第一次世界大戦時の大戦景気を経た後の戦後恐慌、そして関東大震災。
混沌の中で、様々な大衆文化が花開いた大正時代が舞台。当時農村を中心に活況を呈していた、「女相撲興行」の力士たちと、格差のない理想世界を夢見る若きアナキストたちの出会いを軸に、庶民たちの荒々しくも猥雑なパワーを、ロマンスあり、活劇あり、社会風刺ありで描く骨太エンターテインメント。
瀬々敬久監督自主映画『菊とギロチン』の撮影が完了いたしました。

女相撲の面々

画像1: http://kiku-guillo.com

http://kiku-guillo.com

かつて、女相撲の興行が日本全国に渡って行われていたことは、あまり知られていない。
今もわずかに、地方の村おこしイベントで企画されたりしているが、当時の盛況を語り継ぐ者はほとんどいなくなっている。

そこには大相撲にも劣らない力士がいたし、純粋に相撲をしたくて土俵に上がっていた女性たちも多くいた。歴史の表には出て来ない女相撲がかつてあり、そこには魅力的な女力士たちが生きていた。
この映画に登場するアナキストたちも実在した人々だ。暗殺を企てると言ってはいるもの、今の若者とあまり変わらない。ドジで間抜けで優しくて純粋、そして社会をよりよくしたいと思っている若者たち。そんな彼等が、もし女相撲の力士たちと触れ合っていたらと仮定してつくられた物語。事実に基づいたフィクション。

歴史の偶然か必然か、東日本大震災後の日本社会に漂う不寛容で不穏な空気は関東大震災後のやがて第二次世界大戦へ雪崩れ込む戦前の空気と似てないでしょうか。
高度な管理社会による閉塞感、先進国によるグローバリゼーション化に翻弄され生みだされた世界の格差社会と紛争。
本作が現代社会における様々な問題の克服に思いを馳せるきっかけとなればと思います。

ギロチン社の面々

画像2: http://kiku-guillo.com

http://kiku-guillo.com

メッセージ

なにやら、あからさまに
「表現」を管理、抑圧しようという意図が顕著になりつつある昨今。
私たちはこの映画企画を何者にも縛られることなく
自由な「表現」で成立させたいと考えます。
が、いかんせん映画はお金がかかります。
自己資金だけでは厳しいという現実があります。
おかげさまで、たくさんの方から、出資やカンパをいただき、 撮影を終わらせることができました。
ただ、これから完成させるにあたっての
仕上げ作業(編集、効果、ダビングなど)の費用が足りません。
この企画に賛同し、出資やカンパという形で
参加してみようという方を引き続き大募集中です。

やるなら今しかなく、いつだって今しかない。
その想いでこの映画に向かっています。

瀬々敬久

下記より出資&協賛募集中!

画像: 瀬々敬久自主映画「菊とギロチン」撮影完了!完成資金募集特報 youtu.be

瀬々敬久自主映画「菊とギロチン」撮影完了!完成資金募集特報

youtu.be

あらすじ

関東大震災後の東京近郊。
そこには震災で焼け出された避難民や孤児が食料を求め溢れていたが、そんな土地に女相撲の興行を催すべく「玉岩興行」の一座がやってきた。
「玉岩興行」には大関玉椿、梅の里を筆頭に、12名の様々な出身や境遇の女力士たちが在籍していた。
新人力士の花菊は、貧農の嫁であったが夫の暴力に耐えかねて家出し、この団体に加わっていた。同じく新人の十勝川は、震災直後のデマによる虐殺から逃れてきた朝鮮人娼婦だった。
「格差のない平等な社会」を標榜しつつも、その活動は資本家から恐喝した金で遊興にふける刹那的な生活を送っていたアナキストグループ「ギロチン社」の中濱鐵と古田大次郎は、震災後の憲兵隊による大杉栄殺害に憤慨し復讐のテロを画策すべく、その土地にアジトを構えていた。
相撲見物にでかけたアナキストの若者たちは、女力士たちに魅せられ仲良くなる。
中濱と十勝川、古田と花菊は、互いに惹かれあっていくのだったが…。
時代に翻弄されながらも歴史の裏面でそれぞれの「生きる意味」を模索してもがいた民衆たちの群像劇。

This article is a sponsored article by
''.