中国の歴史上、東晋時代(317-420)と唐時代(618-907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之 (303-361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南、欧陽詢、褚遂良(ぐせいなん、おうようじゅん、ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。しかし安史の乱を境として、唐王朝は大きく揺らぎ始めます。
顔真卿(709-785)は 三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出しました。また、安史の乱の凄惨な思いを 紙面に吐露した祭姪文稿は、王羲之の蘭亭序に比肩しうる歴史上の劇跡と称えられます。
王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。

本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。 また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、王羲之神話が崩壊する過程をたどりながら、改めて唐時代の書の果たした役割を検証します。

顔真卿とは
顔真卿は、山東省の琅邪臨沂(ろうやりんぎ)の人。代々、訓詁と書法を家学とする名家に生まれ、唐の玄宗皇 帝の治世になる開元22年(734)、26歳で官吏登用試験に及第し、4人の皇帝に仕えた官僚です。 天宝14年(755)、安史の乱が起こり、顔真卿とその一族は敢然と義兵を挙げ、唐王朝の危機を救いました。建中4年(783)、再び李希烈によって反乱が企てられると、顔真卿は宰相の盧杞の計略と知りながらも敵地に赴き、捕らえられて蔡州(河南省)の龍興寺で殺害されました。時に顔真卿77歳。顔真卿はのち忠臣烈士として尊ばれ、初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれたその書は、後世の多くの人々にきわめて大きな影響を与え続けています。

第1章 書体の変遷 書体変化の秘密

中国の漢字は、読みやすさ・書きやすさ・美しさ等の要素を満たしながら形成されました。各要素の均衡は、社会の発展とともに変化します。そのため公式の書体は、篆書から隷書へ、隷書から楷書へと進化を遂げてきたのです。

画像1: 東京展会場より

東京展会場より

第2章 唐時代の書 安史の乱まで 王羲之書法の継承と楷書の完成

唐王朝の基礎を築いた第二代皇帝・太宗は、博学で文芸に通じ、王羲之の書をこよなく愛しました。太宗に仕えた虞世南、欧陽詢、褚遂良は能書としても活躍し 、王羲之書法の伝統を受け継ぎながら、楷書の典型を完成させました 。

画像: 九成宮醴泉銘 欧陽詢筆 唐時代・貞観6年(632) 台東区立書道博物館蔵

九成宮醴泉銘 欧陽詢筆 唐時代・貞観6年(632) 台東区立書道博物館蔵

画像: 黄絹本蘭亭序 (部分)  褚遂良摸 原跡:王羲之筆 唐時代・7世紀 台北 國立故宮博物院寄託

黄絹本蘭亭序 (部分)  褚遂良摸 原跡:王羲之筆 唐時代・7世紀 台北 國立故宮博物院寄託

第3章 唐時代の書 顔真卿の活躍 王羲之書法の形骸化と情感の発露

王羲之の書法は一世を風靡しましたが、安史の乱を境として次第に形骸化します。やがて伝統に束縛されず、自らの情感を率直に発露する機運が高まります。顔真卿はこのような意識の変化を、書の表現に見事に反映させました。

画像: 祭姪文稿(部分) 顔真卿筆 唐時代・乾元元年(758) 台北 國立故宮博物院蔵

祭姪文稿(部分) 顔真卿筆 唐時代・乾元元年(758) 台北 國立故宮博物院蔵

755年に安禄山と史思明らによる安史の乱が勃発すると、玄宗皇帝は成都(四川 省)に亡命し、唐の都長安は安禄山らに占領されました。内乱は8年の長きに及び、763年にようやく収束します。顔真卿は義兵をあげて乱の平定に大きく貢献しましたが、従兄の顔杲卿とその末子の顔季明は乱の犠牲となってしまいました。
「祭姪文稿」とは、顔真卿が亡き顔季明を供養した文章の草稿で、悲痛と義憤に満ち た情感が紙面にあふれています。最初は平静に書かれていますが、感情が昂ぶるに つれ筆は縦横に走り、思いの揺れを示す生々しい推敲の跡が随所に見られます。

画像: 千福寺多宝塔碑 顔真卿筆 唐時代・天宝 11 年(752) 東京国立博物館蔵

千福寺多宝塔碑 顔真卿筆 唐時代・天宝 11 年(752) 東京国立博物館蔵

顔真卿44歳の筆になるこの碑は、初心者の手本として広く学ばれています。
初唐の三大家の伝統に立脚する、りりしい書きぶりです。

画像: 自叙帖 (部分) 懐素筆 唐時代・大暦12年 (777) 台北國立故宮博物院蔵

自叙帖 (部分) 懐素筆 唐時代・大暦12年 (777) 台北國立故宮博物院蔵

僧の懐素は酒を飲んで自己を解放し、草書で 胸懐を吐露しました。
自らの学書の経歴を書 いた本作も、狂おしい 草書で変化の妙を尽くしています。

画像: 小草千字文(千金帖)(部分) 懐素筆 唐時代・貞元 15 年(799)頃 台北 國立故宮博物院寄託

小草千字文(千金帖)(部分) 懐素筆 唐時代・貞元 15 年(799)頃 台北 國立故宮博物院寄託

「自叙帖」とは対照的な、燻し銀のような懐素の代表作。
小ぶりの草書で千字文を書いたこの作は、一字一金と評され、「千金帖」とも呼ばれています。

第4章 日本における唐時代の書の受容 三筆と三跡

平安時代初期に活躍した空海、嵯峨天皇、橘逸勢は、唐時代の書を通して、王羲之の書法を学びまし た。平安時代中期に活躍した小野道風、藤原佐理、藤原行成は、唐時代の書を学びながらも、日本独 自の書風を開花させました。

第5章 宋時代における顔真卿の評価 人間性の尊重と理念の探求

安史の乱を境として興った“情感を発露する書風 ”は、宋時代の士大夫たちによって受け継がれ、さらに発展しました。書は人間性によって価値づけられるという考えから、顔真卿の書が高く評価され、古人を模倣しない、個性的な書が尊ばれました。

画像: 重要文化財 行書李白仙詩巻(部分) 蘇軾筆 北宋時代・元祐 8 年(1093) 大阪市立美術館蔵

重要文化財 行書李白仙詩巻(部分) 蘇軾筆 北宋時代・元祐 8 年(1093) 大阪市立美術館蔵

蘇軾が李白の作と伝えられる二首の詩を、蘆雁模様が施された美しい料紙に行書で揮毫した作。
個性の表出に重きを置く、蘇軾の考えがよく表わされています。

第6章 後世への影響 王羲之神話の崩壊

王羲之書法に根ざす伝統的な書と、個性的な書とは消長を繰り返しますが、清時代も1 9世紀を迎えると、真跡が存在しない王羲之の書法を学ぶよりも、青銅器や石碑の文字を学ぶようになります。ここに王羲之神話は崩壊し、野趣あふれる書風が主流となります。

行書五言聯 趙之謙筆 清時代・咸豊 8 年(1858) 個人蔵

行書五言聯 趙之謙筆 清時代・咸豊 8 年(1858) 個人蔵

王羲之神話が崩壊した19世紀、趙之謙もはじめは顔真卿を学びました 。その後、北魏時代の書に傾倒し、独特な筆法を用いることで、野趣あふれる書が創出されたのです。

「顔真卿 王羲之を超えた名筆」展 cinefil チケットプレゼント

下記の必要事項、読者アンケートをご記入の上、「顔真卿 王羲之を超えた名筆」 cinefil チケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名さまに「顔真卿―王羲之を超えた名筆」入場券をお送りいたします。
この招待券は、非売品です。

☆応募先メールアドレス info@miramiru.tokyo
*応募締め切りは2019年2月17日(日曜日) 24:00 

記載内容
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画像: 「顔真卿 王羲之を超えた名筆」展 cinefil チケットプレゼント
画像2: 東京展会場より

東京展会場より

特別展 「顔真卿 王羲之を超えた名筆」
開催期間 2019/01/16(水) ~ 2019/02/24(日)
会場 東京国立博物館 平成館 (東京都台東区上野公園13-9)

時間 開始:9:30 終了:17:00
休館日 2月18日(月)
備考:毎週金曜・土曜は21:00まで開館
入館は、いずれも閉館の30分前まで
料金・費用 一般 1,600円、大学生 1,200円、高校生900)円、中学生以下無料

主催 東京国立博物館、毎日新聞社、日本経済新聞社、NHK
特別協賛 大和ハウス工業
協賛 信越化学工業、損保ジャパン日本興亜、トヨタ自動車、N I S S H A、三菱商事
協力 内田洋行、台東区立書道博物館、毎日書道会

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