マサイの人々の暮らしの変化

 はじめに、今回は第2回の記事の続きになります。さらに第1回の登場人物も継承されます。ですので、1、2回の記事を読んでから今回の記事を読んでいただけると幸いです。ややこしくてすみません・・・。
 さて、第1回の記事で書いたジェレミーさんの集落では、同じ地熱の水蒸気を生活水として利用していました。つまり、マサイの人々も地熱の水蒸気が出ている場所の近くで暮らしている。そこに発電所を作るとどうなるか。みなさんが察するように、マサイはその地に暮らすことができなくなるし、仮に暮らしを続けたくとも、騒音がヒドイので、とても暮らしていける状況ではなくなる。
 ちなみに、聞いたところによると、僕が撮影しそびれたマサイの成人儀礼の地ススワも将来的な地熱発電の開発候補地だとか。経済発展にともない、マサイの人々の暮らしのあり方が大きく変化しつつある、ということですね。

画像: ジェレミーさんの集落では、地熱を生活水に利用していた

ジェレミーさんの集落では、地熱を生活水に利用していた

画像: 第1回の記事で紹介した、マサイの成人儀礼の地ススワ

第1回の記事で紹介した、マサイの成人儀礼の地ススワ

 加えて、大事なことなので、この地域の問題をずっと映像で記録している人類学者のベノワ・アザールさんが、田中樹先生にインタビューしているときの話も。土壌学者である田中先生いわく、地熱発電の開発の影響で居住地を移動しているマサイの人々ですが、彼らが移動した先は、この数十年から数百年くらいのスパンで土壌侵食が起きて、どんどん崩れて住むことができなくなるような土地らしいです。マサイの人々は、そのことを知りながらも他に選択肢がないので、土壌侵食が続く土地に暮らし続けています。彼らの暮らしは今後どうなっていくのでしょうか。

画像: 土壌侵食で崩れていく土地

土壌侵食で崩れていく土地

画像: アザールさんの質問に答える田中先生

アザールさんの質問に答える田中先生

画像: 田中先生に質問をするアザールさん

田中先生に質問をするアザールさん

援助に依存するマサイの暮らし

 で、最初に紹介したコンクリの家に住むマサイの集落ですが、実はこのコンクリの家は、さきほどの発電所を運営している会社が、援助して建てたものみたいです。まあ、かつて彼らが暮らしていた土地からの立ち退き料で建てられた家ということですね。
 さらに、その電力会社からは、週1回、車で水の支給もあり、電気も充分。ケニアは首都ナイロビでも水と電気が不足していますが、この集落には充分で、ナイロビに暮らす溝口さんいわく、感覚的にはナイロビよりも便利なんじゃないか、子供たちはこんな便利な生活をしてしまうと、もはや元の暮らしには戻れないんじゃないか、と話していました。
 いまの僕ら日本人の暮らしは、言ってみれば何もかも便利になった果てにあるものですよね。マサイの人々の暮らしもいつか我々と同じようになるのでしょうか。おそらくある部分ではそれは望まれ、別の部分では人口がこれから100億人にもなろうという時代に、同じような発展の仕方では資源が不足するなどの問題が生じる。大きくは、有限な資源を活用してどうやって持続的に地球上の動植物が共生していけるか、という問題に繋がる。

地熱発電所の高い塔

 それで、大地の裂け目から吹き上げる蒸気と発電所の高い塔のような施設を眺めながら、僕が思い出していたのは、11人の映画監督がアメリカ同時多発テロ事件をテーマに、「11分9秒01」の長さの短編映画を作ったオムニバス映画『11'09''01/セプテンバー11』のことでした。その映画の中で僕が一番好きだったのは、サミラ・マフマルバフという女性の若手監督(公開時に22歳!)の作品。
 ストーリーはいたってシンプルで、アメリカでテロがあって大変だったという話を、教室に集まっている小さな子供たちに伝えようしている若い女性の教師がいるんですけど、彼女の話を子供たちはまるで聞いていない。言葉を覚えたての子供たちにとって、教師の言葉から現実の出来事、しかも遠い国の出来事を想像するのは、ほとんど不可能に近いんでしょう、子供たちは教師の懸命な説明よりも隣の机の子どもとじゃれ合うことに夢中。
 で、しばらくああだこうだと噛み合わない会話が続いて、話の終盤で教師が学校の近所にとても背の高いふたつの煙突があるのでそこに行こうと、子供たちを連れていく。一団がざわつきながら少し歩くと、ふたつの煙突が見えてくる。教師は、高い煙突を見上げながら、子供たちにテロで亡くたった方々を追悼しようとうながす。そのときに、映画ではカメラがぽんっと引いて、ざわつきが静まり、高い煙突がふたつ見えて、そのショットがしばらく続く。ここで初めて、すれ違っていた教師と子供たちのあいだに、何か通ずるものがあるように感じられる。
 僕が心惹かれたのは、子供と大人という、ある意味、共通言語を持たない者同士が、煙突を前に祈りを捧げている瞬間に心を通わせているかのように見える映像における時間体験でした。

画像: 地熱発電所の施設

地熱発電所の施設

画像: ドリル状の機械で掘削し、水蒸気が吹き出ている

ドリル状の機械で掘削し、水蒸気が吹き出ている

 あと、9.11で僕が思い出すのは、ニューヨークのど真ん中で起きた事件をテレビで目の当たりにして、最初はまるで映画のワンシーンみたいだな、とぼうっと眺めていたテレビ画面なんですけど、日が立つにつれ、それが実際に起こっている出来事だという実感が感じられ、それで、ニューヨークと同じような都会に暮らす自分たちの立っている足場が崩れる可能性があることを想像して、戦々恐々とした覚えがあります。
 マサイの集落で起きていることも、彼らの暮らしの地盤が文字通り崩れていく過程にあることを、9.11のときの感覚を重ね合わせて想像すると、僕らも少しは危機感を共有できるものでしょうか。と、そう思って想像力をたくましくさせてはみますが、マサイの暮らしと自分の暮らしはあまりにも遠い。もっと身近なところで、例えば、日本の原発やダムの建設で立ち退きを余儀なくされた人たちを想像すれば良いでしょうか。いや、それも身近だとは言えないな・・。経験を共有したことのない人たちの気持ちを推し量るということは、これは本当にむつかしい・・。
 そうこうしているうちに、マサイの人たちは、とりいそぎ快適な暮らしが保証されているが、10年とか100年単位で、じわりじわりと気づかぬような速度で、ズブズブの底なし沼に沈んで最後には消えてなくなるかもしれない、と思うとやるせなくもなる・・。しまいには、もう何度も同じ過ちを繰り返している人類全体が、実は気づかぬうちにズブズブと沈んでいっているのかもしれないな、とあらぬ方向に想像が巡って来はじめる・・。

地熱発電所の轟音

画像: 地熱発電所、ものすごい轟音が響く

地熱発電所、ものすごい轟音が響く

 地熱発電の施設が設置されている場所は、ともかくウルサイ。うるさすぎて、すぐ隣にいる人との会話もままならないほど。地熱発電の轟音で耳が張り裂けそうな気持ちを味わいながら、ノイズミュージシャンのメルツバウを思い出してました。僕はノイズはあんまり好んで聞いていなかったのですが、ノイズが好きな友人が、ノイズはライブに足を運んで身体で感じるもの、みたいなことを話していたのを思い出します。まさに、地熱発電所で吹き上げる蒸気の音は、身体でビリビリ感じるほどの轟音でした。
 しかし、先に紹介した掘削施設の高い塔のような建設物なども含めて、なんというか、その圧倒的な存在感は、ある意味美しくすら感じる瞬間があるんです。ここで思い出すのは、意外とこれが重要かと思いますが、芸術でいうところの「未来派」ですかね。「過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称える」とはウィキからの引用ですが、当時はそれがカッコよかった。
 テクノロジーの進化で生まれるかつてない速度感を美と称し、芸術作品においてその速度感を表象する未来派。1909年に発表されたマリネッティの「未来派宣言」を読み返してみたんですけど、11項目あるうちの最初の部分「一 われわれは危険を愛し、エネルギッシュで勇敢であることを歌う。」から「七 争い以上に美しいものはない。攻撃なしには傑作は生れない。詩と歌は未知の力を人間に屈服させるための、激しい突撃でなければならぬ。」あたりまではまだいいんですけど、最後の方の「九 われわれは戦争ーそれはこの世の唯一つの健康の泉だー軍国主義、愛国心、アナーキストの破壊力、殺すことの美的傾向、女性蔑視を讃えよう。」になると、ある種の文化的な精神を鼓舞するための手段だとはいえ、これはいただけない。
 しかし、その未来派が芸術の歴史において一時代を築いたことを思い出すと、時代の空気感の中で失われていった文化もたくさんあったんだろうと、今になって思います。さすがに現代において、過去の文化を徹底破壊することは許されないだろうと思いたいですが・・。

「いま、ここにいる」感覚

 ところでみなさん、ヴィンセント・ムーンという映像作家を知ってますか?シネマ・ヴェリテという手法によって、路上で即興演奏しているミュージシャンを記録したり、遊牧民のようにカメラひとつで世界を旅し、伝統音楽から宗教的な儀式、はたまた実験音楽など、さまざまな音楽を記録している映像作家です。つい先日、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催されたイベント(http://gallery.kcua.ac.jp/projects/20171220_id=12292#ja)のために、彼が京都に来ていたのですが、トークイベントで彼が話していたことが脳裏をよぎったので、少し書きますね。
 彼はミュージシャンではなかったのですが、元来音楽が大好きで、ずっと音楽と関わっていたいと思っていたそうです。そして、音楽と関わるための手段として、映像を選んだ。その後、彼は著名なミュージシャンともたくさん仕事をしていたみたいですが、エジプトの首都カイロで、観客がいない、その場にいる人たちすべてがプレイヤーであるかのような音楽体験をして、それまで彼が関わってきた商業的な音楽みたいなものに違和感を感じるようになったそうです。それでカメラ片手に世界を旅するようになった。
 僕がすごく共感したのは、彼が映像というツールを手にすることで、自分が「いま、ここにいる=Be present」と感じられるようになったと言っていたこと。もうひとつ共感したのは、彼は目の前の事象を偶発的にカメラで切りとっているだけで、「いかに手放すか、ありのままを受け止められるか」が大事だと言っていたことです。
 僕はミュージシャンではなくて、研究者の活動と現地の人々の暮らしを映像で記録しているのですが、僕にとっての「いま、ここにいる」感覚は、多重の意味を持っています。まさにカメラがあってこそ、僕はその場に、アフリカでマサイの集落などにいられる。そして、撮影者として僕は「いかに手放すか、ありのままを受け止められるか」を意識しています。
 が、研究者がフィールド調査に訪れる場所というのは、基本的に何らかの問題があるからこそ、それを解決するために調査に入っているので、それらの問題とどのように付き合っていくのか、という問いが、しがないひとりの映像作家の内面にも生じるわけですね。いや、答えなんて見つかりそうにないから逡巡を繰り返してはいますが、とてもまとめられないので、これでケニア訪問の話は終わりにしたいと思います。ただ、そういうことが今回記事を書いていてよぎったという話でした。

最後に

 地熱発電所を訪れた際に、田中先生は「マサイの人々の暮らしの幸せな光景が見られたが、発電所で生み出す電気の行き着く先にも幸せな家庭の風景が同時にあるんだ、どっちも重いはずなんだ」とおっしゃっていました。
 田中先生が作られた『フィールドで出会う 風と土と人』(総合地球環学研究所「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト、2017年)という本がありますが、今回、僕が記事を書かせていただいたケニア訪問について、田中先生が「巡りめぐって ―ケニアや自分との出会い」(同書、75p)というタイトルでエッセイを書かれているので、こちらもぜひご覧ください。
http://archives-contents.chikyu.ac.jp/3702/kaze_hito_tsuchi_web.pdf

澤崎 賢一
1978年生まれ、京都在住。アーティスト/映像作家。現代美術作品や映画を作っています。近年は、主にヨーロッパ・アジア・アフリカで、研究者や専門家たちのフィールド調査に同行し、彼らの視点を介して、多様な暮らしのあり方を記録した映像作品を制作しています。現在、撮影した映像素材を活かした新しいプロジェクト「暮らしのモンタージュ」を準備中。
初監督作品であるフランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した長編映画《動いている庭》は、劇場公開映画として「第8回恵比寿映像祭」(恵比寿ガーデンシネマ、2016年)にて初公開され、その後も現在に至るまで立誠シネマ(京都、2017年)や第七藝術劇場(大阪、2017年)で劇場公開、アート・フェスティバル Lieux Mouvants(フランス、2017年)などでも上映されました。

・映画《動いている庭》公式サイト:http://garden-in-movement.com/
2018年2月10日(土)-23日(金)に神戸アートビレッジセンターで映画《動いている庭》が上映されます。https://www.kavc.or.jp/cinema/1610/

・旅先の写真をインスタにアップしています。
 Instagram:https://www.instagram.com/kenichi_sawazaki/
・個人サイト:http://texsite.net/
・映像制作・記事執筆など、お仕事のご依頼なんなりと
 texsite1206(アットマーク)gmail.com

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