Somerset:Ernest Hemingway once wrote, "The world is a fine place and worth fighting for." I agree with the second part.

サマセット:かつてヘミングウェイが書いていた。「この世界は素晴らしい。戦う価値がある」と。後の部分は賛成だ。

(デヴィッド・フィンチャー監督、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー脚本『セブン』より)

『ボーダーライン』(2015)の終盤、一面砂漠のアリゾナとメキシコの国境線地帯にある麻薬密輸のためのトンネルに捜査官たちが侵入していく場面がある。凄まじい緊迫感とともに、暗視と熱感知装置を身につけて闇の中を進む彼らの姿は、あたかも巣穴へと向かう蟻のようにして描写される。人間性を剥奪され、ただ追う者と追われる者の生態だけを見つめるかのような冷徹な視線。そんな眼差しを持った脚本家テイラー・シェリダンが「完全な責任を負わなければならない」という強い覚悟のもとに自ら初監督を務めた本作『ウインド・リバー』においても、家畜=資源を守る人間と駆除される外敵=コヨーテという視点から、ワイオミングの厳しい自然に生きる狩る者と狩られる者の生態を見つめる容赦なき眼差しは一貫して揺らぐことはない。

画像1: © 2016 WIND RIVER PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

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『ボーダーライン』に続く脚本第2作『最後の追跡』(2016)、そして監督を務めた本作を含む3作品をシェリダンは現代アメリカの西部開拓地域を探求した“フロンティア3部作”と位置づけている。法の裁きよりも弱肉強食の掟が優勢する苛酷な辺境=フロンティアで生き抜くためには、自助自立の精神が不可欠となる。法が正義を守れないならば、私刑=縛り首という名の復讐も辞さない。西部劇を支える自警主義=ヴィジランティズムの精神。混迷を極める現代において、勧善懲悪の境界を行き来し、自警主義の新たな地平を身をもって切り拓いてきた人物がクリント・イーストウッドであるのは誰もが認めるところだろう。セルジオ・レオーネと組んだ『荒野の用心棒』(1964)、『夕陽のガンマン』(1965)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966)に代表される「名無しの男」3部作や、『荒野のストレンジャー』(1973)、『ペイルライダー』(1985)などで、彼は人々にとっての死神であると同時に「復讐の天使」でもあるような存在を担ってきた。

そのようにして西部劇の神話を現代に継承してきたイーストウッドの集大成的作品『許されざる者』(1992)の3年後、もうひとりの「名無しの男」がスクリーンに現れる。『セブン』(1995)における猟奇殺人犯ジョン・ドゥ=名無し(ケヴィン・スペイシー)だ。彼もまた、悪徳の街ソドムとゴモラさながらに堕落した現代の都市生活者に対して「神の裁き」を下す。法の裁きを免れる者への私的制裁。イーストウッドもスペイシーも、ともに外部=神として人間たちを罰する側であると同時に、復讐を誓い、自ら《嫉妬》の罪を負う内部側の人間としても生きる「境界上」の存在である。人間の持つ二面性と両義性がかつてないほどに暴かれ、誰一人として許される者のいない現代に救いはない。それでも「世界と戦う価値はある」と刑事サマセット(モーガン・フリーマン)は言う。『許されざる者』においてイーストウッドの相棒でもあったフリーマンが、『セブン』でジョン・ドゥという「神」と対峙する存在でもあるのは単なる偶然だろうか。私には、彼を通じて我々人間に残された叡智と良心を守ろうとする意志が貫かれているように思えてならない。

画像2: © 2016 WIND RIVER PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

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西部開拓の始めから、アメリカの歴史は血と暴力にまみれていた。その歴史においてつねに「追われる者」「狩られる者」であったネイティブアメリカンの少女は、今もなお保留地ワイオミングの荒野を息絶えるまで走り続けている。本作中での悪夢的なフラッシュバックもまた、外部の他者=外敵を「歓待」するのか、それとも「制圧」するのかと、観る者に問いかけてくる。イーストウッドを彷彿とさせる野生生物局の白人ハンター、コリー(ジェレミー・レナー)の私的制裁は、そのような圧制に耐え続けてきたネイティブアメリカンの視点に立った歴史への復讐でもあるのだ。もはや彼は「世界と戦う価値はある」とは言わない。なぜなら、彼は現在に至るまで嫌というほど敗北を重ねてきたネイティブアメリカンにとっての現実を生きる者なのだから。彼らにとって、アメリカの歴史とは勝ち目のない戦いの歴史にほかならなかった。できることはただ、己の内なる負の感情と戦うことだけ。それこそが、私たちに残された守るべき最後の叡智と良心だとでもいうように。

真の敵は自らの内にいる。それはアメリカだけでなく、現在の日本を見ても明らかだろう。現代国家は外敵によって滅ぼされるのではなく、その内側から腐敗し、崩壊する。悲劇の歴史は今なお続いていることを示しつつ、イーストウッドが描いてきた現代西部劇の系譜を引き継ぐテイラー・シェリダンは、復讐と憤怒という罪を背負いながら、外敵から内なる敵へと観客の目を向かわせる。これから先、歴史を忘却した我々の手は幾度も血にまみれることになるだろう。流れる血は涙とともに、無実と無関心を装う純白の大地を赤く染めてゆくに違いない。家畜を襲う外敵のコヨーテにも家族がいる。穴蔵のなかで飢えと寒さをしのぐその姿を見たコリーは何を思っただろうか。

画像3: © 2016 WIND RIVER PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

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テイラー・シェリダン(『ボーダーライン』脚本)初監督作『ウインド・リバー』予告編

画像: 衝撃のクライム・サスペンス『ウインド・リバー』予告 youtu.be

衝撃のクライム・サスペンス『ウインド・リバー』予告

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【ストーリー】

なぜ、この土地(ウインド・リバー)では少女ばかりが殺されるのか――

厳寒の大自然に囲まれたアメリカ中西部ワイオミング州にあるネイティブアメリカンの保留地“ウインド・リ バー”で見つかった少女の凍死体―。遺体の第一発見者であり地元のベテランハンターのコリー・ランバート(ジェレミ ー・レナー)は案内役として、単身派遣された新人 FBI 捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)の捜査に協 力することに。ジェーンは慣れない雪山の不安定な気候や隔離されたこの地で多くが未解決事件となる現状を思い 知るも、不審な死の糸口を掴んだコリーと共に捜査を続行する・・・・。

監督・脚本:テイラー・シェリダン(『ボーダーライン』『最後の追跡』脚本)
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン、ジョン・バーンサル
音楽:ニック・ケイヴ、ウォーレン・エリス
原題:Wind River/製作国:アメリカ/107分/カラー
提供:ハピネット、KADOKAWA
配給:KADOKAWA
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7月27日(金)、角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー

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