出身が悪い

 辻井喬の思想について考えるところがあって、おもな対談集を読んでいるのだが、2011年10月発行の宮崎学との対談『世界を語る言葉を求めて―3・11以後を生きる思想』(毎日新聞社)が断然面白い。日本の戦後の停滞と3・11以後の停滞とを重ねて縦横無尽に発言するのだが、こんな言葉、辻井喬でないと聞くことができない。
 
 僕は、戦争が終わったときは高校生でした。ラジオを聞いて、大体意味はわかって、「そうすると、これからはゲリラ戦しかないんだな」と思いましたね。しかしゲリラ戦は全然始まらない(笑)。ゲリラ戦が始まるどころか、米よこせ運動になるわけです。僕が党員の時の「横瀬」というペンネームは、米よこせ運動から思いついたんです。
 
 米よこせ運動というのは、戦前の昭和恐慌時と戦後の食糧難を打開しようとして起こった大衆運動というのだが、ゲリラ戦よりも米よこせ運動が切実だというのが面白い。しかも、「ゲリラ戦しかないんだな」と観念していながらである。このあたり三島由紀夫の楯の会に共感しながら、一方では消費資本主義の立役者になっていくその後の辻井を予告している。
 
 中国で文化大革命のときに「出身が悪い」と批判していたのと同じ論理ですね。馬鹿げていると思うのですが、出身にこだわる。調べてみたところ、ロシア作家同盟では、マキシム・ゴーリキーがプロレタリア作家かどうか、四、五年にわたって議論しているんです。ちなみにゴーリキーは労働運動をしたことがありません。結核の持病があったため、革命が起こってすぐにイタリアの保養地に行っています。
 
 「出身が悪い」というのはいいえて妙だ。文化大革命の中国共産党や、戦後の日本共産党だけではない。自民党も公明党も、政党だけに限らず、どのような組織もこの「出身が悪い」の一言でエリートか非エリートかを区別し、差別する。ゴーリキーの例では、労働運動をしていたかどうかがエリートかどうかの基準になるというのだが、日本では、端的にどこの大学の出身かが問われる。
 
 共産党だって財界だって文壇だって詩壇だって変わらない。あの作家は、あの評論家はどこの大学を出ているのかが、まず品定めのはかりになる。逆にいえば、エリート大学の出身でない方がエリートになる組織だってある。
 
 要するに、人間を実質でなくある種の物差しで計ることで、差別化していく、それが組織の論理だと辻井喬はいっているのだが、当たり前とはいえ、「出身が悪い」の一言にぐさりと来ない人はいないんじゃなかろうか。

神山睦美 プロフィール

1947年岩手県生まれ。東京大学教養学科卒。
文芸評論家。2011年『小林秀雄の昭和』(思潮社)で、第二回鮎川信夫賞受賞。
その他の著書に、『夏目漱石論序説』(国文社)『吉本隆明論考』(思潮社)『家族という経験』(思潮社)『クリティカル・メモリ』(砂子屋書房)『思考を鍛える論文入門』(ちくま新書)『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)『二十一世紀の戦争』(思潮社)『希望のエートス 3 ・11以後』(思潮社)『サクリファイス』(響文社)など多数。

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