「映画を見ることは、香港の文化を応援するひとつの手段になる。」
映画『十年』トークイベント開催!
中国への返還20年を迎えた香港の<今>を描いて話題となっている社会派問題作『十年』が公開中の新宿K’s cinemaで、昨日29日(土)18時30分、香港政治の研究者として広く知られる、立教大学教授倉田徹先生が登壇。
「映画『十年』に見る、香港の中国化と自由」と題してトークイベントが開かれた。
雨の中上映にかけつけた観客は男性と女性が半々で、先生の話に熱心に耳を傾けていた。
普段知りえない映画の背景にある香港の現状を詳しく聞き、おもしろかったと声をかけて帰る観客もいたほどだ。
「この『十年』という映画ですがそれぞれ政治性の強い作品というのが共通点ですので、各作品の裏にあるキーワードとなるような政治のお話をしたいと思います。」冒頭でこう語ると、各話から連想されるキーワードとその詳細を説明する。
第1話「エキストラ」
第1話「エキストラ」ですが、こちらのキーワードは「国家安全条例」で、何度も映画の中に出てきていると思います。これを作るために、というのが主題だと思います。この「国家」というのは中国です。中国の安全、つまりそれは中国共産党政府の安全を守るための法律です。
香港は「一国二制度」という仕組みになっています。
香港は中国の憲法と違って、香港のミニ憲法と言われる香港基本法というのがあり、その第23条には、香港は中国の安全を守るための法律、例えば共産党政権をつぶすとか、中国の国家機密を盗むとか、外国と結託して政治活動をするとか、そういうことを禁止するための法律を作りなさい、という規定が実はあります。中国がなぜ香港に国家案税条例というものを作らせようとしているのか、と言いますと、天安門事件というのが一つの要素になります。
1989年に北京の天安門で天安門事件が起きた時に、香港の人々が異常に大きなデモを繰り返して、何度も学生たちを支援した。それは北京から見たら非常に怖い訳です。香港の人々は中国の政府を倒しにくるのではないか、それが怖いから香港にそれを禁止させるための法律を作らせたい、これは北京の意図になります。基本法は香港にそれを課している、でも実際は出来てない。2003年に香港で実際にその法律を作ろうとしました。これは北京からの強い求めがあった。議会で間もなく可決というところで、50万人の大きなデモが起きました。2003年の7月1日です。このデモをきっかけにその法律は廃案になり、まだ国家安全条例というのは出来ていないんです。一度出来てしまうと、今度はそれが言論の自由を圧迫するものになるかもしれないという香港の人の恐怖があります。
香港側でもこの23条立法、国家安全条例が出来るということは怖い事です。北京としてはどうしても作りたい、したがってああいう手を使って作る、という第1話のお話になる訳です。
第2話「冬のセミ」
第2話「冬のセミ」ですが、多くの方が一番難しい作品とおっしゃるのですが、この話にも実は政治的な側面があります。冒頭のところで取り壊しの話が出てきました。エディという人物の名前が出てきますが、実は香港で取り壊しに反対している活動家と全く同じ名前です。彼が持っていたところを取り壊されて、それを全部保存していこうということですよね。開発、歴史、文化、環境を保護するということの対立は、返還後非常に大きな香港の政治の意趣になっています。
その大きな話題のひとつになったのが、2006年のスターフェリーでした。皆さんご存知でしょうか、香港島と九龍を結ぶレトロな船で、観光客の皆さんお乗りになる。あの埠頭で、非常にレトロで風情のあるものが香港島に建っていました。時間になると時計台から鐘の音が聞こえてとても風情がある。ところがそこを取り壊し、埋め立てて開発をする話が政府の方で持ち上がりました。そうすると香港の人々が、どうしても壊させたくないために立ち上がる。埠頭に自分の身体を結び付けて一生懸命抵抗する、というような運動が2006年に起きています。
こういう取り壊しや開発に反対する運動も、香港にとっては新しい話です。
もともと香港は植民地です。植民地に、古い物、歴史の記憶等は必要ない、あったら困るんです。
地元の人々が地元に愛着を持って、例えば反植民地運動等イギリスに対して反抗を始めたら、イギリスは怖い訳です。したがってあまり奨励されてこなかった。歴史や文化は保存するよりもむしろ壊す、というのが植民地時代のやり方だった訳です。そして中国に返還された。これで植民地ではなくなった訳ですから、本当であれば、文化を保存するというのをもっと認められて言い訳だったのですが、中国は中国で開発主義の国になります。経済成長のために、古い建物を守るというよりは、高層ビルを建てよう、大きな鉄道を通そう、そんな話になる訳です。その後高速鉄道の反対運動もおきます。中国と香港を結ぶ新幹線、その取り壊しということです。
そういったことで反抗する人々が物を残そうとする。このストーリーの中で、最終的には香港人そのものが、ある意味失われてしまうのではないか、という意識になり、自分自身を保存しようとなる訳ですよね。それがあの映画のストーリーですね。香港の人々の中には自分たちが香港人として失われていく可能性がある、という意識もあるわけです。
第3話「方言」
第3話「方言」は分かりやすいお話だったと思います。ただタイトルの「方言」この言葉自体が非常にある意味挑発的な言葉だと思います。
私たちも香港を語るとき、ある意味簡単にというか無神経に、北京語は中国の標準語、広東語は中国語の方言です、という言い方をします。しかし香港人に言わせれば、広東語はそもそも方言ではない、自分たちの標準語である。アナウンサーが使う、政府の役人が記者会見に使う、あるいは学校で教える言語、正式な言語な訳です。
香港の人は、広東語は方言という言い方はしない訳なんです。私自身は、広東語というのは、そうやってしっかり守られているものと個人的には思っています。あの映画に出てきたような形で、広東語が滅びるというそのようなものではないと思っています。ただ、すぐお隣の中国大陸の広東省も広東語です。そこでは広東語はやはり方言です。したがって、政府は広東語の放送を北京語に切り替えようという運動をします。それに対して2011年に広州の街で反対運動が起きています。そういったことからも、広東語の危機が連想されます。
第4話「焼身自殺者」
第4話「焼身自殺者」これはストレートに政治の話です。香港の独立という議論です。
2014年に雨傘運動という民主化運動が起こりました。これが起きるまでは、香港に独立論というのはそんなに活発じゃなかったんですね。あくまで香港の中を民主化して行こうという事で止まっていたと思います。ところが雨傘運動であれだけの人が道路を占拠して長い間頑張ったにも関わらず、中国がどう対応したかというと、無視した訳なんですね。彼らが言った言葉というのは、妥協せず、流血せず、なんです。血を流すような弾圧はしないけれども、妥協はしない。結果的に放っておくしかない。放っておいて、勝手に帰るのを待つ、それがあの運動の結末です。そうなると、香港の若者が北京へ行って話をしようとすると聞いてくれない。じゃあしょうがない、ということで、独立運動の方に行ってしまいます。そこで頼るのは、ひとつはイギリスということになります。イギリスの国旗を振る人というのが、最近よくデモに出てきます。そうするとその向かいに中国の国旗を振っている愛国者が必ず出てくる。この人たちがもし衝突を始めると大変危ないですから、警察官は両側で、間に入ってその人たちを分けるようにする。これが最近の香港の風景の一つです。
第5話「地元産の卵」
最後の第5話「地元産の卵」。ここで出てきたのは少年団という組織です。
彼らの行動はお分かりだった方も多いと思いますが、中国文化大革命の連想がもちろんあります。実は今年50周年なのですが、50年前に香港では「香港暴動」というのがありました。この暴動は文化大革命の影響を受けた香港の共産主義者が起こしたもので、共産党の支持者たちは爆弾テロをたくさんやり、50人以上の人が無くなりました。したがって返還前には、文化大革命は暴力の象徴であって、非常に怖がられたものです。ところが50周年になって、今中国の香港になりましたから、当時の暴動の関係者の一部から、あれは愛国的な運動だった名誉回復を求める、暴動ではない、という人たちも出てきています。だから彼らは若者たちがああいうことをやるというのは怖い。
「少年団」という組織が出てきますが、原文ですと広東語では「少年軍」というようになっています。実は、「少年軍」とそっくりな「青少年軍」というものが、映画が作られた年、2015年に作られています。人民解放軍と共産党政権の支援の元、「香港青少年軍」という組織が実際作られている。中国式の軍事訓練を、香港の若者に施すための組織です。そんなに大きなものにはなっていないけれども、おそらくそのイメージがあの映画にはあったんだと思います。」
そして、ここ数年の香港映画に対する政治の影響を語る。
「いずれにしても、この5本のお話は中国の力によって香港が変えられていく事に対する警戒感だったと思います。私が見て非常に印象深かったのは、この映画は10年後の近未来の姿であるんですが、むしろ濃厚なテーマというのは、過去に対する郷愁だったのではないかと思いますね。10年後だからといって技術が進歩しているとか発展がすごくなっているイメージはない。低予算の映画で、すごいセットを作ったり、CGをやったりするのは無理だったのだと思います。今の香港を撮るしかない。香港の中でも古い建物、小さいお店、公共団地、そういうむしろ懐かしいものを描いて、これは今までの香港映画と変わってきたなという気がしますね。繁栄する最先端の都会ということではなくて、むしろ素朴な人々の生活が染み付いた場所、求める価値というのは物質的、金銭的なものではなく、自由、民主、文化そういうものになって、香港の変化を表しています。
一方中国人を描く描き方も変わっています。話の中に何人か北京語を話す人というのが出てきます。北京語を話す人というのは、昔の香港映画ですと、大体貧乏で田舎臭くて、香港の事をよく分かっていなくていろんな変な事をやってしまうんだけれども、なぜか憎めない、やさしい暖かい人、それが昔の中国人が香港映画に出てきた時のイメージなのですが、むしろ逆ですね。政治的なエリート、経済的なエリートなんですが、なんか冷たい、冷血な人たちという印象があったと思います。これも、大きな変化だと思います。こういう映画を撮るということは、皆さんご存知だと思いますが簡単ではないと思います。皆さんの中で香港に興味を持ったきっかけは、ブルース・リーだったり、ジャッキー・チェンだったり、昔の香港映画だったりすると思うのですが。最近なぜ世界的スターが香港から出てこないかということをよく聞かれます。実際ひとつの要因には、中国の影響があると思います。香港映画そのものが滅びたとは私は思わない。ところが、中国大陸との合作映画が圧倒的に増えているんです。香港の人口が700万人、中国の人口が14億。200倍の市場があると、どうしてもそっちの人に見られる映画を作るしかない訳です。その時に、少し前まで中国大陸は映画に対する規制が厳しいので、中国映画の検閲に通る映画を作る一方で、香港で上映できる検閲をかけていないノーカット版のようなもの、香港バージョンというものを作って2本別々なものを少し前まで作っていました。ところが、それがあるということを中国の人もわかってしまう。そうすると香港に来てDVDを買い、香港版を持って帰って、これがノーカット版と見てしまう。そうなると検閲の意味がなくなってしまうので、2008年から香港版を作ることを禁止したんです。中国でやるものと同じものしか香港で上映できない。中国は政治的なものはもちろん、暴力とかポルノとかそういったものも規制が厳しい。そこをあんまりカットすると香港映画ではなくなってしまう。そういうことで、日本でもどうしても香港映画に元気がないように見えてくると思います。
他方で、『十年』みたいな映画が出てきたのも新しい現象で、スペクタクルなセットを組んで、CGを使って、すごい予算で大スターを並べてというのは、合作でやるしかないです。香港には土地、お金、人がいないということですから。そういう映画はそれでやっていけばいい。他方で、香港の若手、無名の監督、俳優は、そういう映画には呼ばれないですよね。彼らが映画の仕事を始めようとするとこういったものから始めるしかない。『十年』が示しているのは、中国に出ていくという戦略を一旦忘れれば、こういったものが撮れるんだ、これは中国では撮れなくても、少なくとも香港では製作する自由があって、こうして日本でも出てくる。こういう方向性がある限りは、まだまだ香港映画には空間があると思います。
本日お越し頂いている皆さんもそうですが、こういう香港のちょっと特別な映画ですが、日あるいは世界の人々が見ることが、香港の文化を私たちが応援する一つの方法になるんだと思います。難しい映画だとは思いますが、背景をふまえて見ると非常に味のある映画だと思います。」一見、日本人には深く理解することが難しいと感じる香港の物語『十年』だが、先生の説明を聞いていると、時折冗談を交えつつ難しい事をわかりやすい言葉で説明して下さるせいか、すんなりと心の中に作品が収まる気がする。物事を知る事は楽しいことなのだと、改めて感じるトークショーだった。
【倉田 徹先生 プロフィール】
2008年東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。2003~06年に在香港日本国総領事館専門調査員。金沢大学人間社会学域国際学類准教授などを経て、現在、立教大学法学部政治学科教授。専門は現代中国・香港政治。著書『中国返還後の香港―「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞受賞)、『香港-中国と向き合う自由都市』(共著、岩波新書)等がある。
近未来の香港ー衝撃の問題作『十年』予告
●物語
第1話『エキストラ』
労働節(メーデー)の集会会場のある一室。
2 人の男が銃で来場者を脅そうと密かに準備を進めている...。
第2話『冬のセミ』
壊れた建物の壁、街に残された日用品など、黙示録の中の世界になったような香港で、一組の男女が標本を作製して いる。
第3話『方言』
タクシー運転手に普通話の試験が課せられ、受からないと香港内で仕事ができる場所に制限がかかるようになる。
第4話『焼身自殺者』
ある早朝、英国領事館前で焼身自殺があった。
身元もわからず遺書もない。一体誰が何のために行ったのか!?
第5話『地元産の卵』
香港最後の養鶏場が閉鎖された。
【地元産】と書かれた卵を売るサムは、良くないリストに入っている言葉だと注意を受ける。
プロデューサー:アンドリュー・チョイ(蔡康明)/ン・ガーリョン(伍嘉良)
監督:
「エキストラ」クォック・ジョン(郭臻)
「冬のセミ」ウォン・フェイパン(黄飛鵬)
「方言」ジェヴォンズ・アウ(歐文傑)
「焼身自殺者」キウィ・チョウ(周冠威)
「地元産の卵」ン・ガーリョン(伍嘉良)
2015/香港/広東語/DCP ステレオ/104 分/英題:TEN YEARS
配給:スノーフレイク