう、と言う話になり、グロリアの名前が上がりました。
彼女はブラジルでは有名な女優なので、難しいのではないかと思ったのですが共通の友人がいましたので、 とりあえずその友人に脚本を渡し、友人が彼女に脚本を見せてくれたんです。
最初はグロリアは脚本を読んではくれなかった。しかし、彼女の夫がその脚本を読んで、グロリアに「この映画をやりなさい」と言ってくれたん です。
(ブラジルの中でのこの映画の位置づけとしては?)
最初は小さめの映画かな、と思っていましたが、大ス ターのグロリアが出てくれたこともあって、中規模くらいかと思います。しかし、私が映画を作る時は、いつも 大勢の皆が楽しめると思う映画を作っているんですね。
沢山の人に観て頂ければ、私自身も非常に嬉しいですし、 そうなると良いな、と思っています。この映画はそんなに難しくもないと思いますので、出来るだけ沢山の人に 観て欲しいです。
(実際のニーゼに似せることを意識したのですか?)
ニーゼ・ダ・シルヴェイラという女性は、 ブラジルの北東部出身の方で非常に強い訛りのある人。最初は、グロリアにもその訛りを覚えてもらおうと思っていたが、途中でそれはやめよう、という事になりました。その代わり、彼女がもっていた意思や意図を表現していこうと話しました。では、どうやってニーゼを演じていこうかと話した時に、本人の真似では無くて、私達 なりの“もう一人のニーゼ”というものを作ろうという話になりました。
その中で、似せようとしなくても、そ の中で見えるもの、ニーゼになっていく事が非常に面白かったです。
(制作にかけた 13 年もの長い年月の中で、 それを支えたものは何だったのか?)
映画を作るのは、非常に大変でした。
周りの人からもこの話は複雑すぎる ので、きちんと伝えることは出来ない、やめなさい、と言われたんですが、この映画を作る事、ニーゼの事を伝 えることは非常に大切な事だと思っていました。ニーゼは様々な仕事をしてきた人ですが、ブラジルの統合失調 症の治療において非常に重要な役目を果たしました。私が彼女についてリサーチを始めた時に、この映画は作ら なければいけない、と感じていました。更に深くリサーチを進めると、ニーゼという存在が、私自身にどんどん と近づいてきたんです。リサーチの為に病院で過ごした事があったのですが、過去に彼女にお世話になった統合 失調症の方にお会いしまして、更に、この映画を作らなければいけない思いが強くなり、それが 13 年の私の原動力になっています。
(最初の監督が降りた時、自分が引き継ぐのではなく、他の監督を起用するという選択肢は 無かったのですか?)
他の候補の監督もいたのですが、やはり自分でやる事にしました。一回やり始めたら辞め られなくなってしまったんですが、かなり良い出来だと思うし、最後までやり続けて本当に良かったと思ってい ます。

画像: ホベルト・ベリネール監督

ホベルト・ベリネール監督

◆【「コンペティション」部門 最優秀監督賞/WOWOW 賞受賞】
『カランダールの雪』 ムスタファ・カラ(監督)

東京国際映画祭に来られて、とても幸せです。今回の映画祭の中で、最も長く、最も困難な映画だったと思います。なかなか理解する事も難しく、フォローしていくのも難しい作品です。
しかし今回、この映画を理解し ていただけたという事を嬉しく思っています。“カランダール”という言葉には、“信念”という意味もあり、 同時に別の意味もあります。撮影をしたロケ地の地域的なものや儀式的なものを現す言葉でもあります。また、“最も困難な時間”=“最も寒い時間”、この意味を他の言語で表すのは非常に難しいのですが、“最も寒い 季節”=“最も困難な時期”という事を現しているとも言えます。
困難な地点に達してしまう物語ですので、最 も困難な時、という意味で「カランダール」とつけた訳です。

◆【「コンペティション」部門 最優秀芸術貢献賞受賞 『家族の映画』】
オルモ・オメルズ(監督)

すでに上映がありました二日前にも思ったんですが、日本の方の反応がとても温かいものでした。
あまり典型 的なドラマ展開はしていないのですが、非常にオープンに理解して頂いたので驚きました。
(ヨーロッパにも、 子供を置いて自身の楽しみを優先してしまう親がいるのでしょうか)
多くは無いですが、居ると思います。作 品を作る際に、確かに周りにも何人かそういう人がいるな、と思いだしました。この作品の脚本を皆に読んで もらった時に、この両親が酷いと声をあげる人や信じられないと言う人も居ました。しかし、親の中にも自分 の時間を作りたいという葛藤を抱く人も居ると思う。今回のトピックは、非常に現実的なものだと思っていま す。

◆【「コンペティション」部門 観客賞受賞 『神様の思し召し』】
エドアルド・ファルコーネ(監督/脚本)

この作品は、非常にイタリア的なものだと思うのですが、皆さんが愛情を持って迎えて頂いて、笑ってくれて、 最後には感動してくれたところに、一緒に居る事が出来て非常に嬉しく思っています。
(コメディ映画を撮るの に一番必要な要素とは?)
イタリアは、非常に多くのコメディ映画が作られていますので、普通とは違うものを 作らなければいけないと思い、それがイタリアでのヒットに繋がっているのだと思います。笑わせるには、アイ ロニーが必要、更にある程度の知的な要素が入っている、という事が大事だと思いました。

◆【「日本映画スプラッシュ」部門 作品賞受賞 『ケンとカズ』】
小路紘史(監督)

(映画を作った動機は?)
6 年くらい前に短編を制作したのがキッカケです。短編を作った際に、まだまだ描け るバックグラウンドがあったので、長編を作る事にしました。
韓国映画がすごく好きで。2000 年代にあった韓国 映画ブームの中で、それを観て僕も育ちました。ポン・ジュノ『殺人の追憶』やヤン・イクチュン『息もできな い』などもこの作品に影響を与えてくれています。僕がこの映画を作った時、出資してくれる人も後ろ盾してく れる人もいなかったんです。たった 200 万円の制作費で作ったのに、こうやって賞を頂けるというのは、本当にフラットな選考だと思いました。日本で一番の映画を作ってやろうという意気込みをもっていて、それに役者も、 スタッフもついてきてくれた。それがこの結果だと思います。
(日本のインディペンデント映画へ何か言いたい 事があれば)
役者が良いと言われる事も大事だと思いますが、照明だったり、衣裳、ローケーションなどの技術 的なところも実はこだわっています。インディペンデント映画(の作り手)がこれからやっていかないといけな い事は、そういうところだと思います。

◆【「アジアの未来」部門 作品賞受賞『孤島の葬列』】
ピムパカー・トーウィラ(製作/監督/脚本)

この作品は、私の長編 2 作品目の映画です。
審査員の皆さま、映画祭関係者の皆様、本当にありがとうございま す。現在、タイの国内では様々な場所でいくつかの対立が起こっています。今回私が取り上げたのはタイ南部3 県の問題でした。
映画の中では、理想的な平和の島を作ってみたんですが、実際の問題は解決していないんです。
主演のヒーンの様なプロフェッショナルな役者を得て私の思いを上手く伝えて頂く事が出来ました。プロの役者 とアマチュアの役者を一緒に旅をさせながら撮影することで、三人の演技の科学反応を上手く引き出す事が出来 ました。

◆【国際交流基金アジアセンター特別賞受賞 『告別』】
チャオ・イエンミン(ライン・プロデューサー)(代理)

(受賞者は 『告別』監督:デグナ―(不在)です)
この作品はデグナー監督自らの人生を振り返ったもので、両親との様々な出来事を扱ったものです。主人公は、 デグナー監督自身である訳です。監督は、受賞を伝えると、とても喜んでいました。

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