バブル崩壊直前の日本で最も嫌われた伝説の漫画を、主演に池松壮亮、ヒロインに蒼井優を迎え、真利子哲也監督により映画化した『宮本から君へ』。
本作は、人生負けっぱなしの男・宮本(池松壮亮)が恋人・靖子(蒼井優)との関係を打ち砕く“衝撃の事件”をきっかけに一世一代の勝負に挑む、人間讃歌エンターテインメントで絶賛公開中です。

池松壮亮×蒼井優!
真利子哲也監督最新作『宮本から君へ』予告

画像: 池松壮亮×蒼井優!真利子哲也監督最新作『宮本から君へ』予告 youtu.be

池松壮亮×蒼井優!真利子哲也監督最新作『宮本から君へ』予告

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『宮本から君へ』公開を記念して10月31日までの期間限定で、青山シアターのcinefilセレクションとして、『ディストラクション・ベイビーズ』のほか真利子哲也監督の伝説的な初長編『イエローキッド』を含む初期3作品を初限定配信されています。

2019.9.27(FRI)~2019.10.31(thu)
cinefilセレクション-「真利子哲也 監督特集上映」

この度、映画webマガジン「cinefil」では、原点となった初期作から、現在全国で公開されている最新作『宮本から君へ』までの、真利子哲也監督の過去作から新作までの製作を辿るインタビューを掲載致します。(2019年7月時 インタビュー)

真利子哲也監督インタビュー

画像: 真利子哲也監督

真利子哲也監督

Q-今回特集上映では真利子監督の原点となる法政大学時代、当時はどのような思いで作られたのでしょうか?

真利子哲也監督(以降 真利子)大学在学中に一個上の先輩が、当時でも珍しかった8mmカメラを回していたので、自分も競い合うようにフィルムをいじり始めました。何かの思いがあったというより、遊びの延長でした。
その一方で、お金が貯まったら見知らぬ海外にいくのが趣味だったんですが、ある時、インドに1ヶ月ほど滞在した時にビデオカメラで撮影したんですが、帰国して編集してみると撮影していた時の面白みがなかったんですね。いや、撮影した時は何から何まで面白かったんですよ。でも映像を口頭で説明してたら情報を伝えてるだけだと気がついて白けてきて。あとデジタルビデオだと画と音が同期しているので、なまじ上手に撮影しようとしたのも悪かった。そんな経験もあって、「極東のマンション」はカンボジアで撮影した8mmフィルムに母親から息子へのダメ出しを入れてみました。「マリコ三十騎」は前作がドキュメンタリーと思われていたのを踏まえて、同じ手法でより寓話性を加えてみました。振り返って考えてみても、やりながら作ってますね。

Q-ドキュメンタリーと実験的な要素。そして8ミリでの撮影など色濃くご自身の生き方と重なり合う部分があると思われますが、高校大学時代は、どのような学生だったのでしょうか?

真利子-近所にレンタルビデオ屋もできたのでより映画に触れるようになったのですが、高校の頃はガングロとか援助交際とかが流行っていて、街を歩いていてもポケベルやらPHSとか、iモードやらインターネットまで広まって、世紀末だなんだと混沌としていて、どうも明るい印象はなかった。高校卒業の頃は大学にいく発想がなくて、地元で勧誘されるままに自衛隊に応募したんですが、学力的に中学程度までしか合格できなくて、だったら中学卒業した時にいけばよかったと思ったら自衛隊にもいきたくなくなって、高校三年の夏の終わり頃から狂ったように猛勉強をはじめました。
就職希望者は午後の授業がないので、地元の図書館で勉強して、夜は自宅で、また朝も早くから起きて勉強していました。ある時、バイクで通学途中に学生服がベロンベロンに破けるほど派手に転んだのですが、規則でバイク通学は許されないんで、血だらけのまま何食わぬ顔で授業を受けたんですが、その時に日本史の教科書に血が付いちゃったんです。
大塩平八郎の乱のページで、そこだけゴワゴワになってめくれやすくなってたんですが、入試の論文書く問題が大塩平八郎の乱についてだったんで、完璧に書けたんですよね。あれは運が良かった。
そんなこんなで入学できた大学ですが、ひたすら本を読んだり映画ばかり見てました。アルバイトしてお金に余裕が出きたら格安航空券で海外に出てたような感じで、しばらくして学生会館に住み込む目的で映画のサークルに入ったところ、8mmカメラを見つけました。何が言いたいかというと、あとはさっき答えたようなことなので、実際の生き方と重なり合ってないような気がしますよ。

Q-その当時、10代から20代にかけて影響を受けていたものを教えてください。映画だけでなく漫画、小説、美術なんの分野でも構いません。

真利子-映画の思春期ってことだとハーモニー・コリンですかね。偶然が重なってたと思うのは、何となくフィルムに興味があったこと、イメージフォーラムで実験映画を観はじめたこと。「ガンモ」は何の情報もなく観て、なんのこっちゃわからなくて動けなくなりました。あの頃に同時代の映画はともかく、映画のパンフレットに名前があったジョン・カサヴェテスやジャン=リュック・ゴダール、ヴェルナー・ヘルツォーク、ヴィム・ヴェンダース、レオス・カラックスとかの作品群を辿って、ミニシアターや名画座に足繁く通い始めた。そこでまた自分が知らない映画と出会って、日本映画にものめり込んで、それまで雑然と観てきた映画の点が線になってきた。
そのくらいの時期に自分の8mmフィルムも映画なんじゃないかと思って、映画祭、特に地方の映画祭とか国際映画祭とか、興味の赴くままに応募するようになりました。

Q-『極東のマンション』『マリコ三十騎』でゆうばり国際映画祭連続受賞したわけですがやはり、この受賞などはその後の藝大大学院などに進む上でより強くご自身の中で映画に対する想いが強くなっていったのでしょうか?

画像: 『マリコ三十騎』より

『マリコ三十騎』より

『極東のマンション』より

真利子-たしかに過去に受賞された映画は、受賞後に劇場公開をされたことも多かったと思いますが、自分の場合はそうではなかった。変な話ですが、肝心の映画のイロハをなんにも知らなかったんですね。賞をいただいたところで映画祭から東京に戻ると実生活には何も変化はなくて、大学も映画学校ではないんで話題にもならないですから。それまでは漫画研究会の友人にサイゼリアで飯奢って夜通しでカメラのボタンを押してもらって撮影してたのですが、大学卒業した翌年に彼が公務員に就職が決まったことで、撮影に付き合ってくれる友人もいなくなった。ただ、ゆうばりで上映されると英語字幕をつけてくれるのでインターネットで海外の映画祭を見つけてVHSにコピーして応募してましたが、国際映画祭では「映画監督」扱いで取材を受けて、帰国すると誰とも話さずに深夜の警備員をしている生活に、どうしたものかとは思っていました。国内の映画祭にいくと映画学校の仲間と一緒に来ている人たちが大半で、特に当時は大阪芸大や日大の卒業制作が劇場公開もされていたので、先輩方には良くしてもらっていましたが、なんせ自分は右も左もわかりませんから、同い年くらいの映画の仲間を作りたかったというのが大学院に進んだ一番の理由です。

Q-藝大での修了制作となる初長編『イエローキッド』で、当時としては異例の劇場公開となり、またその作品は見た人の多くの衝撃を与えたわけですが、当時を振り返りエピソードなどあれば教えてください。

画像: 『イエローキッド』 ©︎ 2009 東京藝術大学

『イエローキッド』
©︎ 2009 東京藝術大学

真利子-それまで自主映画をやってきたので、その分、自主映画について考える時間があったんですね。当初はユーロスペースで東京芸大の修了制作展として一回限りの上映だったのですが、学生映画が内向きになりがちの印象を踏まえて、ひと味違う感触が残せることを考えていました。あの頃はアメリカン・コミックスが今みたいに注目されてなくてデタラメもできましたね。撮影で使用する漫画原稿を描ける人がいないので、法政大学の漫画研究会にいって、二人の漫画家志望者にラフとペン入れに分けて関わってもらいました。時間がない中でしたが細かいところまで粘ってくれたのでクオリティが高くて、出来上がって撮影現場に持ってくるたびにスタッフやキャストの士気が上がりました。今では大友良英スペシャルビッグバンドで活躍されている鈴木広志さんと大口俊輔さんは芸大の縁もあって音楽を頼んだのですが、同年代だったのもあり意気投合して、決して広くはない録音ブースで楽器持ち込んで生演奏しながら夜も遅くまで一緒に作業して、楽しみながら素晴らしい楽曲を作り上げてくれました。出演してくれた俳優の岩瀬亮や玉井英樹は、公私ともに付き合うようになって、その後のほとんどの映画やドラマに出演してもらったり、学生だったスタッフたちは今でも現場で顔を合わせることもあって、あの時もこれからも切磋琢磨できる仲間たちと知り合うことができたのは大きいですね。

Q-中編となる『NINFINI』で一躍ロッテルダム、ロカルノという国際映画祭でも世界的に評価されている映画祭に出品され世界でも注目を浴びました。今作では真利子監督の作家性が世界に伝わるきっかけになった作品でもあると思うのですが—今作については

画像: 『NINFINI』 ©︎ ジャンゴフィルム、真利子哲也

『NINFINI』
©︎ ジャンゴフィルム、真利子哲也

真利子-「中編映画、国際映画祭に出品」という2つの条件を言われて、あとは監督の描きたいことを自由にやってくれといった企画を受けて制作に入って、自分なりにはお題に応えたつもりでしたが、完成直後に驚かれたのは「自由にやってくれと言われて、こんな自由なことをやる人は見たことない」と。確かに脚本も感覚的で、観客に剥き出しのまま突きつける映画です。とはいえスタッフやキャスト、企画者に喜んでもらえて、後日無事に国際映画祭にも出品できましたが、そもそもこの映画の撮影をしたのは2011年の1月下旬。完成した直後に東日本大震災があって、予定されていた3月下旬の上映ができなかったので、しばらく時間が経ってから劇場公開することになりました。
撮影の頃、どん詰まった空気があってはじめたこの映画でしたが、震災を経て、映画は何も変わった訳ではないのに、印象が違っていたのを覚えてます。
ただ間違いなく、あの頃に感じていたものを掬い取ろうとした映画です。

Q-『FUN FAIR』について

画像: 『FUN FAIR』 ©︎ 2012「同じ星の下、それぞれの夜」製作委員会

『FUN FAIR』
©︎ 2012「同じ星の下、それぞれの夜」製作委員会

真利子-これは沖縄国際映画祭の企画で制作した「同じ星の下、それぞれの夜」という映画の一篇で、東南アジアを舞台にお題は「ラフ&ピース」ということで、冨永昌敬監督がフィリピン、富田克也監督がタイ、自分はマレーシアになりました。たまたま友人にマレーシア出身のリム・カーワイ監督がいたので全面的に協力してもらいましたけど、彼がいなかったら不可能でしたね。
確かクリスマスに各監督がはじめて顔合わせて担当国を決めて、正月返上で脚本書いて年明けすぐにキャスティングとロケハンはじめて、2月上旬に撮影、2月下旬に納品、3月上映という信じがたいスケジュールなので、ほぼ行きあたりばったりですよ。そもそもマレーシアに行ったことないので、まずはネット情報みて、言葉が通じないのを見越して一口で説明できる筋書き書いて、それに沿ってリム監督に紹介してくれた現地のスタッフの地元であるマラッカを舞台にして、主人公になる女の子もヤギも見つけて、ロケ場所も歩いて探し回って。ようやく神出鬼没の移動遊園地を見つけた時の喜びたるや、今でも忘れられないですよ。あの空気は映画の中にあると思います。
余談ですけど、当時6歳の主人公の女の子と初対面の時に約束したことが、日本で映画を上映する時にディズニーランドに行きたいということだったので、劇場公開の時に日本に来てもらって、スタッフでお金を出し合ってディズニーランドに行って、エレクトリカル・パレードを見た時に、ようやく完成したと思えた映画です。

Q-さらに、『ディストラクション・ベイビーズ』でロカルノ国際映画祭の新進監督コンペティション部門・最優秀新進監督賞やフランスのナント三大陸映画祭で準グランプリなど受賞されました。海外でのこのような評価はどうお感じになったでしょうか?

画像: 『ディストラクション・ベイビーズ』 ©2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会

『ディストラクション・ベイビーズ』
©2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会

真利子-「ディストラクション・ベイビーズ」は政治や社会問題を扱う映画ではないので、ロカルノ国際映画祭での受賞は難しいと思っていたのですが、評価をいただけたことは嬉しかった。
ナント三大陸映画祭もまた新しい監督たちを世界に先駆けて発見する映画祭で、ここで上映されること自体が誇らしいことだと思っています。国際映画祭での監督の受賞スピーチなんか聞いていると、現状の映画の環境に危機感を訴える監督も多い。映画祭を通じて知る機会を得た以上、これから世間とどうやって向き合っていくべきか、改めて考えさせられます。

Q-今後、10年~20年ぐらいの間になんでもできるとするならば、映画で作りたいもの、もしくはそれ以外でもいいですが今後ご自身で表現していきたいことはなにかございますか?

真利子-子どもの映画をやってみて勉強になることがあって、まず6歳が理解できるストーリーを立てて、セリフはすべて口頭で伝えることが必要でした。完成後の上映でわかったのは、幼い子どもが何か行動すると観客側からその行動を理解しようとすること。つまり映画になった途端、どこの国でも言語の壁を超えることができる。ただ商業映画の場合、子どもが主体になる映画はアニメーションを除けば「(お金を払う)観客は大人である」という理由で難しいと聞きました。どんな事情があるとはいえ、素晴らしい子どもの映画は世界にはあって、日本映画がもし言語の問題で世界に出ていけないならば、英語の映画を撮るのもありますが、子どもの映画を考えることも1つあるのじゃないかとか。

Q-新作となる『宮本から君へ』は、秋に公開ですが、ご覧になる方へ、一言お願いいたします。

画像: 映画「宮本から君へ」 ©︎ 2019「宮本から君へ」製作委員会

映画「宮本から君へ」
©︎ 2019「宮本から君へ」製作委員会

真利子-ドラマ「宮本から君へ」で全話の脚本・監督を経て、ようやく映画として完成させることができました。上の世代の映画監督からは世知辛い世の中だと言われるかもしれませんが、もうそんなことも言っていられません。ドラマはドラマで良いところもあって、同じ原作であってもしっかり立ち止まって、今度は映画であることを意識して挑戦させてもらいました。
役者たちも全身全霊でぶつかり合って理屈じゃないところまで描いたので、これはぜひ映画館で見てほしい。現在の日本映画を考えた時に、こんな勝負させてもらえることも珍しくなったからこそ、これは失敗するわけにはいかないという危機感もあって、うまくいってほしいと力を込めた映画なので、この思いができるかぎり観た人に届けばいいですね。

真利子哲也監督
1981年生まれ。東京都出身。
法政大学在学中に8mmフィルムで自主制作した短篇作品が、国内外で注目される。その後、東京芸術大学大学院の修了作品『イエローキッド』が、国内外で高い評価を受けると、学生映画として異例の劇場公開に。『NINIFUNI』『FUN FAIR』など中編作品を経て、2016年に劇場公開された『ディストラクション・ベイビーズ』が、第69回ロカルノ国際映画祭で最優秀新進監督賞を受賞をはじめ、国内外の映画賞で多数の賞を受賞した。

上記の作品から、配信では、東京芸術大学大学院の修了作品にもかかわらず、異例の劇場公開を果たした伝説的な初長編作『イエローキッド』、そしてロカルノやロッテルダムの国際映画祭で特別上映され中編映画としては画期的な単独ロードショーが実現した傑作『NINIFUNI』、初の海外での全編撮影をおこなった『FUN FAIR』から、衝撃的な長編商業映画デビューを飾った『ディストラクション・ベイビーズ』まで真利子監督の描く世界を新たに再確認できる期間限定の貴重な機会となります。

10月31日までの限定配信中!

2019.9.27(FRI)~2019.10.31(thu)
下記より配信中!

cinefilセレクション-「真利子哲也 監督特集上映」

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