「ミュシャ展」が六本木・国立新美術館にて2017年3月8日(水)から6月5日(月)まで開催されます。
アール・ヌヴォを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、 モラヴィア(現在のチェコ共和国に生まれ)、27歳でパリに渡 って活躍しまた。その後、50歳で故郷に戻ったミュシャが、それまのスタイルと大きく異なる手法で、丹念な取材と故郷への強い想に基づて後半生を賭けて描いたのが、《スラヴ叙事詩》です。古代から近に至る民族歴史が象徴的に描かれ、縦6m×横8mに及ぶ巨大な油彩絵画 20点で構成されるこの壮大な連作は、ミュシャの画業の集大成とも言われ、チェコの宝として国民に愛されています。

本展では、この《スラヴ叙事詩》をチェコ国外では初めて全 20 点まとめて公開しす。パリで活躍いたミュシャが故郷《スラヴ叙事詩》を描くに至るまでの足跡を約100点の作品を通じてたどりつ、ミュシャが晩年に手がけた傑作の全貌を一挙、紹介します 。

《「スラヴ叙事詩展」ポスター》 1928年 堺市

展覧会の構成

◎ミュシャとアール・ヌーヴォー

ミュシャが自画像を描いた1888年、彼は無名の画家でした。正式な名前はアルフォンス・マリア・ムハ。Mucha(ムハ)はフランス語読みでは「ミュシャ」と発音します。当時、ミュシャはモラヴィアのクーエン・ベラシ伯爵の援助を受けて、パリのアカデミー・ジュリアンで絵画を学ぶ学生にすぎませんでした。翌年には、この援助も途絶えたため、画家は経済的に困窮し、グラフィック・アートや、アルマン・コラン出版社の雑誌や本の挿絵を描いて生計を立てるようになりました。

突破口が開けたのは、1894年のクリスマスのことです。印刷業者ルメルシエが、女優サラ・ベルナール主演によるルネサンス座の舞台「ジスモンダ」のポスター制作を急遽ミュシャに依頼してきたのです。縦長の画面の中に、茶色と黄金色がアクセントの豊かで柔らかな色調の衣をまとった、ほぼ等身大の威厳ある女性像を描いた装飾的なポスターは、ミュシャを一躍有名な画家へと押し上げます。これによりサラ・ベルナールの信頼を勝ち得たミュシャは、以後、《ロレンザッチオ》(1896年)や《メディア》(1898年)、《ハムレット》(1899年)、《トスカ》(1899年)などの舞台の宣伝ポスターや商業ポスターを手がけました。彼の描き出す妖しい魅力を持つ「魔性の女(ファム・ファタール)」は、新しい時代の神話の象徴となったのです。

神々しささえ感じさせる女性の美の極致は、頭上に花飾りや星の光輪のある美しい女性の姿を描いた《4つの花》(1897年)や《四芸術》(1898年)など、19世紀後半に描かれた連作の中で開花しました。また、サラ・ベルナールのために、この時代の至宝とされた《蛇のブレスレットと指輪》(1899年)もデザインしています。ミュシャは宝飾デザインでもその才能を発揮し、彼がデザインした作品は、1900年パリ万国博覧会において、宝飾商ジョルジュ・フーケにより展示されました。

《四つの花「カーネーション」》 1897年 堺市

《四つの花「ユリ」》 1897年 堺市

《四つの花「バラ」》 1897年 堺市

《四つの花「アイリス」》 1897年 堺市

◎世紀末の祝祭

ヨーロッパにおける19世紀末から20世紀への転換期は、技術が飛躍的に発展し、多くの画期的な発明により社会が大きく変化した時代でした。技術の進歩は明るい未来を約束し、人類は完全無欠であるという幻影を人々は抱いていたのです。とりわけ1900年にパリで開催された万国博覧会は、この時代の空気を象徴するものであったと言えます。

ミュシャの名声が絶頂を極めていたこの時期、1900年のパリ万国博覧会において、彼は人間のもつ理性、創造力、知性を讃えた「人類館」というモニュメントの構想を、3枚の素描により提案します。しかしそれは実現されず、かわりに請け負ったのは、当時オーストリアに新たに併合されたボスニア・ヘルツェゴヴィナのパヴィリオンの装飾でした。ホール内部は3段の帯状に塗り分けられ、下の帯には花の装飾、中央の帯にはボスニア・ヘルツェゴヴィナの歴史、上の帯にはボスニアの神話に登場する人物像が描かれました。さらには自身も出品したオーストリア美術の展覧会およびパリ在住のチェコ出身画家による展覧会も企画しています。

《1900年パリ万国博覧会 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館壁画》(下絵) 1899-1900年 堺市

《自力Ⅱ 犠牲と勇気》プラハ市庁舎壁画(下絵) 1911年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery

◎独立のための闘い

19世紀末から20世紀への転換期は、小国が独立を求める闘いの時代であったとも言えます。チェコでは、オーストリア=ハンガリー帝国とゲルマン化政策に対する抵抗の動きが高揚していました。

万国博覧会の期間中、ロシア皇帝アレクサンドル3世の来訪を受けたことで、パリは、汎スラヴ主義の波を経験します。ミュシャは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を手がける際に取材したバルカン半島への旅で目の当たりにした外国の支配を受けている人々の屈辱と苦しみを、劇的なかたちで表現しました。

その後アメリカに渡り、同地のスラヴ人コミュニティーのメンバーの知遇を得たミュシャは、約50万人のメンバーを抱えるスラヴ協会を設立しました。そして、《スラヴ叙事詩》制作のための資金提供を資本家チャールズ・R・クレインから取り付けます。

◎スラヴ叙事詩

1911年、ムハ(ミュシャ)はプラハ近郊のズビロフ城にアトリエを借り、晩年の17年間を捧げた壮大なプロジェクト《スラヴ叙事詩》に取り組みます。故郷を愛し、人道主義者でもあった彼は、自由と独立を求める闘いを続ける中で、スラヴ諸国の国民をひとつにするため、チェコとスラヴ民族の歴史から主題を得た壮大な絵画の連作を創作したのです。

当初、《スラヴ叙事詩》は、本作を美術館に常設展示することを条件にプラハ市に寄贈することになっていました。

1928年には、チェコスロヴァキア独立10周年を祝して、完成した全作品がプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿で公開されました。未来の世代のためにというミュシャの願いも空しく、若い世代からは、保守的な伝統主義の産物だとのレッテルを貼られてしまいます。さらに、経済危機や複雑な政治状況が追い打ちをかけ、予定されていた《スラヴ叙事詩》展示のための美術館も建設されることはありませんでした。画家の没後、第二次世界大戦が終結すると、この連作は、画家の生まれ故郷近くのクルムロフ城に寄託されます。ようやく作品が現在展示されているプラハのヴェレトゥルジェニー宮殿に戻されたのは、2012年のことでした。

《スラヴ叙事詩「原故郷のスラヴ民族」》 1912年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery

《スラヴ叙事詩「スラヴ民族の神格化」》 1926-28年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery

概要

展覧会名:ミュシャ展
会期:2017年3月8日(水)~6月5日(月)
休館日:毎週火曜日
開館時間:10:00~18:00 ※毎週金曜日は20:00まで開館。(入場は閉館の30分前まで)
会場:国立新美術館 企画展示室2E
住所:東京都港区六本木7-22-2

主催:国立新美術館、プラハ市、プラハ市立美術館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援:外務省、チェコ共和国大使館、チェコセンター
協賛:日本写真印刷
特別協力:堺市

観覧料:
当日:1,600円(一般)、1,200円(大学生)、800円(高校生)
前売 / 団体:1,400円(一般)、1,000円(大学生)、600円(高校生)
団体は20名以上、中学生以下無料

*期間限定前売り券があります。
下記チケット情報サイトを御覧ください。

http://www.mucha2017.jp/ticket/

【問い合わせ】
ハローダイヤル
TEL:03-5777-8600

「ミュシャ展」cinefilチケットプレゼント

下記の必要事項、読者アンケートをご記入の上、「ミュシャ展」チケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、ご本人様名記名の招待券をお送りいたします。
記名ご本人様のみ有効の、この招待券は、非売品です。
転売業者などに入手されるのを防止するため、ご入場時他に当選者名簿との照会で、公的身分証明書でのご本人確認をお願いしております。

☆応募先メールアドレス  info@miramiru.tokyo
*応募締め切りは2016年11月30日 24:00 月曜日
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