検閲とのバトルにユーモアで挑んだ国芳と、それを喜んだ江戸庶民

天保12(1841)年に始まった改革のぜいたく禁止令は、ちょうど爛熟期・最盛期を迎えつつあった江戸の浮世絵カルチャーにとって大打撃だった。国芳はそのインパクトをもろに受けた世代の絵師であるが、同時にかえってそこが飛躍のチャンスにもなっている。

改革開始の翌天保13(1842)年の三枚続の大作「源頼光公舘土蜘作妖怪図」は、歌舞伎の「土蜘蛛」と同じ題材を描いた怪奇的要素の入った武者絵だが、妙に滑稽に描かれた英雄豪傑たちが当時の幕閣、背景の数多の妖怪たちが改革の禁令で禁止されたり弾圧されたものを表している、と言う噂が広がって、大ヒットしたのだ。

ところが大ヒットでかえって幕府に忖度した版元が、版木を削って印刷できなくしてしまい絶版に、すると今度は海賊版が出回るほど評判になったのだが、この絵が何を風刺しているのか、当時の日記などを見ても人によって解釈がバラバラだと言うから面白い。

この成功に味をしめた訳でもないだろうが、国芳は同じような裏読みを喚起する、例えばこのヤブ医者の三枚続のような作品を次々と発表することになる。

画像: きたいな名医難病療治 嘉永3(1850)年 個人蔵

きたいな名医難病療治 嘉永3(1850)年
個人蔵

ここでも、ヤブ医者たちの奇妙な治療法を幕閣の風刺と見ようと思えばいくらでも読み込めるし、そうした面白さでヒットした作品なのだろう。だが国芳がなんの風刺の意図を持っていたのかを読み解くのは観客の勝手、むしろ勝手に観客が妄想を膨らませることを意図してわざと思わせぶりな絵を描いたのかも知れないし、それをおもしろがることで幕府の規制をなし崩しにして楽しんだ江戸庶民の感性というのもまた、興味深い。

画像: 荷宝蔵壁のむだ書 嘉永元(1848)年頃 部分(3枚続きの真ん中) 太田記念美術館蔵

荷宝蔵壁のむだ書 嘉永元(1848)年頃 部分(3枚続きの真ん中)
太田記念美術館蔵

天保の改革で人気歌舞伎俳優の役者絵が禁止になったことが、浮世絵界にどれだけ大打撃だったのかは、上記の「有王丸と亀王丸」を人気役者の顔に描き変えた例を見ても想像は容易いだろう。そんな弾圧に対する国芳の有名な答えがこちら。壁の落書き風のわざと「ヘタうま」なタッチで描かれた、人気役者の似顔絵集で、これも三昧続きセットで売り出され、かなりのヒットだった。

大人の華やかな風俗を描けないなら子供を描く

折しも「あいちトリエンナーレ」をめぐって表現の自由が脅かされる不安が高まる中、制約の中でめげずに独創性を発揮して、弾圧を笑い飛ばした国芳のセンスには、学ぶところも多いのではないか? 国芳を見ていると、むしろ制約の中でこそ面白いものが生まれるのが日本の芸術の伝統で、こう言う時こそ勝負のしどころなのではないか、とすら思えて来る。

とは言うものの、江戸町奉行所にまでマークされ、呼び出されて取り調べられたり、身辺調査までされていた国芳だが、そこまで「反権力の闘志」的な意図があったかどうかは分からない。むしろ彼は、ただ面白がっていただけだったのかも知れない。

大人の華やかな風俗を描くことが「ぜいたく」と禁止されると、浮世絵師たちにとって大きな題材になったのが子供の絵だ。役者絵のいなせでセクシーな男たちが描けないなら、子供に(当時はそのカッコ良さで人気の職業だった)大工をやらせたこの絵、構図は歌舞伎小屋の建設を題材にしたダイナミックな国芳作品のパロディのようになっている上に、子供なのに刺青をした者までいる。

画像: 子供遊土蔵之上棟 天保13(1842)年頃 つまり改革の真っ只中 個人蔵

子供遊土蔵之上棟 天保13(1842)年頃 つまり改革の真っ只中
個人蔵

浮世絵は当時、ファッション・アイテムでもあり、華やかな風俗の着物を描くことがファッションをリードし、呉服屋とのタイアップまであったと言う。それが改革で禁じられるた中、正月の子供の遊びを言い訳に華やかな着物で所狭しと画面を埋め尽くした、とも言えそうな作品もある。

画像: 江戸勝景 中洲より三つまた永代ばしをみる図 天保13-14(1842-43)年頃 個人蔵

江戸勝景 中洲より三つまた永代ばしをみる図 天保13-14(1842-43)年頃
個人蔵

だが検閲による妥協の産物だったのかも知れない子供の絵は、一方で国芳のまた別の画風、それなしには見えなかった才能も垣間見せてはいないだろうか?

武者絵の大胆で豪快、かつ緻密に凝りまくった描写や、西洋油絵を模倣するようでいながらフォルムの抽象的なおもしろさが際立つ作品とはまた異なり、子供の絵はタッチも優しく、日本絵画においては作品の命とも言える線が、とても柔らかなのだ。

画像: 江戸勝景 中洲より三つまた永代ばしをみる図 部分(右端の一枚の下部) 個人蔵

江戸勝景 中洲より三つまた永代ばしをみる図 部分(右端の一枚の下部)
個人蔵

そんな国芳の隠れた一面の秘密がわかるかも知れないのがこの部分。猫を挟んで羽子板で遊ぶ二人の幼女は、国芳が当時としてはかなり歳を取ってから、40過ぎで恵まれた娘を描いていると言われている。

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