画像: 連載「とつとつ、とはずがたり」♯04 映画美学校のこと① 深田晃司

 JR渋谷駅の南口を出て、歩道橋を越え、さくら通りのゆるやかな坂道のなかほどに、今は同じく渋谷の円山町に移転したミニシアター、ユーロスペースがあった。1999年のことだった。

 その頃、19歳の私は大学生活にこれと言った目標を見出せず、モノづくりへの渇望感(それは承認欲求と表裏一体だったはずだ)ばかりを持て余していた。未来は漠として暗い。日々、渡り鳥のように東京都内の映画館を行き来して、時間の大半をその暗闇に身を埋め過ごす。ユーロスペースもそんな止まり木のひとつだった。ちょうどその頃はイタリアの鬼才ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の特集が組まれ、私は朝から晩まで、この背徳的で、しかしどこかネアカな不思議な監督の作品に溺れていた。

 余談になるが、パゾリーニは私にとって特別な監督のひとりだ。
 一時代前の多くの映画青年がそうであったように、私もまた映画を見始めた中学高校時代、映画批評家で仏文学者の蓮實重彦氏の著書を片手に、広大な映画史の迷路を右往左往していた。蓮實重彦氏が何を褒め何を批判するか、その鋭利な審美眼を気にかけながら、いつともなくその影響下で映画を見定める習慣が身についてしまっていたのだ。
 そんな、蓮實氏の呪縛から距離を置くことができるようになったのは、氏が苛烈に批判していたパゾリーニのおかげだった。

 パゾリーニの映画は、氏が毎年選ぶベストテンワーストテンの、ワーストの方の常連だった。
 「映画はいかにして死ぬか」(蓮實重彦著・フィルムアート社)を見ると、1974年のワーストの3位に『アラビアンナイト』、76年のワースト4位に『ソドムの市』を蓮實氏は選出している。
 一方で私にとってのパゾリーニはどうだったか。そのデビュー作『アッカトーネ』(’61)の、ゆるやかな川沿いの土手を駆け下りる若者たちの瑞々しい躍動感に感動し、『大きな鳥と小さな鳥』(’66)のスタッフキャストを熱血調に歌い上げる衝撃的なオープニングクレジットに爆笑し、『アラビアンナイト』(’74)の永井豪よろしくあけっぴろすぎてもはや健康的でさえあるエロスあふるる冒険に私は胸躍らせた。

 つまり、パゾリーニとは私にとって、ただただ痛快で面白い監督だった。蓮實重彦氏の放つ言葉をもってしてもその確信は揺らぐことなく、かくしてパゾリーニという媒介を通して私はようやく「蓮實重彦」という強烈な評価軸とほどよく距離を置いたおつきあいができるようになったのだ。

 閑話休題。
 そんな、パゾリーニを見に行ったある日のユーロスペースで、私は一枚のチラシを見かけた。
 それは、映画美学校が開催する映画撮影夏期集中講座の募集だった。そのときにどう心が動いたかはまったく覚えていないが、とにかく私は応募した。
 その頃の私は毎日70年代以前の映画ばかりを見ていて、今から思えばただの喰わず嫌いなのだけど、近年の日本映画にもPFFに代表されるような自主映画・学生映画の文化にはほとんど触れることがなかった。映画と言えばどこか遠い国、遠い時代で作られる手の届かないゲージュツで、だから私にとっては、映画を見る側から作る側に回れるという思考は、革命的な、コペルニクス的転回だったのだと思う。

 応募要項には、撮りたい短編映画のあらすじを書く欄があった。早速私が書いたのは「死の想念に取り憑かれた老いた画家が、モチーフを探すため街をさまよい、様々な死を連想させる出来事と遭遇し、家に帰ったら妻が死んでいる」というかなり観念的なものだった。タイトルは「メメント・モリ」。思い出すと赤面するしかない内容だが、19歳の私の脳内上映では既に『ゴダールの決別』と比肩すべき傑作に仕上がっていた。

 そんな映画史に残るはずの企画を胸に秘めておずおずと足を踏み入れた映画美学校は、東京は京橋に1922年に建てられた、石造りのレトロなビルの一階にあった。メインロビーは吹き抜けの高い天井で、その広がりのある空間は圧巻だった。今は取り壊され近代的なビルが建っているが、かつては映画のロケ場所としてもたびたび使われ、黒沢清監督の『大いなる幻影』(’99)や井口奈己監督の『人のセックスを笑うな』(’08)などで、その姿を懐かしむことができる。

 講座は、数人のチームに分かれそれぞれ物語を決めて、16ミリカメラでの撮影と編集を一週間で体験するものだった。私たちのチームも顔を合わせ、自己紹介を済ますと、各人いそいそと回りの出方を伺いながら申し込み用紙に書かれた企画を見せ合う。もちろん私も根拠のない自信に満ち満ちた顔で企画を提出したはずだが、ここに大きな落とし穴があった。
 なんと撮影は映画学校のある銀座京橋のビルの中のみでしか許されず、私の企画はそもそもお門違いだったのだ。私の企画は、スタートラインに立つ前に落選することとなった。
 初めて映画撮影に触れる一週間の講座は新鮮な体験の連続で、楽しかったものの、それ以上に自分の企画が選ばれなかった無念が消化不良として残り、気がついたときには夏期講座の2ヶ月後に始まる映画美学校への入学を決めていた。
(つづく?)

深田晃司(映画監督)

1980年生まれ。大学在学中に映画美学校に入学。プロ・アマの現場に参加しつつ長短編3本の自主制作を経て、2006年『ざくろ屋敷』を発表。パリKINOTAYO映画祭にて新人賞受賞。2008年長編『東京人間喜劇』を発表。同作はローマ国際映画祭、パリシネマ国際映画祭に選出、シネドライヴ2010大賞受賞。2010年『歓待』にて東京国際映画祭「ある視点」部門作品賞受賞。2013年『ほとりの朔子』にてナント三大陸映画祭グランプリと若い審査員賞、タリンブラックナイト映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2005年より現代口語演劇を掲げる劇団青年団の演出部に所属しながら、映画制作を継続している。

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