追悼・松本俊夫 ロゴスとカオスのはざまで
2017年4月12日、映像作家・松本俊夫がこの世を去りました(享年85歳)。武満徹、粟津潔、大島渚、東松照明、磯崎新、寺山修司、一柳慧・・・。映像作家として60年代を彩る豊かな才能と交流し、映画理論家として松竹ヌーヴェルヴァーグをはじめ当時生まれつつあった革新的な映画表現に大きな影響を与えていた松本俊夫。
記録映画、実験映画、劇映画、ビデオ・アートをボーダレスに行き交い、どの分野においても先駆的な映像作品を遺しました。長編デビュー作の『薔薇の葬列』(1969)では、時代の状況と作家性を見事に結晶化させ新たな映画の時代の到来を証明しました。
本特集では、長編『薔薇の葬列』『修羅』『十六歳の戦争』に加え、映像作家としての原点である前衛的なドキュメンタリーから、70年代にいち早く取り組んだビデオ映像を駆使した作品など、松本俊夫の作家としてのコアとなる作品を上映。
松本の高度な論理性をバックボーンとしながら、その思考の深淵から沸き出るカオティックなエネルギーを充満させた作品群を通して、松本が我々に残した偉大な遺産の概観を試みます。
ジョナス・メカス、アンディ・ウォーホル、ゴダールが映画に変革をもたらしていた1960年代、日本でも同じくらい重要な映画の革命が起こっていた。その先頭に立っていたのが松本俊夫である。
ージョン・フォートギャング(イギリス チャンネル・フォー映画評論家)
松本俊夫プロフィール
1932年愛知県名古屋市生まれ、2017年死去。映画監督・映像作家・映画理論家。東京大学文学部美学美術史学科を卒業後、新理研映画に入社し、〈実験工房〉のメンバーを起用してPR映画『銀輪』(1956)を演出。その後、『記録映画』『映画批評』などの雑誌で理論家として活動しつつ、『安保条約』(1959)、『西陣』(1961)、『石の詩』(1963)などの記録映画を手がける。1968年に松本プロダクションを設立、ATG(日本アート・シアター・ギルド)と提携した『薔薇の葬列』(1969)で劇映画に進出。その後『修羅』(1971)、『十六歳の戦争』(1973-76)、『ドグラ・マグラ』(1988)などの劇映画と並行して、『つぶれかかった右眼のために』(1968)、『エクスパンション=拡張』(1972)、『アートマン』(1975)など数々の作品を製作し、国内における実験映画やヴィデオ・アートの動向を牽引した。イヴェント「クロストーク/インターメディア」(国立代々木競技場第二体育館、1969)では、『イコンのためのプロジェクション』で直径4メートルのバルーン20個に映像や照明を投影、また大阪万博「せんい館」では『スペース・プロジェクション・アコ』(1970)でマルチ画面の映像制作を行った。主著に『映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(1963)、『映像の変革-芸術的ラジカリズムとは何か』(1972)、『映像の探求-制度・越境・記号生成』(1991)[以上、すべて三一書房]などがある
2017年12月9日より12月22日まで二週間限定 渋谷シアター・イメージフォーラムにて開催
《長編作品》
●「薔薇の葬列」「修羅」「十六歳の戦争」
《短編作品》
●プログラムA/『西陣』、『石の詩』、『母たち』
●プログラムB/『つぶれかかった右眼のために』『エクスタシス<恍惚>』『メタシタシス<新陳代謝>』『モナ・リザ』『ファントム<幻妄>』『アートマン』『ホワイトホール』『気配』『ディシミュレーション<偽装>』
●プログラムC/『エクスパンション<拡張>』『アンディ・ウォーホル=複々製』『色即是空』『エニグマ<謎>』『コネクション』『リレーション<関係>』『シフト<断層>』『スウェイ<揺らぎ>』『エングラム<記憶痕跡>』
●プログラムD/『安保条約』『白い長い線の記憶』『300トントレーラー』
《ドキュメンタリー作品》
●『映像の発見=松本俊夫の時代』(第一部〜第五部/筒井武文監督作品)※劇場初公開作品
10年に及ぶ撮影を経て紡ぎ出された“ロゴスとカオスの人”=松本俊夫。映像作品の引用と作品の関係者や時代を象徴する批評家への膨大なインタビューによって、その全貌が語られる。松本の怜悧な批評眼と卓越した論理性が、その破壊的な前衛感覚と混沌とした官能性の間でせめぎ合う!!――その狭間で揺れる、眩暈のような700分間の記録。
一般:1,500円/学生・シニア1,200円/会員:1,100円
「映像の発見=松本俊夫の時代」のパンフレット制作のためのモーションギャラリーでクラウドファウンドも行っています。
2017年12月9日よりシアター・イメージフォーラムにて開催