ペンと葉書を武器にヒトラー政権に抵抗したごく平凡な夫婦の驚くべき実話―

フランスがドイツに降伏した1940年6月、ベルリンの古めかしいアパートで暮らすオットーとアンナのクヴァンゲル夫妻のもとに一通の封書が届く。それは最愛のひとり息子ハンスが戦死したという残酷な知らせだった。
心のよりどころを失った夫婦は悲しみのどん底に沈むが、ペンを握り締めたオットーは「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」とヒトラーへの怒りをポストカードに記し、アンナとともにそれを街中にこっそりと置くというささやかな活動を繰り返すようになる。
だが、それを嗅ぎ付けたゲシュタポの猛捜査がクヴァンゲル夫婦に迫りつつあった―。

画像: ペンと葉書を武器にヒトラー政権に抵抗したごく平凡な夫婦の驚くべき実話―

ドイツ人作家ハンス・ファラダがゲシュタポの文書記録から終戦直後に書き上げ、今世紀になって欧米でベストセラーとなった小説『ベルリンに一人死す』の映画化。

ヴァンサン・ペレーズは、ジャクリーン・ビセット、カルラ・ブルーニ(サルコジ フランス大統領の妻)、らと浮名を流した美男俳優です。
カトリーヌ・ドヌーヴと共演した「インドシナ」来日キャンペーン時、彼のフェロモンに悩殺された女性ライターから「目で妊娠させる俳優」との輝かしい称号を授けられました。
俳優から監督へと活躍の場を移す前の2007年、彼はフランス語版のファラダの本を読み、この話の重要性に気づき、第二次世界大戦中の一般的なドイツ人の姿を描いていることに特に強い啓示を受けたのでした。
映画化権の獲得、資金の調達に奔走します。その過程で、自らの衝撃のルーツ「おじがガス室送りになっていたこと」を知ることになりました。

画像: ヴァンサン・ペレーズ

ヴァンサン・ペレーズ

●監督プロフィール
1964年にスイス・ローザンヌで生まれた。ジュネーヴのコンセルヴァトワールで演劇を学び、1986年に、パリにある名声高い国立高等演劇学校に移り、当時は実験段階であったナンテール・アマンディエ劇場で、巨匠パトリス・シェローの元で指導を受ける。役者として、ジャン=ポール・ラプノー(『シラノ・ド・ベルジュラック』)や、パトリス・シェロー(『王妃マルゴ』)などの偉大な映画製作者たちと仕事をしてきた。27歳の時に短編映画『L’echange(原題)』で監督デビューを果たし、1992年のカンヌ国際映画祭に出品された。1999年には『Rien Dire(原題)』で、再びカンヌ国際映画祭に出品された。その3年後に、初めての長編映画『天使の肌』を監督した。

画像: 撮影中のヴァンサン・ペレーズ

撮影中のヴァンサン・ペレーズ

●監督の言葉
父親はスペインの出身だ。祖父は共和国軍のためにスペイン内戦でフランコ将軍のファシスト政権と戦い処刑された。母親の家族はドイツ系だが、ナチスから逃れて国外へ脱出した。母は1939年に生まれた。そして他の多くの人たちのように国外へ脱出し、5年間あちこちを転々と歩き回り、戦後にドイツに戻ってきた。ドイツ人の血が流れている人間なら、たくさんの疑問を抱えているはず。
僕はそれらの答えを見つける必要があった。僕にはおじが3人いて、ひとりはロシアの戦線で殺された。精神科病院に入っていた大おじは、試験的なガス室で殺された。こうした精神科病院やガス室を僕は訪ねた。ドイツ人は過去の記憶を残しておくのが上手だ。何が起こったのかを誰も忘れるべきではないと考えているんだ。旅の間に、家族の中でナチス党員だった人は誰もいないという事も知った。これは重大な事実だ。当時ナチス党員でなかったという事で、家族はかなり辛い思いをしたはずだ。あらゆる場所に住む人たちにこの話を伝えることが大切だ。そして、誰でも闘うことができる、そして闘うには勇気が必要になると示すことが大切だった。

監督:ヴァンサン・ペレーズ
出演:エマ・トンプソン(「ハワーズ・エンド」でアカデミー賞主演女優賞)
ブレンダン・グリーソン(「未来を花束にして」)、ダニエル・ブリュール(「グッバイ・レーニン!」)
ミカエル・パーシュブラント、モニーク・ショメット
2016年/独・仏・英/英語/103分/原題:Jeder stirbt für sich allein
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム

7月8日、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次公開

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