ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」をみて、国際俳優を目指すーー

はじめまして。
今日は私のことを、皆さんに自己紹介させてください。
私、小松拓也は20年近い時間を台湾、香港、中国といった、いわゆる中華圏で活動し、関わり続けてきている日本の俳優です。
私が初めて日本を飛び出し、台湾へと北京語の語学留学に向かったのは、高校を卒業したばかりの1996年3月のことでした。

留学のきっかけになったのは、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」でした。

「恋する惑星」のなかで、自由自在に日本語や英語、中国語などの多言語を使いこなす金城武の芝居に影響を受け、自分自身も言葉を巧みに操りながら演技の出来る、国際俳優になりたいと思ったからです。

画像1: ©小松拓也-cinefil.asia

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事務所の先輩、ビビアン・スーの協力で台湾留学

留学先に中国本土ではなく、台湾を選んだのは、所属している日本のプロダクションの先輩に、台湾出身のビビアン・スーがいたからでした。
台湾留学当初は、彼女の実家にホームステイをさせてもらいながら、北京語の勉強に勤しみました。

そうして少しずつ北京語を覚える傍ら、ビビアンの紹介などで、台湾芸能界での人脈も広がり、やがてはローカルテレビの情報番組でリポーターを務めるようになります。
その影響もあり、台湾留学を終えて日本へ帰国した後も、台湾から映画のオファーが来るなど、台湾との仕事の関わりが続くようになります。

全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリース

2003年には、全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリースする機会に恵まれ、自身にとっても新境地となる音楽活動を開始することになり、人口2000万人強の台湾において2万枚のセールスを記録します。

そのCDアルバムのプロモーションは、同じ中国語圏の香港やシンガポールなどでも行われ、活動する国や範囲を更に広げるきっかけとなりました。

画像2: ©小松拓也-cinefil.asia

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画像: 全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリース

上海の東方衛視テレビ「加油!好男儿」で、約8万人の応募者の中から、トップ20入りーー

2007年には、上海の東方衛視テレビが主催する「加油!好男儿」という、毎回3時間半にも渡って生放送された、国民的人気テレビオーディション番組に出演をし、約8万人の応募者の中から唯一の日本人参加者として、番組終盤のトップ20に入るという、外国人番組参加者の中での最高位を収めます。

また、それがきっかけで現地の多くのファンや知名度を獲得し、その後は上海に拠点を移しながら、芸能活動を始めることになりました。

主な活動内容は、テレビ番組や雑誌、イベント出演、CDリリースや映画、ドラマ出演、音楽番組のMCや数社の企業イメージキャラクターを務めるなど、広範囲に及ぶものでした。

画像3: ©小松拓也-cinefil.asia

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中国から、ふたたび日本へーー

そうして順風満帆に活動をしていた、中国での芸能活動でしたが、2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに、全ての仕事がストップし、また決まっていた仕事も、全てキャンセルされることになってしまいました。
当時は日本人がテレビ出演するなどのメディアへの露出が禁じられるようになり、突然、中国国内での一切の活動が適わなくなってしまったのです。

それがきっかけで、翌年の2013年からは日本に帰国し、再び日本での芸能活動も始めるようになりました。

そして、今夏、2015年の夏、TBSで2夜連続放送される、物語の舞台がほとんど中国という戦後70周年スペシャルドラマに、中国人役として抜擢されたことは、私にとって大変意義深いことです。(タイトルなどは、情報解禁後にお知らせします)
このドラマをきっかけに、少しでも多くの日本の皆さんに歴史の再認識、戦争や争いごとの罪深さを感じ取ってもらえたらと望んでやみません。

2012年秋以降、日本人のテレビ出演などが非常に限定的に規制されていた中国でしたが、最近ではまた少しずつ、その交流が盛んになってきています。

中国の映画産業は今が絶頂期を迎え、総制作費100億円を超えるような、ハリウッドばりの超大作も近年では珍しくありませんし、ハリウッドをはじめ、他国との合作映画や外国人俳優を多く起用した作品も増えつつあります。
日本人俳優も、当たり前のように中国映画に出演するようになる。
そんな時代も、決して遠くないように感じます。

中華圏の芸能界と20年近くに渡って交流をし、その半分近くの時間を現地に居住し、生で触れ合ってきた私だからこそ、これから、このコラムで発信出来る情報があると考えています。

是非楽しみにしていてください。

小松拓也

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