小津映画の女性像

睡蓮 対談連載始まって以来、初の番外編ですよ。小津安二郎監督といえば家族の物語というイメージが強いんですが、悪女対談ということで今回は『早春』をピックアップしてみます。

森下 今年4Kデジタル修復版で7作が一挙上映されるので、注目してもらいたいな。
(※6月16日(土)〜22日(金)新宿ピカデリー、6月23日(土)〜7月7日(土)角川シネマ新宿にて)

画像1: 「早春」©1956/2017 松竹株式会社

「早春」©1956/2017 松竹株式会社

睡蓮 そもそもわたしの中ではあんまり小津安二郎と悪女って今まであまり結びつかなかったんですよね。

森下 小津安二郎監督は国内だけではなく海外の映画ファンからも、まるで映画の教科書かのような観られ方をされているけど、女性の描き方としては、スッとした顔で凛と立たせているイメージ。ほとんどの人が原節子さんや岩下志麻さんを思い浮かべるのかな。

睡蓮 確かに依存するようなタイプの女性たちは意図的に描かれてこなかったですよね。名作と呼ばれる作品は常にその時代時代の文化を敏感に取り入れてきたと思うんだけど、女性のちょっとした感覚や言動を描くことは時代を描くことと繋がると思う。

森下 うん。今回、妻の昌子を演じた淡島千景さんにもその時代の自立した女性を感じるよね。

『早春』あらすじ
小津安二郎が野田高梧とともに書いたシナリオを監督し映画化。不倫に揺れる昭和30年代のサラリーマン夫婦を描く。蒲田に妻昌子(淡路千景)と住む杉山正二(池部良)は、丸ノ内への通勤途中で知り合ったサラリーマンたちと仲良くなり、退社後に遊びに行くのが日課となっていた。妻は退屈な毎日から逃れるように、おでん屋を営む母の実家へ帰ったりしている。通勤仲間と出かけた江ノ島で、杉山は金子千代(岸恵子)と接近。千代の誘惑に耐えきれず、関係を持ってしまう。二人の関係に気づいた杉山の妻は家出して、旧友のアパートに転がり込んだ。同僚の死をきっかけに、杉山は自分の生き方を振り返り、千代と別れようと考え始める。ちょうどその頃、会社で地方工場への転勤話が持ち上がった。

妻と夫と愛人と

画像2: 「早春」©1956/2017 松竹株式会社

「早春」©1956/2017 松竹株式会社


睡蓮 小津映画のヒロインたちって、割と好き勝手やっちゃうみたいなところがあると思うんですよね。なよなよしてないというか、基本的に陽の要素が強い。今回も妻の昌子と岸恵子さん演じる千代、通称キンギョという浮気相手が出てきますが、二人の感情の描き方がとてもフラットだなと。

森下 過剰になりそうなところを上手く抑えていて、実に迫ってた。夫の杉山正二が同僚のキンギョと恋仲になる場面があるよね。

睡蓮  ワンナイトラブ的な。

森下 「あれ?これ小津安二郎の映画?」っていうくらい、あっけなく不倫しちゃうの。

睡蓮 しかもキンギョの方から誘ってますしね。

森下 杉山の妻・昌子は悪い女じゃないんだけど我が強い。で、二枚目だけどこれといった特徴のない夫の正二が、ふらっと成り行きで浮気しちゃう。キンギョも、妻の座が欲しいと夢見がちになってさ、どこの家庭にも起こりそうな描き方なのよ。

睡蓮 若さゆえなのか、対抗心なのか、キンギョが「奥さんなんて待ってるだけでつまんない」って可愛く、嫌味っぽく言うんですよね。

森下 羨ましかったんでしょ。キンギョという娘の言動は、なんというか「若い」としか言いようがないよね。結婚生活を経験したことがないせいもあって。

睡蓮 妻・昌子役の淡路千景さんが驚くほどの完璧な美人だというのは確かにありますが、キンギョは何にもにとらわれていなくてすごくチャーミングな子だなとは思いますよ。身近なんだけど高嶺の花でもあり、不思議な距離感。

森下 そうだね、男ばかりの席にポンと入っていける、付き合いのいい女の子で。小津監督ってこんな普遍性の強い面白い映画を撮るんだなーって、『早春』で改めて気づいた。わたしが既婚者で子供もいて、「同じような経験をするかもしれないな」なんて、変な親近感を持ったのもあるけど。でも、個人的には夫の浮気には興味ないかな……。

睡蓮 え、ないんですか!?

森下 あ、ごめん、夫に興味がないんじゃなくて、えーと、もし浮気されたら夫への興味を失うかもしれないなって。だって浮気を始めた人って簡単には止めないし繰り返すもん。そうなったら打つ手がないよ。

睡蓮 なるほどねぇ。まあだいたい繰り返しますよね。

夫婦あるある

森下 もちろん、浮気だけでなく、夫の行動とか、昌子の母親の「こんにゃく持って行くかい?」って言葉とか、ひとつひとつが身近に感じた。あと「夫婦あるある」が多いのね。キャラクターに感情移入するとか、共感するとかあまりないわたしでも「あー、わかる……」って思いながら観た。

睡蓮 くるみさんが感情移入するなんて珍しい(笑)ちなみにわたしにとって「あるある」という感じではなかったんですが、些細なやり取りや会話の絶妙さに唸らされ一喜一憂しましたね。ただ、ひたすら夫の態度が横暴に見えちゃって。家帰ってきてポイって服脱ぎ捨てるところとか、それを当たり前に妻に拾ってもらうとか、ポイじゃないよ!って。

森下 そういうのは時代に関係なくあると思う。生活のことを100%妻がやるお家はまだまだ多いはずだし。今日も日本のどこかで、夫の裏返しになった靴下を拾って舌打ちしている奥さんがいるよ。

睡蓮 まだあるんですかね、うわー、無理!そういえば、わたしの母がコーヒーはブラックで飲む人なんですけど、毎朝、父親のコーヒーに砂糖入れてあげてたんですね。で、そのことが「すごい苦痛だった」ってわたしが大人になってから聞かされたのを、ふと思い出しちゃって。嫌なのに入れてあげるんだ、って妙な気持ちになったんです。

森下 お父さん、お砂糖くらい自分で入れたらいいのにね。そういう些細なことにストレス感じてしまうこともあるよ。

睡蓮 実際そういう積み重ねが別れた原因になってるんだと思う……。他にはどんなところがあるあるなんでしょう?

森下 わたしが同じ目にあったわけじゃないけど、映画の中で夫が同僚の女性と浮気して、家に帰ってこなかったでしょ。翌日、帰ってきたときの第一声が、「大変だったんだよ〜……」(笑)、これはズルいセリフで、本当にこういう曖昧なこと言いそうだわーって思った。「徹夜で仕事して疲れたー」とか、「仕事でトラブルが起きて対応してた」とか、言い訳としてはありきたりでしょ。でも嘘ついてばかりいるんじゃなくて、本当に仕事で遅かったり、友人と飲み会していたりするところが映画として上手いの。兵隊の会に行って友人二人連れて帰ってきたり。

睡蓮 夜中にねえ、酔っ払い二人も連れて帰ってきて。静かに、無表情でめちゃくちゃキレてましたね。あの顔が怖くて非常に魅力的でした。

森下 酔って騒がれたらわたしもキレるもんなあ。あの仲間の酔っ払い方が堂に入っていてかなり笑いのツボなんだけど、酔っ払いってああいう支離滅裂な絡み方するから。夜中に突然図々しくなったりさー。

睡蓮 ……はい、酔っ払いを代表して謝ります。

森下 楽しく飲むのが一番、とはいえあのシーンの昌子はめちゃくちゃ神経が張りつめてて、居たたまれない。

画像3: 「早春」©1956/2017 松竹株式会社

「早春」©1956/2017 松竹株式会社

睡蓮 わざわざ布団敷いて、寝ないで帰り待ってたのに、「酒ないの?」とか言われて、下に戻ってきたら旦那の布団はたたんじゃったみたいな怒り方、いいなって思いましたね。そのあとで、「あんな兵隊だから日本が負けたのよ」ってセリフが鋭すぎておかしかった。

森下 セリフは鋭いよ……。野田高梧が書いたのか小津監督なのかわからないけど、「おお、言うねえ」って怯むようなセリフが多くて聞き逃せなかった。とにかく、嘘は2割までにしないとね。それができないからみんな浮気がバレるんだよ。

睡蓮 そうなのか。何だか妙な説得力が……。確かに「今日は本当だったのね」っていう妻の言い方も絶妙だった。

森下 「ドキッ(汗)」みたいな。魔がさした系の浮気はほぼバレるよ。

睡蓮 うーん、ますます共同生活に耐えられる気がしない。昌子がどうしてあんなに冷静でいられるのか結構不思議だったんですよね。好きな人が浮気なんてしたら多分刺しちゃうし(笑)、そうでなくとも終わりにする。でもそういうのとっくに超えての生活なんですよねえ。

森下 正二と昌子は自分の子供を亡くしているから、夫婦関係としては浮気以前に色々とあったんだと思う。期待したり、諦めたり、不満を抱えたり、でもまた信じたり。浮気に関しては「気にしちゃダメ」というのは難しいんだけど、こうなったら妻の方もマイペースに自分の好きなことするのが一番かな。固執しないこと。これは本当か、あれは嘘かって詮索していたら気がおかしくなるでしょ。

睡蓮 でも本当か嘘か突き詰めないと気が済まないですね。それで答えなんて出ないにしても、色々気になってしょうがないし、本当この世界は耐え難いですよ。ってすみません、話飛んじゃった。

森下 しかし昌子はえらいよね。夫が浮気して夜遅くなっていても、ご飯作って食卓カバーを乗っけて待ってるわけで。普段の生活サイクルをちゃんと保つところに彼女の強さがあると思うの。これができる女はひとりでも生きられるし、離婚してもまた新しい男性が現れるから大丈夫だと思うんだけどなあ。

睡蓮 だんだん、くるみさんが昌子に見えてきましたよ。

森下 うん、昌子に代わって嫌味を言ってる。

画像4: 「早春」©1956/2017 松竹株式会社

「早春」©1956/2017 松竹株式会社

多様な女性像

睡蓮 何というか、キンギョも全然ちやほやされているわけじゃなくて、「目の大きいズベ公」とか言われてたし、結構邪険に扱われたりして痛々しくもあるんですが。

森下 いじられキャラだもんねえ。あの隙だらけなところがズべ公って言われるゆえんなんだろうけど、当然、昌子にも夫の浮気相手への嫉妬心があるから面白いよね。キンギョの顔に夫の下着を投げつけて「これ洗っておいてよ」くらい言っていいと思うけど、それだと増村保造映画になっちゃうか……。小津監督の女性たちの描き方は本当に多様だなと思う。昌子が夫に浮気のことを詰め寄る中で、「いつだって(妻の)席をゆずるわよ」って言うところも、あれは今の時代だって勇気のいるセリフだから。わたしだったら、正々堂々、面と向かって言えるのかな?言えないような気もしてる。

睡蓮 60年以上前の戦後の時代は結婚に対する意識も経済的にもなおさらですよね。もちろん昌子も強いだけじゃなくて家を出て行ったり、絶妙にバランス崩れたりするからドラマが面白いわけですが、でもどこかで家庭を立て直す方向に持っていくのには、もっと家族というものそのものを信じたかったのかな、という気はしましたね。キンギョは冷めた夫婦が考える一つのきっかけにはなっているんだけど、三角関係よりもあくまで家族の物語なんだなと。

森下 この映画には希望がたくさんあって、昌子は最後まで夫の浮気から目をそらさないんだよ。ダメなものはダメ、わたしはこう思ってるんだってはっきり言う。我慢しないでいいんだって、昔の映画にすごく勇気付けられた。

睡蓮 結局、男性の言うことをきくのが得、なんて描き方していないですもんね。微笑みで誤魔化さずちゃんと怖い顔をする。というか、女優の笑顔を撮るのが上手な監督って思ってたけど、本当に怖い顔をとても綺麗に撮る監督だったんだなと新たな発見でしたね。これは大画面で観たいと思った。

森下 あとは、昌子の女友達に離婚経験者がいたでしょ。彼女の家に行って夫との問題をあけすけに言う、そしたらその友達が「なんてことないよ」って言ってくれて、「そうよね」って返す。ああいうやり取りも気持ちが良かったね。

画像5: 「早春」©1956/2017 松竹株式会社

「早春」©1956/2017 松竹株式会社

睡蓮 みんなポジショントークはしっかりやりつつもみんなそれぞれに自由なんですよね。実は、10年くらい前の学生時代に見たときは、ぼんやりと小津映画って男の人のものだなあって思ったんですね、女の人がおまけというか、ちょいちょい女より上なんだぞと男たちがアピールしてくるのが鼻につくというか、今回、意識的に女性たちにポイントを置いて観ていたのに、男性たちのダメな部分が浮き彫りになってそれが妙な普遍性を持っていた。さっきくるみさんが言った夫婦あるあるにも通じてくると思うんですが。

森下 夫婦にもいろんな形があるけど、やっぱりほら、所詮は「人間関係」だから摩擦やすれ違いは避けられないわけで。一度でも結婚生活を送ったら『早春』からなにか感じるはず。

睡蓮 普段は誰かだけに感情移入して観る方なんですが、今回は結構全体を俯瞰して観ている感じでしたね。これだけ映画的な映画でありながら、観客の立場になるとすごく演劇的な要素があるというか。アングルが下からとかそういうことじゃなくて、引きで人間たちを見つめているのだと感じました。全体を写して、しっかり画面の中に人間関係を納めていく。一つ一つのシーンの構図が完成されていてすごいと感激しました。

森下 カメラが固定されていて、その制約の中で人物の動きや物語が展開されていくのが見事だったね。

睡蓮 あの引き加減が、それぞれの人物たちを引き立ててますよね。普段カメラワークとか全然気にしていないんですが、やっぱり意識せざるを得ない。二人の女性に焦点を戻して見ると、彼女たちも安易な対比にとどめていなくて、むしろこのメインの女性同士がどこかで通じ合う部分があるようにさえ思えたんです。女たちは全然したたかじゃないし、むしろ悪女じゃない。もし杉山という人物にある種の男性目線として二人の観方を背負わせてしまったら、全く違う物語だったわけで、つまりいかようにも「悪女物語」にできたわけですよね。そこをあえて杉山視点に依存させない力に改めて感激しましたよ。

森下 そうだね、あくまで杉山は原因というか軸でしかない、その周りの人たちがメインだから。

睡蓮 当時の女の人たちも劇場にこの映画を観に行っていたんだろうし、本当の意味で最先端の娯楽だったんだろうなあ。

森下 女3人くらいで観に行って、池部良が演じた夫についてあれこれ文句つけたり、「しょーがないんじゃない?」って庇ってあげたりしたのかな。洒落てるね。

睡蓮 それ自体すっごい小津的!この機会に4K版を3人くらいで観て、帰りにおでん屋さんにでもいくのをお勧めします。

森下くるみ(もりした・くるみ)
1980年生まれ。秋田県秋田市出身。文筆家。「小説現代」2008年2月号に短編小説「硫化水銀」(のちに電子書籍化)を発表。著作に『すべては「裸になる」から始まって』(講談社文庫)、『らふ』(青志社)、『36 書く女×撮る男』(ポンプラボ)、『虫食いの家』(kindle singles)など。季刊誌『東京荒野』に旅エッセイ「中国回遊録」を寄稿。「食べびと。」連載中の、ポエジィとアートを連絡する叢書『未明02』が発売中。

睡蓮みどり(すいれん・みどり)
1987年生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第二文学部中退。在学中より映画を中心に女優として活動を開始。主な出演作は『恋の罪』(園子温監督)、『青春群青色の夏』(田中佑和監督)、『断食芸人』(足立正生監督)、『第九条』(宮本正樹監督)など。その他、「月刊デジタルファクトリー」で写真モデルを務める。文芸誌「文學界」や「群像」にエッセイを発表。図書新聞に「シネマの吐息」連載中。著作には『溺れた女 渇愛的偏愛映画論』(彩流社)。

「小津4K-巨匠が見つめた7つの家族-」特集上映予告

画像: 世界の映画史に残る小津安二郎「小津4K-巨匠が見つめた7つの家族-」特集上映予告 youtu.be

世界の映画史に残る小津安二郎「小津4K-巨匠が見つめた7つの家族-」特集上映予告

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6/16(土)~新宿ピカデリー、6/23(土)~角川シネマ新宿にて上映

画像: 6/16(土)~新宿ピカデリー、6/23(土)~角川シネマ新宿にて上映

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