今年も9月7日(土)からぴあフィルムフェスティバル(以後、PFF)が開幕となります。PFFは、“映画の新しい才能の発見と育成”をテーマに1977年よりはじまった映画祭で、今年で第41回目。メインプログラムは、120名を超えるプロの映画監督を輩出している自主映画のコンペティション「PFFアワード」ですが、入選作品は海外の映画祭で上映されたり、単独で劇場公開される機会も増えて来て、ますます注目が高まっています。今回は、そんなPFFの魅力をさらに深めるため、PFFに関わる人たちから多角的にお話を聞くという短期間の連載企画をスタート。

第一回目はPFFアワード作品の一次&二次審査を行っているセレクション・メンバーの中から、小原治さん(ポレポレ東中野)、五十嵐耕平さん(映画監督)、安川有果さん(映画監督)の座談会鼎談をお届け。PFFアワードの審査のお話から、映画の観方や、映画と自分の関係性などについて、深堀りしてお話いただきました。

PFFの審査はたくさんの発見がある

ーー小原さんは6年、安川さんは3年、五十嵐さんは2年、一次&二次審査を担当されていますが、どういう想いで審査を行っているのでしょうか。

小原:一番初めに担当させて頂いた時、ディレクターの荒木(啓子)さんに「才能を見てほしい」と言われたんです。ひとえに才能って言っても様々じゃないですか。でも、才能というのは、既に作品側に潜んでいることだなと思ったんです。それを、自分たちが発見できるかどうか。だから、自分の好き・嫌いで選ぶことでもないし、これから売れていく人を予想するとか、業界での戦力をピックアップするとか、そういう限定的な価値判断では無いんだなって思ったんです。だからこそ、一分一秒見逃さないというルールが課せられていると思うんですけど。

安川:私は作品を作る側なので、常に自分の創作に刺激を与えてくれる何かを探しているのですが、PFFの作品を観ていると「こういう表現があったんだ」とか、本当にたくさんの発見があるんです。毎年、映画に限らず一本くらいは作品を作っているんですけど、PFFで観た作品に影響を受けていることも多いです。

画像: 左より小 原治さん、安川有果さん、五十嵐耕平さん

左より小​原治さん、安川有果さん、五十嵐耕平さん

ーー五十嵐さんはいかがですか?

五十嵐:普段自分たちが観る映画って、あらかじめ何かしらの評価軸の中で、壇上にあがっ たものを観ていると思うんです。でも、その辺で拾ってきた石みたいなものに「なんかすごく良い」という部分を感じて、それを発見できるということは、すごくテンションがあがることですよね。あとは、映画を作ることはとても大変なことなので、各自時間をつくって、 お金の都合をつけて、友達に声をかけて、PFFに応募してきているという行為自体が、すごくポジティブなことだなと思っています。

安川:映画はエネルギーが無いと作れないですよね。私はどちらかというと作り手の側の気持ちに寄ってしまうので、結構辛辣な評価をされる作品は、聞いていて傷つきますね(笑)。

小原:審査なので、作品について具体的に論じていく必要があります。でも、正解も不正解もないのが自主映画の輝きだったりするので、作品によっては、それを審査することの矛盾を引き受けた上でなお言葉にしていかないといけない場合がある。

◆映画は観た人の数だけ生まれるもの

ーー皆さんが担当されている一次&二次審査は、どのように行われているのでしょうか?

安川:一次審査と二次審査はやり方が違っていて、一次審査は、1作品を3名のセレクション・メンバーで途中止めることなく完全に観て討議をし、自分がピックアップしたい作品をプッシュしていくんです。そこで作品を観ていないセレクション・メンバーからも観たいという意見が集まった作品を二次審査に残して、二次審査は、ディレクターの荒木さん含むセレクション・メンバー全員で観て話し合うという感じです。

ーー審査をしていく中で、他の方の話を聞いて「こういう視点もあったんだ」と、作品の観方が変わるということもあるのでしょうか?

安川:ありまくりですね(笑)。五十嵐さんは、そういう視点がすごくて...!

小原:五十嵐さんすごいんです(笑)。

五十嵐:(笑)。でも実際は、監督も全然そんなこと思っていなかったこともありましたけどね(笑)。

画像: 五十嵐耕平さん

五十嵐耕平さん

安川:そういう深読みさせるような余地が残っているのは、良い映画だったのかもしれないですよね。作家自身も気付いていない潜在意識とかも作品の中にあると思うんですよ。(審査は)そういうところを、どんどん浮かびあがらせていくみたいな場だとも思うので。

五十嵐:単純に言葉で映画を語ってしまったとき、一瞬“そういう映画”になっちゃうんです よね。

安川:そう。だからめっちゃ矛盾しているんです(笑)。作品の魅力を語って説明しないといけないんだけど、その一方で、この映画のことを本当は自分が一番わかっていないかもしれないっていう恐怖心は常に持っていた方がいいと思うんです。自分がこの映画のことを一番よくわかっている、というような自己アピールの場ではないし、それは作品とは関係ないことなので。

小原:僕らセレクション・メンバーの役割は、映画を観ることじゃなくて、その魅力を言葉にしていくことなんですよね。ただ、これって本当に大きなジレンマを毎年感じているんです。​映画を観る前だったら伝わっていたはずの言葉が、映画を観た後だと伝わらなくなっていることもあるので。

五十嵐:わかります、わかります。

小原:例えば、こういう映画で、こういうところが魅力で、こういうところが良いんですと話した時、誰も映画を観ていない状態だったら言葉の意味通りに伝わるんですよ。でも、映画を観た後だと、それは​映画を観た人の数だけ生まれるものなので、そんな映画かな?って 伝わらなくなってしまうことがあって...。そういう状態で、他者と自主映画を審査するというのは、ものすごいカオスなことだなと思っています。でもその一方で、そういうカオスを生む映画の中には、新しい共通言語の芽が潜んでいるかもしれないとも思っているので、やり甲斐はものすごく感じますね。

画像: 小 原治さん

小​原治さん

◆​誰かにとっての素晴らしい映画というのが絶対ある

ーー一次審査ではたくさんの応募作品を観ると思うのですが、どのようなペースで作品を観ているのでしょうか?

安川:私は一気に観る派ですね。(小原さんに)毎日観る派ですか?
小原:ペースは特に無いですけど、僕は殆どの作品を二回以上は見るようにしています。
安川:すごい・・!
小原:仮に一回目の僕に見る目がなかっただけなのに、それにも気づかずに映画のせいにし たり他人の意見を否定したりするような事態は建設的じゃない。それに一回目観たときに感じた“何か”というのが、二回目、三回目になると、そこに言葉を架橋してより具体的に掴める何かに変わったりするんですよ。そこでやっと審査のステージに立てるのかな、っていう気がしているんです。

ーー前に観た作品のインパクトが強すぎて、気持ちの切り替えが難しい時もあるのでしょうか?

安川:良い作品が続くと、「まだまだ観れる・・!」みたいな、ランニングハイのように感じるときはあります(笑)。

一同:(笑)。

五十嵐:僕は日常生活の中で時間があるときに観ています。だから、すごく良いのがあったから次の日までその作品が残るというのは、そんなに無いですね。むしろ、前にすごく面白い作品があったとしても、次の映画がはじまった瞬間に、パッと切り替わります。

ーー皆さん、鑑賞方法もそれぞれなんですね。

小原:あと、​映画の理解って画面の中だけにあるわけじゃないんですよね。例えば、ある映画を観たあと、その映画のことを考えながら散歩に行ったりすると、なんとなく歩いている風景の中にそのヒントが隠されていたりするんです。その映画とは直接関係は無くても、ヒ ントは画面の外側にもあったりするので。そういうところで、より理解が深まるという場合もあります。

五十嵐:映画と映画の相関関係でもありませんか...?全く別の人が作った作品と作品が組み合わさって、1つ目の作品でわからなかったところも「こういうことだったんじゃないか」ってわかってくるみたいなことも結構あるんです。

ーー全作品を観てみたくなりますね。でも自主映画のコンペティションの作品って、チラシ の情報だけだと、どんな作品なのか伝わり難いのかもと思っていて...。

安川:監督やキャスト・スタッフの名前を知っているからとか、何か文脈があると観に行くきっかけにはなるけど、​本当に誰も知らない突然変異の才能​を、チラシだけで伝えるのって難しいですよね。

画像: 安川有果さん

安川有果さん

ーー場面写真のセレクトも作品によって様々ですよね。

小原:映画のスチール(場面写真)選びは大事。画の引力ってある。とはいえ、それだけで映画の魅力を判断すると、自分にとって運命的な一本との出会いを逃している可能性だってある。当然だけど、チラシには解説もある。今年は同じセレクション・メンバーの上條さんが作品解説を担当したらしく、限られた文字数の中にも映画の表情が宿っている。そこも感じ取ってもらえたら。

安川:何も情報を知らなくても、ビジュアルに興味が惹かれて観に行くことは、きっかけとしてあると思います。一昨年の『あみこ』(PFFアワード2017観客賞受賞)も劇場公開時のチラシの効果は結構あったんじゃないかなと思います。​映画が面白い+ビジュアルが強いというが今のインディーズ映画のヒットの法則かもしれないですね。

五十嵐:映画祭に行った時って、ビジュアルで観る作品を決めることが多いですよね。海外の映画祭だと特に。英語の紹介文も読みますけど、ビジュアルの方が強いので、「この映画こういう感じなんだろうな」って作品を選んで観に行きますよね。

画像1: ◆ 誰かにとっての素晴らしい映画というのが絶対ある

ーーそういう視点も含め、改めて“才能”って難しいですね...。

小原:劇中の言葉選び一つをとっても、その人のセンスなんですよね。映画全体の中で、このポイントにこのセリフを入れたということが、その作家の視点や面白さを際立たせていたりするので、そういうところは見逃せないポイントでもあります。全体の雰囲気で選ぶんだったら、意見が分かれることもあまり無いと思うので。

五十嵐:僕は、何が才能なのかわからないので、逆に才能のことを考えてないんですよ。​自分にとってその映画がどういう映画だったか、というのをただみんなに伝えるというのがすごく大きいと思っているんです​。だから、これが正しいラインナップだとも思わないんですよね(笑)。​入選はしていないけれど、誰かにとっての素晴らしい映画というのが絶対あるはずなので。​僕は、僕自身の中にあるものを、その映画によって引き出されて喋っていて、 映画は観た人個人個人によって複製されて、大量発生していくものだと思っているんです。

小原:映画を観ることって、​世界で一人の自分と出会いなおすことだと思うんですよね。だから自分が映画を観て、何を想って何を感じたのかを言葉にしていくことって、すごく素晴らしく、豊かな経験だと思っています。

画像2: ◆ 誰かにとっての素晴らしい映画というのが絶対ある

◆​「映画」という言葉の中身を「自主」の側から書き換えていく

ーーコンペティションに応募する方の幅広さも、PFFの注目すべきところだなと思っています。

五十嵐:海外の大きい映画祭に行くと、すごいクオリティの話法やカット、編集の面白い映 画がいっぱいあるんです。でも、それってある価値判断の文脈にのってる面白さなんですよね。お金が無いとなると、そういう文脈からは外れるんです。そういう時って、「自分には一体何ができるのか...」というのをすごく考えるじゃないですか。そして、それを実行した時に出来上がる映画の形って、めちゃくちゃ歪なんですよ。でも、​そういう形でしか語れない物語とか、語れない映画っていうのもあるんですよね​。

ーー触れてみないとわからない、自主映画の魅力ってありますよね。

五十嵐:「何これ!?」みたいな(笑)。映画をどうやって観たらいいかわからない経験って、そんなに無いと思うんですよ。でも、これはどうやって観るんだ、一体何を紐解けばいいんだ、みたいなことを常に突き付けられている感じは、結構スリルがあって面白いんです。

小原:自分の中にある“映画”というものを揺るがされる感じがしますよね。映画って、本質的には他者とは共有できないものだとは思っているんです。だからそれを審査するということはおかしな話だなって毎年思いますよ、ホント(笑)。

画像1: ◆ 「映画」という言葉の中身を「自主」の側から書き換えていく

ーー最後に、PFFの面白さについて教えてください。

安川:セレクションメンバーは、本当に面白い方がそろっていて、全人生を持ち込んでいるくらいの熱量で、一つの作品について語り合っているんです。作品が入選すると、本当に人生左右されるみたいなところもあると思うので、みんなすごく真剣に取り組んでいますね。

小原:​自主映画の可能性は「映画」という言葉の中身を「自主」の側から書き換えていくことだと思います。自分にとっての映画を探求し続ける人がいる限り、映画の形もこれから変わっていくでしょう。PFFは、人と映画との関係性の変化と、それでも変わらずにあり続ける映画の本質のようなものを、同時に感じ取ることができる映画祭です。自主映画の新たな価値を掘り起こしていくことで、そこにはより広い「映画」の鉱脈と繋がっていると思います。

五十嵐:予備審査で観た一つの映画をすごく推していても、信じきれない自分がいるんです。そして、その信じきれない感じとか、断言できない感じというのが、すごく自由な気がするんですよね。自分の中の考えって、人との出会いとかで変化していくし、それが組み合わされていくということが、生きていくことだと思うので。​その“信じ切れなさ”というのが、PFFでは体験できるんじゃないかなと思います​。だからこうやって、全く違うテイストの映画があって、それを比較しながら、その時代に作られたものを観に行くって行為そのものが、すごく楽しいことなんじゃないかなって思っています。

小原治(おはら・おさむ)
ポレポレ東中野スタッフ。プログラム、企画、若手作品の公開時は共に宣伝も行う。

五十嵐耕平(いがらし・こうへい)
映画監督。主な監督作に『息を殺して』(2014年/ロカルノ国際映画祭出品)、『泳ぎすぎた夜』(17年/共同監督:ダミアン・マニヴェル/ヴェネチア国際映画祭出品)など。

安川有果(やすかわ・ゆか)
映画監督。主な監督作に『Dressing Up』(2012年/日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞受賞)、『ミューズ』(18年/オムニバス映画「21世紀の女の子」)など。

第41回ぴあフィルムフェスティバル

開催期間:9月7日(土)~21日(土)
会場:国立映画アーカイブ
※月曜休館

映画祭公式サイト

画像2: ◆ 「映画」という言葉の中身を「自主」の側から書き換えていく

photo:久保 貴弘text:矢部 紗耶香

This article is a sponsored article by
''.