「あんな男なぞさっぱり忘れることだ」と
そう思ったあくる日のこと
雷が地を叩くようにごろごろ鳴った
硝子窓の蔭で私はしびれるようにちぢかんでいた
雨が霽(は)れて行っているのに
私は犬のようにふるえる
忘れてしまおうと思った男の事を偶(ふ)と考え始めたが
雷のひどい音の下で何時か《しゃっくり》をしたまま
子供のように眠りこけてしまった。
(林芙美子 詩集『面影』より)

いつでも、「私の生活している世界」である。私の生活から去って死ぬ時が来ても、私は、只それだけのものだ。それだけのものとして人間は死んでゆく。平凡な、誰にも知られない死で世の中は満ちている。自然と人間が、愛らしくたわむれる世の中が私のユウトウピヤだ。
(林芙美子『放浪記』第三部「著者の言葉」より)

誰にでも、忘れてしまいたい恋のひとつやふたつは持っているものだ。私にも昔、抱きしめたくてもできなかった人や、抱き止めてあげられなかった人がいた。そのとき、その人がどんな顔をしていたのか、今では霞む記憶のなかでぼんやりとしか思い出せないけれど、誰かが人を思う感情の疼きは、日々にまみれながら生きている今日でも、まだ胸のどこかに微かな痕跡を残している。あらゆる日々は変化し、過ぎ去っていく。ただそれだけのこと。しかし、あのときもし抱きしめていたら、何かが変わったのだろうかとも思う。そこでは、今の私とは別の私が、誰かとともに幸せな時間を過ごしていたのだろうかと。

齢を重ね、どうしようもないくらい自分というものに倦み疲れるほどに、今の私とは別の私でもありえたのだという感情が頭をもたげてくる。それはたんに過去を後悔するというよりも、むしろ、なぜ私はほかでもない、今ここにこうしているのかという偶然への問いが、若い頃よりも深く身の内に侵食しているということなのではないだろうか。

画像1: © 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

「自分は宿命的に放浪者だ」と語った林芙美子は、母親の郷里である鹿児島県桜島をはじめ、幼少の頃から九州の各地を渡り歩く生活を送っていた。上京後も女工や売り子など職や住まいを転々とする苦しい生活が続くなかで、彼女は文字どおり身を削って言葉を絞り出し、抑えきれぬ情熱とともにほとばしらせた。忘れようとしても頭をよぎる男に思いを馳せつつ、雷雨に怯え、しゃっくりに、疲れに、生活にまみれていくひとりの女。まみれることのなかで、誰に知られるでもなく、ひっそりと忘れ去られていくものたち。

ホン・サンスの映画を観ていつも思うのは、反復とすれ違い=差異を繰り返す私たちの断片的な人生には、誰の目にも触れることなく忘れられたまま、永遠に見出されることのない感情や物事があふれているということだ。それはまた、いまこの〈私〉であることの無根拠と偶然を突きつけ、私たちの存在は否応なく孤独と虚無の内にあることを告げ知らせる。

画像2: © 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

『教授とわたし、そして映画』(2010)の映画監督ナム・ジング(イ・ソンギュン)はベンチに置かれた牛乳パックを見つめてひとりつぶやく。「牛乳パックがここにある理由を知れば、僕と宇宙のすべてが変わった理由がすべて分かる。なぜここにあるのか? どんな理由も必要ない。ここにある理由が必要だ。なぜ他でもないここなのか」と。『へウォンの恋愛日記』(2013)のへウォン(チョン・ウンチェ)は、見出された〈誰か〉になれるなら魂を売ってもいいと言う。そして『夜の浜辺でひとり』(2017)のヨンヒ(キム・ミニ)もまた、価値のないものは考えたくないと悲痛に叫ぶ。

彼らの卑俗ゆえに切実なその問いかけや願いは、この世の中には意味や価値を発見されることのない存在や人生があるのだということを逆説的に浮かび上がらせる。しかし、だからといってホン・サンスはそのような誰にも知られない平凡な生と死、そのなかにあるささやかな思いや機微こそが、人生においてかけがえのない大切なものなのだといっているわけではない。生活や日々の雑事にまみれるうちに忘れられていくそれらには、徹頭徹尾、何の価値も意味もない。「私の生活している世界」とは、その都度、どうにかして折り合いをつけている断片の数々にほかならず、人生とはそれらの欠片がただ脈絡もなく散らばっているだけなのだ。『自由が丘で』(2014)のモリ(加瀬亮)のように、私たちはただ、届くあてのない手紙=断片を日々綴り続けることしかできない。それがやがて散り散りになって忘れられ、失われていくものだとしても。

画像3: © 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

映画で目指しているものは何かと問われたホン・サンスは、娯楽映画や世の中にあらかじめ準備されている物語や生き方をなぞっても幸福にはなれない、我々の感じているそのもどかしさに、自分の作品を観ることで気づいてほしいと答えている。近作から較べればあまりにも重苦しいデビュー作『豚が井戸に落ちた日』(1996)以来、彼の作品に出てくる人々は誰もが例外なく幸福を求めながら、幸福とはかけ離れた状況にいる。そんな彼らが唯一、幸福に似た安らぎを感じる瞬間があるとすれば、それは林芙美子が夢見たような自然と戯れている時間ではないだろうか。今回公開される4作品すべてに主演しているキム・ミニをはじめ、ホン・サンスの描く男や女たちは必ずといっていいほど、道端に咲く花や草木、あるいは舞い落ちる雪を一心に眺めている。『自由が丘で』のモリが端的に答えているように、それらの自然と向かい合っている時間は「人生には恐れるものなどないと思える」稀有な瞬間なのだ。

画像4: © 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

その安らぎの瞬間を揺るぎない肯定へと転換させたのが、ひとつの画期的な転回点といえる『それから』(2017)だろう。本作においてホン・サンスは、キム・ミニという確かな証しを得ることで、人生の孤独と無意味がもたらすためらいやもどかしさを超えて、「この世界を信じる」と断言するに至る。そう語るアルム(キム・ミニ)の姿は力強い確信に満ち、神々しいまでに揺るぎない潔さと美しさをたたえている。とはいえ、私自身は『正しい日 間違えた日』(2015)における断絶と儚い希求のほうにこそ、より深く胸を打たれてしまうのだ。映画監督ハム・チュンス(チョン・ジェヨン)は、ヒジョン(キム・ミニ)と初めて出会ったとき、何をしているのかと問う。それに対して、何をしているように見えますかと彼女は答える。何の変哲もない、ささやかな挨拶と会話。いまここに、あなたと私がいる。結局、この人生で確かなことはそれだけなのかもしれない。そこには決定的な転回以前の、いまここにいることの偶然性が、頼りない光のように美しく揺らいでいる。

そのような無意味や偶然を意味=価値をもった必然へと変えてしまうものがあるとすれば、それは『クレアのカメラ』(2017)においてクレア(イザベル・ユペール)が行う撮影=記録という行為なのではないか。繋がらない断片の数々が、撮影者と被写体というひとつの関係として結ばれてしまうこと。その瞬間、そこには意味=価値が生まれ、物事のすべてを変えてしまう。撮影者と被写体の関係は、もちろん映画監督ホン・サンスと女優キム・ミニとの関係を想起させる。だが、映画監督であるホン・サンスは、撮影=記録という行為を単純に肯定しているのではない。孤独や断絶から逃れ、無意味と偶然に意味と価値を見出すその関係には、新たな権力関係と欺瞞が生まれること。そして、変化をもたらす撮影=記録という行為自体がひとつの暴力になりうることを、ホン・サンスは皮肉と自嘲をこめて、思慮深く描きだしている。

画像5: © 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

人生の断片はどこにでも転がっている。にもかかわらず、私たちは日々にまみれるうちにそれを忘れ、見失い、映画やメディアに溢れている安易な物語の因果や幸福像に飛びついてしまう。やがて、こんなはずではなかったと嘆き、ままならぬ日々に疲れ果て、私たちはまどろみ、つかの間の夢を見る。林芙美子も『夜の浜辺でひとり』のヨンヒのように、夢というありえたかもしれないもうひとつの現実のなかで、忘れてしまった男と出会っただろうか。それは分からない。しかし、ホン・サンス作品の人物たちがいつもどこかへと立ち去っていくように、私たちもまた、映画が終われば、それぞれの現実、もどかしい人生へと帰っていかねばならない。

平凡な、誰にも知られない生と死に満ちた世の中。繰り返すが、その生と死にこそ真の価値=意味があるというのではない。だが、たとえ忘れられ、見出されることがなくても、それらの断片は私たちの世界に確かに生きて存在しているのだと、ホン・サンスは教えてくれる。いまここにいる瞬間だけがすべてであるかのような、寂しくも心地よい夢酔いの錯誤とともに。『教授とわたし、そして映画』の映画監督が、自分の作品を見せたあとで学生たちに言った言葉を思い出す。

「僕の希望は、この映画が生きている何かと似たものになってくれることです」。

『それから』

男女の恋愛を描き続ける名匠ホン・サンス、新たなるステージへ。
成熟を迎えた人間ドラマの最高傑作!

https://youtu.be/mKRnRguh2Hk

監督・脚本:ホン・サンス
出演:クォン・ヘヒョ、キム・ミニ、キム・セビョク、チョ・ユニ
2017年/韓国/91分/モノクロ/ビスタ
原題:그 후/英題:The Day After
配給:クレストインターナショナル

6/9(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー

http://crest-inter.co.jp/sorekara/

『夜の浜辺でひとり』

新しいヒロイン像が、現代を生きる女性の心を波立たせる。
キム・ミニがベルリン国際映画祭 主演女優賞(銀熊賞)に輝いた話題作。

画像: ホン・サンス監督×キム・ミニ『夜の浜辺でひとり』予告 youtu.be

ホン・サンス監督×キム・ミニ『夜の浜辺でひとり』予告

youtu.be

監督・脚本:ホン・サンス
出演:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、クォン・ヘヒョ、チョン・ジェヨン、ソン・ソンミ、ムン・ソングン
2017年/韓国/101分/ビスタ/5.1ch/カラー
原題:밤의 해변에서 혼자/英題:On the Beach at Night Alone
配給:クレストインターナショナル

6/16(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー

http://crest-inter.co.jp/yorunohamabe/

『正しい日 間違えた日』

世界が注目する女優キム・ミニ×名匠ホン・サンスの記念すべき初タッグ作。
公開が待ち望まれていた話題作がついに公開!

https://youtu.be/Xitjqh1SgJI

監督・脚本:ホン・サンス
出演:チョン・ジェヨン、キム・ミニ、コ・アソン、チェ・ファジョン、ソ・ヨンファ、ユン・ヨジョン
2015年/韓国/121分/ビスタ/5.1ch/カラー
原題:지금은맞고그때는틀리다/英題:Right Now, Wrong Then
配給:クレストインターナショナル

6/30(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー

http://crest-inter.co.jp/tadashiihi/

『クレアのカメラ』

フランスの至宝イザベル・ユペール × キム・ミニ × 名匠ホン・サンス
陽光まぶしいカンヌを舞台に繰り広げられる、映画祭の裏事情。

https://youtu.be/IgPRpLm6FcM

監督・脚本:ホン・サンス
出演:キム・ミニ、イザベル・ユペール、チャン・ミヒ、チョン・ジニョン、ユン・ヒソン、イ・ワンミン、カン・テウ、マーク・ペランソン、シャヒア・ファーミー
2017年/韓国/69分/ビスタ/5.1ch/カラー
原題:빌링블록/英題:Claire’s Camera
配給:クレストインターナショナル

7/14(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー

This article is a sponsored article by
''.