湯布院映画祭をご存知でしょうか?
1976年よりスタートし、今年で41回を迎えるこの映画祭。
日本で最も古くから続く映画祭です。
だからといって、古臭い映画祭ではなく、毎年最もフレッシュな映画を提供しています。
そして、多くの映画人に愛され続けている映画祭なのではないでしょうか?

シネフィルでは、こんな映画祭に潜入。
何回かにわたってレポートいたします。
まずは、第一回。

まずは、湯布院といっても知らない方も多くいらっしゃるのでは、まずは簡単に街の雰囲気をご紹介します。

多くの方は、飛行機でいらっしゃるでしょう。大分空港からは、直通でバスが走っております。でも、街の顔となる駅は、
世界でも著名な建築家の磯崎新さんが設計です。
大きくはないですがシンプルな中央の改札から左右に広がりを見せるシンボリックな建物です。

画像1: 日本で最も古く、最も映画を愛する人びとが、映画館のない街に集うという「湯布院映画祭」を体験!湯布院映画祭レポート①

駅を出ると、こんな馬車がお出迎え---街中では他にも人力車もあり普通に観光客を乗せて行き交う風景が、また楽しいですね。

画像2: 日本で最も古く、最も映画を愛する人びとが、映画館のない街に集うという「湯布院映画祭」を体験!湯布院映画祭レポート①

さて、駅からまっすぐ進んでいくと様々な店が並んでいます。
なかなか、楽しいお店も多く、骨董屋さんなども何軒かあったり、ちょっと気になるスイーツのお店や、大分の霜降りで柔らかな肉質で知られる黒毛和牛「豊後牛(ぶんごぎゅう)」を提供するレストランも並んでいます。特に「豊後牛まぶし」を食べられるお店は超おすすめかな---

そして、その道をまっすぐ行くと、こんな分かれ道。
角のビルの一階には由布院の名宿のひとつ「山荘無量塔(さんそうむらた)」がプロデュースしたお店でモダンなデザインセンス溢れるグッズやスイーツなどのセレクトショップです。

(この他にも、湯布院には「亀の井別荘」「玉の湯」などに代表される名旅館が湯布院には点在し、日本、海外のセレブにも対応出来るホスピタリティーを持っている旅館が多くあると同時に、気軽に泊まれる宿も多く、観光地としては受け入れ態勢が万全)

そして、とりあえず、観光客が多く向かうのは、右の道。

湯の坪街道入り口

画像1: 湯の坪街道入り口

そしてここが湯の坪街道。
道に入ると、多くの観光客が---雰囲気もいいでしょ〜。
避暑地感満載です!

左右に散らばるお店は、蜂蜜専門店、醤油専門店などこだわりの店も多く、楽しめます。

画像2: 湯の坪街道入り口

そして、駅からは、およそ徒歩30分。
十字路があり、坂を下って行くと、街のシンボルの一つになっているのがこの湖。

金鱗湖

画像3: 湯の坪街道入り口

湯布院のシンボルとなっている観光スポットで、湖底から温泉が湧いているといわれています。
水温が高いため寒い時期には湖面から霧が立ち上る幻想的な光景を見れるとか---

画像4: 湯の坪街道入り口

と、駆け足で、メインストリートから金鱗湖までの、イメージをお伝えしましたが、湯布院には、この他にもシャガール美術館やアメリカの歴史的イラストレーターノーマン・ロックウェル美術館など幾つかの美術館もあり、文化度高い施設が多くあります。

そして、来年には、あの東京オリンピックスタジアムの設計の隈研吾が旧由布院美術館跡を中心とした土地を利用し、現代アートを展示、一般に公開する現代美術館もオープンするということから、美術関係者も注目が集まっています。

さて、ここまでが湯布院の簡単な説明です。
本題となるこの映画祭--- 

1976年に旧湯布院町で始められた映画祭で、現存する映画祭の中では日本で最も古い歴史を持ち、その開催回数は2016年開催時点で42回を迎える。
地方映画祭の嚆矢であり、映画館がない湯布院町で開催されるため、映画館のない町での映画祭としても知られる。
この映画祭は、湯布院町のまちづくりのグループと大分市内の映画ファンのグループの交流がきっかけで始まった。全員がボランティアからなる湯布院映画祭実行委員会によって運営されている。
例年、8月の第3水曜日または第4水曜日から5日間にわたって行われる。初日には前夜祭として、JR九州由布院駅の駅前広場に巨大なスクリーンを設営して、時代劇等の娯楽映画が野外上映される。その後は、主会場の湯布院公民館でテーマ別の特集や個人特集、劇場未公開の新作映画の上映等が行われる。新作映画上映後にはシンポジウムが開かれ、制作者と観客が作品について語り合う場が設けられる。また、毎夜開かれるパーティーも、制作者と観客が直接語り合う機会となる。

と、wikipediaに簡単な歴史が出ていますが、同じく歴史のある”ぴあのフィルムフェスティバル”を見ると

「ぴあフィルムフェスティバル」の原型となったのは、その翌年、1977年に東映大泉撮影所にて開催された「第一回ぴあ展」の一企画、〈映像部門〉「第一回自主映画展」で、当時は雑誌「ぴあ」を通じて公募した作品をぴあスタッフが審査し、オールナイト上映する企画だった[1]。1979年「Off Theater Film Festival」と名称を改めるが、第4回目開催の1981年より現在の「ぴあフィルムフェスティバル」に改名され、定着した。

形態は違うので、一概に比べられませんが、ぴあがフィルムフェスティバルを明確にスタートする5年も前から、この地で生まれました。
ちなみに、同じく伝統のあるゆうばりの映画祭(現在の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」)でさえ1990年スタートですから、素晴らしい先見性ある方々が、この企画を進められたということがわかります。

では、この映画祭がこれだけ長く続いたその魅力とは----

古いから、いいわけではありませんが、これだけ長く続くの大変です。
実際に、この映画祭の魅力を探っていくことにします。
まずは

今年のポスターはこれ⇩

画像: では、この映画祭がこれだけ長く続いたその魅力とは----

ダケド、ボクラハ、クジケナイ。

コピーの通り、今年は4月14日に熊本地震により、この湯布院にも多大な被害があったと聞きます。

そんな多くの被害を乗り越えて開催された第42回湯布院映画祭。

何回かにわたる、シネフィルレポートをスタートいたします!

                                (つづく)


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