画像: (c)京都文化博物館フィルムシアター、 映画監督市川崑の世界。5月21日と24日は『私は二歳』(1962)。 http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film/schedule/#title01

(c)京都文化博物館フィルムシアター、
映画監督市川崑の世界。5月21日と24日は『私は二歳』(1962)。

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film/schedule/#title01

京都文化博物館フィルムシアター、

映画監督市川崑の世界。5月21日と24日は『私は二歳』(1962)。

京都文化博物館フィルムシアター、

映画監督市川崑の世界。5月21日と24日は『私は二歳』(1962)。
小児科医で育児評論家の松田道雄の随筆を下敷きに、和田夏十が脚本化。
当時、市川・和田夫妻にも同じような子供がいたというのも大きな動機となった。

2歳の赤ん坊が主役という映画史的にも稀有な意表をつく設定で、各エピソードにはユーモアと共にしっかりと社会風俗への風刺が織り込まれる

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画像1: (c)京都文化博物館フィルムシアター、映画監督市川崑の世界。5月21日と24日は『私は二歳』(1962)。 http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film/schedule/#title01

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映画監督市川崑の世界。『私は二歳』(1962)。

『私は二歳』
1962(昭和37)年大映東京作品/88分・カラー

※上映用フィルムの退色が進んでいます、ご了承ください

製作:永田雅一、市川崑 原作:松田道雄(『私は二才』、『私は赤ちゃん』より)
 
脚本:和田夏十 監督:市川崑 企画:藤井浩明 撮影:小林節雄 録音:飛田喜美雄 照明:伊藤幸夫 美術:千田隆 音楽:芥川也寸志 編集:中静達治 助監督:中村倍也 製作主任:大岡弘光 現像:東京現像所 アニメーション:横山隆一 衣裳考証:和田夏十 声:中村メイコ 協賛:森永乳業

出演:山本富士子(母・小川千代)、鈴木博雄(ボク・小川太郎)、船越英二(父・小川五郎)、浦辺粂子(祖母・いの)、潮万太郎(クリーニング屋)、岸田今日子(アツシちゃんの母)、渡辺美佐子(ボクの叔母)、京塚昌子(千代の姉)、大辻伺郎(若い医者)、倉田マユミ(隣の奥さん)、浜村純(中年の医者)、緋桜陽子、花井弘子、夏木章(病院の医者)

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『私は二歳』(1962)、ストーリー

太郎は、サラリーマン小川五郎と千代との間にできた初めての子。
両親は太郎を目の中に入れても痛くないほど可愛がり、何をやっても大騒ぎ。郊外の平屋に転居した一家は、祖母を迎え入れ、新しい生活を始めた。
そこでも大人たちは太郎のいたずらや怪我、自家中毒や気管支炎に振り回される。そんな太郎中心の毎日の中、突然祖母が亡くなった。

そして迎えた二歳の誕生日、二本のローソクが立てられたケーキを前に、心の中で太郎はつぶやいた。
「ボクは二歳。ボクの名は太郎。ボクはもと赤ちゃんだった。ボクはどんどん大きくなっているところなんだ・・・。」

小児科医で育児評論家としても活躍していた、松田道雄が書いたベストセラー随筆「私は二才」、「私は赤ちゃん」を下敷きに、和田夏十が脚本化。
この当時、市川・和田の夫婦コンビにも同じような子供がいたというのが製作の大きな動機となったという。

日本のどこにでもあるような団地住まいの平凡なサラリーマン家庭が舞台であるが、2歳の赤ん坊が主役という、映画史的にも稀有な意表をつく設定で、ドラマというよりユーモアあふれる小さなエピソードの積み重ねで構成される。

育児書が原作であるが育児論的内容は大人の口からではなく、ほとんど子供の口を通して語られ、各エピソードにはユーモアと共にしっかりと社会風俗への風刺が織り込まれ、ほのぼのとした全体のトーンを崩すことなくまとめられる。

主役選びにはオーディションが行われ、鈴木博雄ちゃんは3,200人の中から選ばれた。
当時新婚の山本富士子が若妻を好演、その危なっかしい母親ぶり、ほのぼのとした親バカぶりは見事。

京都文化博物館フィルムシアター、
映画監督市川崑の世界。『私は二歳』(1962)。

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シネフィルアジア編集部 

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