⭐︎酔霊たちとの饗宴と17年間のヴィヴィアン佐藤⭐︎

昨夜、「新宿ゴールデン街秋祭り(新宿芸術天国2016)」が無事終了いたしました。
私は流しのカメラマン故渡辺克巳氏(1941ー2006)の写真展と5台のプロジェクター投影を発案と監修しました。

画像1: ⭐︎酔霊たちとの饗宴と17年間のヴィヴィアン佐藤⭐︎

渡辺克巳さんは、歌舞伎町、ゴールデン街、新宿二丁目を執拗に撮影し続けた通称「流しの写真屋」です。
分厚い写真集『新宿<1965−97>』(1997)や『新宿、インド、新宿』(2011)、『新宿群盗伝』(1973)が有名で、今回は奥様の小泉悦子さんのご協力により、渡辺克巳さんの写真展(複写)をプロジェクター投影展と可能となりました。

私も1999年にコマ劇場横にあった歌舞伎町CODEの前で何枚か撮影され、その写真は2008年のワタリウム美術館での写真展「流しの写真屋 渡辺克巳 1965−2000」展で、数点展示されました。今回も展示しました。
また私の名付け親でもあるELLEさんもディスコ「ベティ&ジャック」や「ツバキハウス」で撮影されております。
約51年前からの40年間撮り続けてきた渡辺氏の新宿の人物や街並み、風俗の写真群を当時撮影されたほぼ同じ場所と時間帯(渡辺氏が主に撮影していたのは深夜帯)で展示する試み。

画像2: ⭐︎酔霊たちとの饗宴と17年間のヴィヴィアン佐藤⭐︎

幾重にも連続した時間の古層から新層を重ね合わせ、その場所や土地に含まれる固有の時間のさまざまな層を見えるようにすること。
以前そこに在ったものやそこに居た人々を視覚化すること。
その場所の固有性を際立たせ意識させることです。

そして、現在という私たちが生きているこの時間が一番の新規の表層とも言えますが、これは写真に映され今もう亡くなられている多くの方々や取り壊された建物や道路など現在そこには存在しない人々や街角をもう一度復活させ救済する眼差しでもあり、同じ場所のこれからの未来の層に投影し予見していく眼差しでもあるのです。

特に渡辺氏によって撮影された人々は大変生き生きと活気に満ち溢れ、ゴールデン街という車も入れない密集した店の間を縫う小道を闊歩する昨夜の酔っ払った人々と完全に重なり、また時には道行く人々の身体に投影された映像はとても示唆的でもありました。
例えばギャラリーや美術館の建物の中の展示室で開催され、体良く額縁に収まった写真展ではなく、渡辺氏が毎夜どんな季節にも繰り出し、直接人々に接触し、交渉し、撮影された写真の強度を現代に生かす展示とは。。。
これは同じ場所の同じ夜の時間帯の野外で展示されるべきなのです。今回初の試みで、これはとても意義あることだったのではないでしょうか。

画像3: ⭐︎酔霊たちとの饗宴と17年間のヴィヴィアン佐藤⭐︎

そして、歌舞伎町からさらに目を広げ「新宿区」という地域で見た場合、様々な価値観を持つ人々が同居し、決して混ざらないという特異性が挙げられます。

「銀座」や「渋谷」や「池袋」といった単一のイメージを持つ都市とは大きく異なり、西口の都庁や副都心、多くの大学や専門学校、電気街、歌舞伎町のような歓楽街、ゴールデン街や新宿二丁目ゲイタウンエリア、伊勢丹など高級デパート、四谷の迎賓館、神楽坂の旧花街、大久保などのコリアンタウン、高田馬場から早稲田に至る学生街、、、など複数のイメージや側面を持ち続け混ざることはなく共存する「新宿区」だからこそ乱反射する写真やプロジェクターのイメージはさらに強度を増すのではないでしょうか。。

昨夜は、新宿区長も私とハシゴ酒。
また、当時渡辺氏のモデルになった現在は居ない人々も完全に一緒に飲みすごした夜でした。。。

画像4: ⭐︎酔霊たちとの饗宴と17年間のヴィヴィアン佐藤⭐︎

美術家、文筆家、非建築家、映画批評家、ドラァグクイーン、プロモーター。ジャンルを横断していき独自の見解で何事をも分析。自身の作品制作発表のみならず、「同時代性」をキーワードに映画や演劇など独自の芸術論で批評/プロモーション活動も展開。 野宮真貴、故山口小夜子、故野田凪、古澤巌など個性派のアーティストとの仕事も多い。2011年からVANTANバンタンデザイン研究所で教鞭をもつ。各種大学機関でも講義多数。  

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