小野耕世のPLAY TIME

映画「ドリーム」と<見えない人間>をめぐって

1. スパイダーマンとアメリカの宇宙開発

1960年代の初期「スパイダーマン」のコミックスのなかに、ひとコマたりとも黒人が登場しない意味に、私を目覚めさせてくれたのは、その初期作品を翻訳しているときに見たアメリカ映画「ドリーム」(原題 Hidden Figures 隠された人々)であった。

1957年10月、ソヴイエト連邦(ロシア)が、世界最初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功したことで、アメリカとソ連による宇宙開発競争が始まった。そして1961年、アメリカ・ヴァージニア州にあるNASAラングレー研究所に、優秀な計算能力を持つ黒人女性たちが雇われた。だが、それはジム・クロウ法という人種差別的内容を含むアメリカ南部諸州法がまかり通っていた時代であった。NASAに仕事を得た黒人女性たちは、トイレに行くときに、仕事場から800メートルも離れた黒人用トイレに走っていかなければならないなどの差別を受けることになる。だが彼女たちは、当時のIBMの計算機よりも優れた計算能力を発揮し、研究所の責任者(ケビン・コスナーが好演)は白人職員たちの冷たい視線のなか、差別を次第に取り除いていく。そして、1962年2月20日、ついに宇宙飛行士ジョン・グレンがアメリカ初の地球周回軌道飛行に成功する。そのときの重要な計算をすばやく行い、飛行中のグレンの危機を救ったのは、この映画の主人公である黒人女性の計算者だった・・・という、実話に基づく映画。いま、その90歳過ぎの女性はアメリカ国家から表彰を受けているのだった。

画像1: ⓒ2016Twentieth Century Fox

ⓒ2016Twentieth Century Fox

黒人の主演女優たちの堂々とした演技に気持ちを奪われながら見ていたセオドア・メルフィー監督による「ドリーム」は、私にとって、まさに<目からうろこ>の映画であった。
私が大学生を経て社会人(NHKの教育局でラジオやテレビ番組を作っていた)になったケネディ大統領の1960年代、私はアメリカのNASAによる宇宙開発の進展をわくわくして追っていたものだが、背景に黒人女性たちの活躍があったことなどまったく知らないでいた。日本人だけでなく、多くのアメリカ人にとっても同様だったのではないか―とこの映画を見て感じた。だからこそこの映画は、アメリカで大ヒットしたのであろう。隠されていた人々による隠されていた活躍。そして、この映画のクライマックスである宇宙飛行士ジョン・グレンの地球周回軌道飛行の成功は、繰り返すが1962年2月20日だった。

そして、マーヴル・コミックスの編集者で原作者であったスタン・リーによる最初のスパイダーマン登場のコミックスは、「アメイジング・ファンタジー」誌の第15号、(1962年8月号)に載ったのである。だが8月号というのは(日本と同様、雑誌は表示の月より早く出るので)、実際には1962年3月に発売されていたのだった・・・。

2. スパイダーマンと宇宙飛行士

つまり、最初のスパイダーマン掲載のコミックブックは、ジョン・グレンの成功からひと月も経たないうちに発売されていたことになる。

もちろんスタン・リーも、ジョン・グレンの成功の影にNASAの黒人女性計算者たちの努力があったことなど知らなかったであろう。だが、この周回飛行の成功は大ニュースになったから、スパイダーマン・コミックスにもこの出来事が反映されていたのである。
「アメイジング・ファンタジー」の成功で、独立した雑誌になった「アメイジング・スパイダーマン」の第一号(1963年3月号)には、宇宙飛行士であるジョン・ジェイムスン(いつもピーターをこきつかう新聞社のジェイムスン社長の息子)が、軌道飛行に挑戦して打ち上げられるエピソードが描かれている。だが彼を乗せたカプセルの方向装置が脱落、飛行カプセルの動きがおかしくなって地上に衝突しそうになる危機を、スパイダーマンが救うというストーリーだ。現実のグレン飛行士の成功が、スタン・リーを刺激して、こうしたストーリーが生まれたのだろう。
だが、このエピソードにも、黒人の姿はどこにも描かれていないのは、映画「ドリーム」をすでに見てしまった私の目には、なにか皮肉のように感じられてならなかった。

つまり、「スパイダーマン」のコミックブックを、いわば最初に打ち上げて成功させたスタン・リーと画家のディツコなど、当時のマーヴル社の人たちにとって、黒人たちは<見えない人間>であったのだ。

画像2: ⓒ2016Twentieth Century Fox

ⓒ2016Twentieth Century Fox

画像3: ⓒ2016Twentieth Century Fox

ⓒ2016Twentieth Century Fox

3. 三種類の<見えない人間>

SFの父であるイギリスの作家、H・G・ウェルズが19世紀末の1897年に発表した小説 The Invisible Man は、日本では「透明人間」と訳された。この訳は見事なもので、「見えない人間」と正直に訳されていたら、SFとしての想像力をあまりかきたてなかったに違いない。これはインパクトのある訳題だった。
それとは別に、定冠詞の無いInvisible Man という小説があることは、あまり知られていないのではないか。1961年に早川書房から刊行された「黒人文学全集」(全10巻)のなかで、上・下二巻で刊行されたアメリカの作家、ラルフ・エリスン(1914-94)による長編「見えない人間」(1952)の原題である。
「自分は不可視人間だ」(I am an invisible man)の言葉で始まるこの黒人作家の小説は、存在していても見えないふりをされる、つまり(別に透明ではないのに)見えない人間としてあつかわれる黒人たちのことを描いている。アメリカではじめて刊行されたとき衝撃をもって受けとられたアメリカ文学史に名を残している作品である。(もっとも、実際にこの小説を読んでみると、『見えない人間』という意味は、そう単純ではないことがわかるのだけれど)

さらに言うと、The Invisible Man というタイトルの短編小説を、私はひとつ知っている。それは、イギリスの作家G・K・チェスタトンによるブラウン神父ものの最初の短編集「ブラウン神父の無心」(河出文庫版) に収録されている「透明人間」である。
このミステリー短編では、殺人犯を探すのだが、どうしても見つからない。実は犯人は郵便配達人で、あまりにもあたりまえな存在なので、彼を見てもだれも考慮の外に置いていたのだった―といういかにもチェスタトンらしい皮肉である。ただ、この場合は黒人差別のように、見えるのに見えないふりをするのではなく、郵便配達をちゃんと見ていながら、悪意なく関心を持たれないという、心理の盲点を突いていた。

そしてもちろん、1960年代初期の「スパイダーマン」のコミックスのなかのどのひとコマにも黒人が描かれていない―というケースは、エリスンの「見えない人間」例に相当するのであろう。
つまり、1950年代にも60年代にも、ニューヨークに黒人はおおぜいいたのだが、スタン・リーの初期コミックスでは、存在していても無視されていたということなのである。同時期の多くのコミックブックについて、おしなべてそうだったのではないだろうか。
やがて1967年の「スパイダーマン」のコミックブックで、初めてジェイムスン社長のデイリー・ビューグル新聞社に、いつもパイプをくわえている黒人の編集長・ロビー・ロバートスン氏が登場する。ロビーはジェイムスン社長とは違って、ピーターに好意的な人物として描かれるのだが、彼の登場は、スティーヴ・ディツコの跡を継いだスパイダーマン・アーティスト、ジョン・ロミータ(父のほう)の時代になってからだった。
もちろん現在では、マーヴルのコミックブックでも、その映画でも、多くの黒人たちが活躍しているのは、皆さんご承知のとおりである。黒人たちが<見えない人間>だった時代など、あたかも存在しなかったかのように・・・。

小野耕世
映画評論で活躍すると同時に、漫画研究もオーソリティ。
特に海外コミック研究では、ヒーロー物の「アメコミ」から、ロバート・クラムのようなアンダーグラウンド・コミックス、アート・スピーゲルマンのようなグラフィック・ノベル、ヨーロッパのアート系コミックス、他にアジア諸国のマンガまで、幅広くカバー。また、アニメーションについても研究。
長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
一方で、日本SFの創世期からSF小説の創作活動も行っており、1961年の第1回空想科学小説コンテスト奨励賞。SF同人誌「宇宙塵」にも参加。SF小説集である『銀河連邦のクリスマス』も刊行している。日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に。

『ドリーム』予告

画像: 全米大ヒットの実話感動作『ドリーム』予告 youtu.be

全米大ヒットの実話感動作『ドリーム』予告

youtu.be

全国大ヒット中!

This article is a sponsored article by
''.