小野耕世のPLAY TIME
スパイダーマンの青春

1. 高校生のスーパーヒーロー

今年の夏、映画「スパイダーマン ホームカミング」が公開された。

このアメリカ映画の監督は、その前に「コップ・カー」という低予算映画を監督して注目されたジョン・ワッツである。
林のなかに放置されたパトカーを見つけたふたりの十代の男の子が、車の運転もろくに知らないのに、その車に乗って走り出したことから、事件が起きていく。そして、まったく映画初出演の男の子ふたりの演技がごく自然で、映画を最後までひっぱっていく魅力があった。
しろうとの少年ふたりに巧みな演技をさせた腕を買われて、彼は大予算の映画「スパイダーマン ホームカミング」の監督に抜擢されたのだろう。その期待に応える見事に楽しめる作品に仕上がっている。

画像: 映画『スパイダーマン:ホームカミング』予告① youtu.be

映画『スパイダーマン:ホームカミング』予告①

youtu.be

この映画の新しい点は、これまで何人もの青年俳優が演じてきたスパイダーマン映画とは違って、彼が放射能グモに噛まれて超能力を得たいきさつなどまったく描かずに省いてしまったことだ。
主人公は、すでに超能力を得たスパイダーマンで、彼が15歳の高校生であることが、しっかりと描かれている。

今年公開されたアメリカ映画で、もうひとつ高校生ヒーローを描いたのは、アメリカ版の「パワーレンジャー」で、こちらはスパイダーマンのようにひとりではなく、高校生グループ5人の集団ヒーローのはなしである。そして、彼ら5人がパワーレンジャーに成長していく過程が、ていねいに描かれていた。そして、パワーレンジャーに変身しコスチューム姿になっても、彼らの顔は、(日本のパワーレンジャーとは違って)マスクで隠されることはなく、はっきり見えるようになっているのが、いかにもアメリカ版のグループ・ヒーロー映画らしかった。彼らは、色とりどりのコスチュームを身に着けていても、あくまでも個人の集まりとして敵と戦うのである。そこがすばらしいと私は感心した。

いっぽう「スパイダーマン ホームカミング」のピーター・パーカーには、アメリカ版パワーレンジャーのように(ヒスパニックらしい)高校生の友人がいる。彼はスパイダーマンがピーターであることを知りながら、決してその秘密をもらすことなく彼に協力する。

このふたりの友情は、見ていて気持ちがいい。これまでのスパイダーマンにはなかった要素であり、主人公が高校生である意味が、これほどきちんと描かれたスパイダーマン映画は初めてだろう。
高校生のスパイダーマンがあこがれる存在は、アヴェンジャーズのメンバーであるアイアンマンや、キャプテン・アメリカである。(ついでながら、先日、このキャプテン・アメリカ役の俳優クリス・エヴァンスが主演する「ギフテッド」(Gifted)という映画を見たが、彼の演技のすばらしさに感心してしまった。こうした優れた俳優たちが、アメリカのスーパーヒーロー映画を支えていることがよくわかる。「ギフテッド」は、ぜひご覧になることをおすすめする)。

「スパイダーマン ホームカミング」とアメリカ版「パワーレンジャー」に共通しているのは、個人と集団のヒーローを描きながら、どちらも少年の成長物語だということだ。自分の未熟さに気付いて、それを乗り越えていく。さまざまな試練(イニシエーション)を経て、新しい自分へと育っていくその過程が、ていねいに描かれている。

2. 1960年代のピーター・パーカー

映画「スパイダーマン ホームカミング」の公開に合わせて、私は、彼がアメリカのコミックブックに初めて登場したときの作品群240ページほどを翻訳した。
それらはすべて、原作者のスタン・リーと画家のスティーヴ・ディツコが組んで生み出したシリーズである。それはコミックブック「アメイジング・ファンタジー」に1962年に描かれたスパイディ登場の11ページの短編に始まる。この高校生のスーパーヒーローは、すぐに人気を呼び、独立したコミックブック「アメイジング・スパイダーマン」として刊行される。その最初の10号分まで、私は翻訳した。それは、ヴィレッジブックスから「アメイジング・スパイダーマン」というハードカバー版として、七月末に刊行されている。

翻訳しながら、とても楽しかったのは、この最初期の「スパイダーマン」のシリーズがアメリカで刊行された頃に大学生だった自分ことを、思い出していたからである。
私は国際基督教大学のキャンパスに、洋書店で買ったり、古本屋で見つけた登場間もない「スパイダーマン」のコミックブックを持ち込んで読み始め、1963年に大学を卒業し社会人になってからも、夢中で読み続けていた。そして、そのころには自覚していなかったことに、あれから半世紀以上が過ぎ、初めて翻訳しながら気づいたのだった。
それは、スタン・リーによって1962年に生み出されたスパイダーマンの物語には、黒人がまったく姿を見せていない―という事実である。ピーター・パーカーが通うニューヨークの高校には、ひとりも黒人の学生がいない。それどころか、彼をめぐるおとなたち―学校の先生、新聞社の人たち、いや、スパイディが戦う悪人たちにも、ニューヨークの街の通行人にも、黒人はまったくいないということだった。つまり、私が翻訳した240ページほどの初期スパイダーマンのコミックスのなかに、黒人(というよりも、白人以外は)が姿を見せている画面は、ひとコマもないのである。

画像: 2.	1960年代のピーター・パーカー

現実にはあり得ないことであろう。だが、当時のコミックブックの世界では、それがふつうのことだったと言っていい。私が翻訳した原本は、1987年に刊行されたマーヴル・アーカイヴ・エディションという、初期マーヴルの作品を上質紙に印刷した名作マンガ復刻豪華版の一冊である。
当然、1987年に書かれたスタン・リーによる1962年当時を振り返っての序文もついている。だが、そのなかで彼は、スパイダーマンの初期コミックスには、白人しか出てこない事実には、まったく触れていないのだった。

小野耕世
映画評論で活躍すると同時に、漫画研究もオーソリティ。
特に海外コミック研究では、ヒーロー物の「アメコミ」から、ロバート・クラムのようなアンダーグラウンド・コミックス、アート・スピーゲルマンのようなグラフィック・ノベル、ヨーロッパのアート系コミックス、他にアジア諸国のマンガまで、幅広くカバー。また、アニメーションについても研究。
長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
一方で、日本SFの創世期からSF小説の創作活動も行っており、1961年の第1回空想科学小説コンテスト奨励賞。SF同人誌「宇宙塵」にも参加。SF小説集である『銀河連邦のクリスマス』も刊行している。日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に。

This article is a sponsored article by
''.