夫殺し、愛人との幸せな生活

睡蓮 悪女と悲劇の後編、まずは増村保造監督の『妻は告白する』から取りあげます。

森下 主演の彩子は若尾文子さんが演じているんだけど、世間に向ける「悲劇の妻」の顔と、愛人に向ける「媚びて、甘えて、頼る女」の顔、どちらも魅力的だったなあ。

『妻は告白する』あらすじ 
円山雅也の小説「遭難・ある夫婦の場合」が原作。舞台は北穂高山麓。三人の登山者が遭難し、男と女が宙づりとなっている。一番上で二人を支える男の手からは血が噴き出しており、意を決した女はナイフでザイルを切り一番下にいた男を転落死させた。死亡したのは大学助教授の滝川、救出された女は滝川の妻・彩子、男は彩子の愛人の幸田だった。彩子は告発され、裁判では夫の死亡が故意か過失かが争われることとなり、結果として彩子は無罪となるのだが……。

睡蓮 計算しているのか、天然なのか、絶妙なラインを行き来する彩子の姿に翻弄されますね。夫を殺して愛人と一緒になろうという、表面的には大悪女なんですけどね。

森下 といっても計算づくの賢い生き方をするわけじゃなくて、流されながらもなんとか生き延びている感じに若尾さんらしい悪女ぶりが見えたよ。

睡蓮 彩子には罪悪感がないんです。「あの状況になったら殺すでしょ、何が悪いの?」ってことを愛人の幸田に対しても言うし、裁判所でも告白する。マリー・アントワネットの「パンがないならお菓子を食べればいいのに」に近いというか。

森下 うん、夫を助けようって気は少しもなかった。

睡蓮 本人は極めて淡々としているけど、明らかに妄想と現実を混同していてるのに気づいていないところが怖い女です。で、だんだん浮気相手も、あれ、これは何かおかしいぞ、と。

森下 怖いといっても『危険な情事』のアレックス(グレン・クローズ)に比べたら全然……。

睡蓮 あれはホラーだから(笑)どっちにしろ、好きになった男には逃げられちゃうけど。彩子の世界には滝川と愛人、男が2人しかいない。不幸な環境なんですよ。

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森下 狭いよね。夫を殺してからは愛人一筋で、「自分と愛する男、2人だけの世界を作ることが幸せなんだ」って信じてるでしょう。相手がいてこそ自分が存在できるんだって。

睡蓮 峰不二子みたいな「あらゆる男はわたしのもの」とする悪女と違って、二択ですからねえ。

森下 そこまで思い詰めなくても、って思うけど、なかなか人を信じないのに一度信じたら地獄まで!みたいなアンバランスさが彼女の色艶になっているのは否めないからなあ。

睡蓮 彩子が罪を語るときに、なぜかこっちまで「そうそう、あの夫が悪いんだから殺しちゃってもしかたないよ!」って気にさせられました。

森下 うーん、共感させられてしまうし、許しちゃうというかね。水も滴るイイ未亡人だもん(笑)あと、旦那がバーで知り合いに「どうやら俺の妻は浮気してるらしいんだ。俺も一人前の夫となったってことかァ」って言うシーンがあったじゃない。

睡蓮 モテない男の強がりみたいですっごい気持ち悪かった……。それに彩子の、供述のなかで、崖から宙ぶらりんになってみんな辛い時に、一番下にいた夫の滝川が助かりたいともがいて暴れたとか、もう最悪だなと思った。

森下 前の章で語った『痴人の愛』の冴えないおじさん・譲治レベルに人格が歪んだ男だと思う。自分の自信のなさに気づいてない。往々にして、そういう人が彩子みたいな従順そうな女性を飼殺すんだけど。

睡蓮 夫婦といえども、軟禁状態。「だったら俺が囲っていじめ抜いてやる」っていう、お金払えばなんでもしていいっていう卑屈な感覚。そうやって何かを自分の下に位置づけてでないと自分を保てない男と暮らしてたら、そりゃ鬱屈してきますよ。だから、宙ぶらりんのときのあの3人の位置(愛人の幸田が一番上で、真ん中が彩子、下が夫の滝川)というのは面白いと思いましたね。

森下 社会の中で女性の立場がまだ弱い頃だもんね。ただ、生活に困らないからって、滝川みたいな傲慢な男と結婚した彩子にも落ち度はあったと思うけど。

睡蓮 ああいう感覚の男の人って絶滅危惧種になってきたような……んー、まだいるか。今だったら、選択としては自分で稼げばいいし、あんな生活なら結婚しなくてもいいわけですもんね。滝川役の小沢栄太郎さんがあの嫌みな夫を怪演されていて、憎たらしさが倍増していますね。

森下 どこで男らしさをはき違えたのか……。悪は悪を作るよね。

睡蓮 あのダメな旦那によって家庭という閉鎖的なところに押し込められて、旦那以外に接点のなかったところに、愛人になる男が外からやって来たら、救いを求めたくなるのもわかる。その、救いの道が男にしかなかったのが彼女の悲劇ですよ。

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森下 夫への不満が溜まり切ったところに出会ったのかな、だから夢中になったんだろうけど。「今度こそ幸せになるんだ!」って期待が一気に膨らんだ分、破裂するのも早かったね。

睡蓮 彩子が悪女にならざるを得なかったのは愛人がへっぴり腰だったからというのも大きいと思う。

森下 いやいや、ビビるよ。男性側としては自分の立場が不利になると困るし、責任なんて持ちたくないじゃない。わたし、彩子がこの男に惹かれた理由がわかんないんだよなあ。

睡蓮 夫以外いなかったから、ですよ。でもねえ、そこはひとひとり殺しちゃうくらい追いつめられてることに幸田もどこかで気づいて欲しかった。責任云々とか感じてる暇あったら、もっと彩子のことちゃんと見てよって思った。完全に彩子に翻弄されてるな、私(笑)。

森下 若尾さん演じる彩子の悪女性は日本女性の奥ゆかしさが悪い方に出た形だけど、本能で行動しているから、観ている方は感化されるところがあると思う。最後、ボロボロになっても増村保造監督だから女として美しく映ってるのね。ラース・フォン・トリアー監督とは違うなあって、ちょっとほっとした。

睡蓮 ああ、悪意をもって汚く撮りますから、トリアーは。

森下 人じゃなく物みたいに撮るときあるもん……。

睡蓮 とりあえず、わたしが彩子の立場だったら、迷うことなくザイル切りますよ。

森下 切る以外の選択肢ないよ!いいチャンスだから死んでください、だよ。

睡蓮 前にとりあげた『樹氷のよろめき』もそうだけど、三角関係で山に登っちゃうとどうもかなりまずいことになるようですね。

森下 山ねー。海だとまた違う結末になるのに。って、そういうことじゃないけど、いずれにせよ怖い話だ……。

睡蓮 彩子がどんな告白をしても、最後まで「これって、本当に本心なのかな」ってしこりがどこかに残って、それが彼女の一番の悪女的な魅力なんだなと思いました。自分でも何を感じているのかどこかで分かっていないようなあやふやさが。

森下 悪女の「体質」にも色々あって面白いなあ。

画像: A Wife's Confession www.youtube.com

A Wife's Confession

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無欲の悪女、ジェルソミーナ

睡蓮 『道』のジェルソミーナはものすごく何かを信じている女性ですね。

森下 外見は大人だけど、中身は幼女だもんね……。悪女の中でもニュータイプだよ。

『道』あらすじ 
純粋無垢なジェルソミーナは粗暴な旅芸人のザンパノにタダ同然の金額で買われ、奴隷のようにこき使われる。それでも彼女は自分が必要とされるならと道化の恰好で芸をし始め、新しい生活にささやかな幸福さえ感じつつあったが、次第にザンパノの態度に嫌気が差し、街へと逃げていく。そこで陽気な綱渡り芸人イル・マットに出会い、彼の芸に感動したジェルソミーナは交流を深めていくのだが、ザンパノに見つかり連れ戻されてしまう。

睡蓮 ジェルソミーナはおそらく一般的な「悪女」のイメージとはかけ離れているし、そもそも他人に害を及ぼすタイプの人間ではないけど、結果的に他人の人生に深く影響してしまいます。

森下 人の人生を狂わせたなんて夢にも思わないだろうな。素直な人だから。

睡蓮 悲劇というか、哀劇というか。ヒロインとしてかなり好きですね。くるみさんはどう思います? 彼女の持つ本物の純粋さは、逆に悪女レベルが高いとも言えるんですけど。

森下 一般的には、ジェルソミーナは男にとって菩薩、聖母だと思う。純潔で、献身的で、愛らしくてさ。でも、今回『危険な情事』や『妻は告白する』とか他の作品の悪女と並べてみたら、ジェルソミーナとも行き来できるなって思った。こういうとき、女の多様性ってすごいよなーって思う。

睡蓮 わたし、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』って小説が好きなんですけど、ジェルソミーナにはナジャ的な、社会の規範におさまりきらない飛んだ世界観のなかにいるひとだと思うんです。そこに触れると感電してしまうというか。

森下 上手く語れないけど、無欲で男に尽くして死んだからって聖女扱いするのは違うよね。

睡蓮 尽くすにしても、男の理想の中に大人しくしてるだけじゃないです。家庭的な女性でもないし。男でも女でもない無性的な感じ。

画像: metrograph.com
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森下 そう、ジェルソミーナは頭の弱いだけの人じゃない。ときどき強烈な意思表示もするから油断できないよ。ジェルソミーナが後半、ザンパノに「わたしのこと好き?」って確認するシーン、あの行動ってすごく微笑ましくていいんだけど、好きかどうかを相手に聞くってどういう心境なんだろう。

睡蓮 旅先で出会ったイル・マットという芸人に、「ザンパノはお前のことが好きなんだよ」って教えられたあと……ですよね。

森下 そうそう。

睡蓮 性的な意識と関係なく、誰が自分のこと好きだっていうのが純粋に嬉しいという感じですかね。

森下 小学生の女の子みたいな感じかな。

睡蓮 ザンパノは最初、ジェルソミーナの女の部分になんてまったく興味がないんです。彼の行動パターンだと、女として意識してたら道化の仕事なんかさせずに機械的に性的暴行して終わりだと思います。

森下 うん、それは確かにそう。

睡蓮 ザンパノが他の女のところに行くとジェルソミーナは寂しがったり嫉妬したりするけど、あれは「わたしの男を取ったわね」みたいな男女の感覚じゃなく、「お母さん、どこ?」って不安と寂しさだって風に観てました。

森下 ジェルソミーナって男に性的なものを求めないもんね。

睡蓮 他の女たちがザンパノに求めたのは「男」の部分で、ジェルソミーナは強いて言えば「人間」だったから。でも「何も求めていない」っていうところが彼女の凄みですね。

森下 「わたしのこと好き?」って聞くところは、もちろん彼女は無自覚だとしても、女性性の根っこがあるってことで、誰かが扉を開けば、性へ目覚める可能性はあったんだろうなあって深読みしてるんだけど。

睡蓮 後半のザンパノはジェルソミーナのこと完全に女として見ていますよね。大道芸人のイル・マットもネックレスをあげるとか、惚れてるような態度をしているし。

森下 色気や女くささに無縁で、男性とのコミュニケーションに戸惑って変顔したりする女の子に惹きつけるものがあったんだよ。

睡蓮 理由がないですもんね、彼女の精神状態って。なぜ好きなのか、とか、白痴なのかどうか、とかも。それに、ジェルソミーナって見抜いちゃうひとだと思うんです。一緒にいてくれたら誰でもいいわけではなくて、その相手の本質の部分を分かってしまう。だからザンパノは見抜かれてドギマギするわけですね。

森下 幼いというか、生身で存在してるんだな。8歳、9歳くらいの感覚。ま、これはロリ映画ではないけど(笑)

睡蓮 むしろ、ザンパノはロリータ好きじゃないと思う。わかりやすく女好きですもん。自覚のないジェルソミーナと、そんな彼女の中にも女を見出してしまったザンパノの関係性ってなんだかじくじくと胸が痛んで苦しい。

森下 無垢であることは女としては圧倒的だよ。これには勝てない。

睡蓮 女なんてゆきずりでいいと扱いも手荒なのに、ジェルソミーナはそういう無骨な男の心を開いてしまいましたね。ただ、ザンパノにとってはその純粋さが耐え難くて、彼女の世界にある種の楽園のようなものを感じたのか、急に怖くなって捨てたって気がしましたね。

森下 絶対の愛だもん。逃げるよね……。こういうとき、男って哀しいもんだよ。

画像: www.allocine.fr
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純潔と毒薬  

睡蓮 ジェルソミーナの求めたのが「恋愛」よりも「幸せ」の方で、初めて他人と愛情を交わせるかもしれないって、最後まで信じ切っていたことは一方では悲劇なのかも。

森下 ラストは大道芸人を続けるザンパノが見知らぬ街にやってきて、たまたま曲を耳にするよね、ジェルソミーナとの思い出の曲。

睡蓮 はい、彼女は死んでる、でも男は忘れていない、ってところまで描かれてますね。

森下 ジェルソミーナとの出会いは劇薬を飲むようなものだったんだよ。「純潔」はザンパノみたいな人間にとって、じわじわ効く毒と同じ。

睡蓮 純粋な毒。映画の書き方のひとつの理想ですね。わたしの中で彼女は「究極の悪女」です。「女」じゃないからこその悪女性。

森下 ジェルソミーナには他の悪女の要素を全部備えた人だと思う。だから本当に、無敵って感じ。

睡蓮 最強だと思います。自分がどう思うかじゃなく、周りをどうしてしまうかが悪女の本領、ですもんね。ひとりで悪い人なんて所詮悪くないんですよ。

森下 その辺は、海辺でのザンパノの慟哭に全部が出てる気がする。

睡蓮 はあ、なんだか涙が出てきた……。

森下 えええ!

睡蓮 あのシーンを観るとホント必ず泣いてしまうんですよ……泣かないですか?

森下 な、泣かないかも。ザンパノが絶望に打ちひしがれるのは、それだけの酷いことをしたからであって……。

睡蓮 そっか……。

森下 『道』は美しい映画だよ。わたしは大人になって観直して、あのラストシーンに「二度ともどらない時間」っていう無常を感じたけど、ザンパノは美しいものを自分で手放したんだもん。悔やむなら身体がばらばらになるくらい悔やんで欲しいよ。なにもかも遅すぎたんだから。大男で粗野な性質なのに、心のどこかには細くて脆い神経があったんだなあって一応フォローしとくけどさ。

睡蓮 そういうザンパノの人物像がちゃんと繊細に描かれてるから、彼の姿を通してジェルソミーナを観ることもできるのが、この作品の名作たるゆえんだと思います。

画像: La Strada 1954 trailer www.youtube.com

La Strada 1954 trailer

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多様性を孕む「悪女」

森下 誰の頭の中にも「悪女」の固定概念があると思うんだけど、すっかり凝り固まってしまっているのかな。男を誘惑するだけで小悪魔や悪女って言われて、なんとなくのイメージで消費されて終わっちゃってない?

睡蓮 そうですね。たいていその言葉の定義が何かを問う前段階で、無意識に自分とは無関係ってところで語られがちですよね。「悪女」として主流なのは男を惑わす女性なのかもしれないし、そういう、一面的な見方をすることは私にとってはあまり面白くない。時代や価値観によって、新しい悪女像が出てこないとおかしい。

森下 悪女の定義を一度解体しないといけないと思う。男の匂いのしない悪女もいるからね。それこそセックスなんて全然しないよ。

睡蓮 ジェルソミーナも、いわゆる悪女像には当てはまりえない人物だと思います。彼女を演じたジュリエッタ・マシーナはフェリーニ監督の奥さんですが、この作品が悲劇であると同時にとても幸福な物語なのはなぜか?と考えさせるのはとても重要です。狂気の類を持つ人との関係性では、ありふれた幸せは望めないかもしれないけれど。

森下 ありふれた幸せってなんだろう。望めば望むほどに虚しくなりそうなんだけど。

睡蓮 つまり、その疑問が対談をやる意味なんでしょうね。悪女は基本的には幸せになるべきじゃないって感覚が蔓延しているような窮屈さが、耐え難いというか。そんなこと言い出したら、悪女に限った話ではなくなってしまうんですけどね。

森下 幸せって「充実感」や「満足感」とも言いかえられるから、「どんな女だろうと好きに望めばいいし、幸せになっていいんだよ」ってことを言い続けていきたいね。

睡蓮 個人的には不倫バッシング的な風潮とかもおかしいと思っていて。なんで世間というものは他人の幸せや不幸を勝手に判断したがるのだろうと。「こういうヤツは不幸にならなきゃおかしい」って感覚が当たり前にあることが恐ろしいんですよね。

森下 ああ、不寛容ってやつだ……。それと差別意識。差別はなくならないねえ。それどころか色濃くなっている気がする。連載でもたくさん不倫映画を取り上げてるけど、最初から最後まで幸せなことしか起こらない映画なんてないんだけど。というか、あっても観ないよ。

睡蓮 そこまでバカみたいにハッピーな映画があったら観てみたい気もしますよ(笑)まあ、そういうものは語り甲斐もないだろうし、何を語っていいかわからないというのが正直なところですかね。

今回取りあげた2本

『妻は告白する』
原題 Her Confession/Wife's Confession/製作年 1961年/製作国 日本/配給 大映/上映時間 91分
監督 増村保造/原作 円山雅也/脚色 井手雅人/企画 土井逸雄/撮影 小林節雄/音楽 北村和夫/美術 渡辺竹三郎/録音 長谷川光雄/スチル 薫森良民/照明 渡辺長治
キャスト 若尾文子、川口浩、小沢栄太郎、馬渕晴子、根上淳、高松英郎、大山健二、小山内淳、村田扶実子他

『道』
原題 La Strada/製作年 1954年/製作国 イタリア/配給 イタリフィルム=NCC/上映時間 108分
監督 フェデリコ・フェリーニ/製作 ディノ・デ・ラウレンティス 、 カルロ・ポンティ/原案 トゥリオ・ピネリ 、 フェデリコ・フェリーニ/脚本 トゥリオ・ピネリ 、 フェデリコ・フェリーニ/撮影 オテロ・マルテリ/音楽 ニーノ・ロータ
キャスト アンソニー・クイン/ジュリエッタ・マシーナ/リチャード・ベイスハート/アルド・シルヴァーニ

★前回の対談はこちら

森下くるみ(もりした・くるみ)
1980年生まれ。秋田県秋田市出身。文筆家。「小説現代」2008年2月号に短編小説「硫化水銀」(のちに電子書籍化)を発表。著作に『すべては「裸になる」から始まって』(講談社文庫)、『らふ』(青志社)、『36 書く女×撮る男』(ポンプラボ)、『虫食いの家』(kindle singles)など。季刊誌『東京荒野』に旅エッセイ「中国回遊録」を、ポエジィとアートを連絡する叢書『未明』に「食べびと。」を連載中。

睡蓮みどり(すいれん・みどり)
1987年生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第二文学部中退。在学中より映画を中心に女優として活動を開始。主な出演作は『恋の罪』(園子温監督)、『青春群青色の夏』(田中佑和監督)、『断食芸人』(足立正生監督)、『第九条』(宮本正樹監督)など。その他、「月刊デジタルファクトリー」で写真モデルを務める。文芸誌「文學界」や「群像」にエッセイを発表。図書新聞に「シネマの吐息」連載中。著作には『溺れた女 渇愛的偏愛映画論』(彩流社)。

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