第一回
「日本、台湾、香港、中国へ時を隔てながら渡ったものとは?」

台湾、香港、中国本土など中華圏での仕事歴20年!(うち半分の10年は中国暮らし)
自称!日中友好大使の小松拓也です。
自称!日中友好大使として(笑)
僕の今までの中華圏で培った経験や活動をもとに、今後このコラムで中国の事情や中国人のことをちょこちょこ紹介していこうと思います。
少しでも僕の情報が役立って日中友好の輪であったり、経済的・文化的交流を目指す方々の広がりが更に生まれたらいいな。そんな細やかな願いを乗せながら記事を書きます。

画像: 小松拓也

小松拓也

1番最初に僕が台湾留学したのが今から20年前の1996年。
当時は事務所の先輩だったビビアンスーの実家にホームステイをさせてもらい、ビビアンスーや彼女の家族に教えてもらいながら、日々中国語を覚えたものです。
当時の台湾台北は高度成長期の真っ只中で、あちこちで道路工事やビル建設が行われていた状況で
路上に止まっている車やバイクは、洗車後だとしても1時間も外に放置していたら目に見て分かるほど黒い埃がかぶるほど空気も汚れていた時代でした。
その様子は、ちょうど僕が小学生時代だった頃の東京の様子にそっくりだったのを思い出したものです。

どの国でも高度成長期の過渡期的な時代には、インフラの整備をはじめとしたハード面の進化や
それに伴ってその地域の人々が新しく求めるようになる食や美意識、健康などへの関心の高まりなど、人や街がある程度どの都市でも似たような変化を遂げる!このような話をよく聞きますが、当時台湾で僕が目にしたり体験してきたそのほとんどは、まるで自分の時間軸をタイムスリップさせて、子供時代の日本に巻き戻ってしまったかのような?そんな錯覚に陥らされた体験を今でも鮮明に覚えています。

画像: 台北の街並み http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=1990%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E5%BE%8C%E5%8D%8A +%E5%8F%B0%E5%8C%97+%E8%A1%97%E4%B8%A6%E3%81%BF&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa#mode%3Ddetail%26index%3D5%26st%3D169

台北の街並み
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=1990%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E5%BE%8C%E5%8D%8A+%E5%8F%B0%E5%8C%97+%E8%A1%97%E4%B8%A6%E3%81%BF&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa#mode%3Ddetail%26index%3D5%26st%3D169

正直、当時の台湾は現在のようには街も人も洗練されていなかったし、お世辞にもオシャレなお店や人もほとんど見かけなかったですね。(個人的には良い意味であの頃の雑多な台湾が1番魅力的でしたが)

そして時は経ち、2007年になって僕は上海へと移り住むようになりましたが、そこで見た上海には、その10年前に僕が当時の台湾で体感したような排気ガスだらけで、雑多とした世界がまたもや広がっていて、まるで日本から台湾へ、台湾から今度は上海へ流行や人や街の変化がバトンタッチを繰り返すかのように僕の目の前を通過していく光景を目の当たりにしました。

例えば、僕が生きているエンタメの世界でだけで説明しても、僕には当時の上海(中国)で、次にどんなものが流行るか?どういうステータスを持つ人が注目されるか?
かなりの高確率で当てることが出来たし、それらは実際具現化したものも少なくありません。
なにせ、中国で流行るエンタメのほとんどは音楽で言えば台湾ポップス、映画で言えば香港発信の映画や俳優たちが圧倒的に人気が高かったからです。

画像: Kiroroの「未来へ」の北京語カバー曲「後来」を歌う台湾歌手の劉若英 http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%88%98%E8%8B%A5%E8%8B%B1 +%E5%90%8E%E6%9D%A5&aq=-1&oq=&ei=UTF-8#mode%3Ddetail%26index%3D3%26st%3D0

Kiroroの「未来へ」の北京語カバー曲「後来」を歌う台湾歌手の劉若英
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%88%98%E8%8B%A5%E8%8B%B1+%E5%90%8E%E6%9D%A5&aq=-1&oq=&ei=UTF-8#mode%3Ddetail%26index%3D3%26st%3D0

台湾や香港は親日な文化も重なって元々日本のエンタメの影響を非常にコアに受けている地域でもあります。(日本の音楽のカバー曲なども非常に多いですよね。)
だから日本のアーティストをリスペクトしていたり、模倣するようなスタイルでデビューする歌手などが2000年代後期までは特に顕著でした。
かなり極端な言い方をすれば日本で一度流行ったものが、その後形を少し変えて台湾や香港でCD化やテレビ番組やドラマなどに映像化され、そして更に時を隔てて形をまた少し変え、中国本土で流行る!こんな現象が実際に高確率で起こっていたんです。(もちろん文化や習慣の違いがそれぞれ土台にあるので、必ずしも日本で流行ったものが台湾や中国本土で流行るとも言い切れないのですが、それを差し引いても似たような流行が伝染していった事実はいくつもあります。)

こういった現象は何もエンタメの世界だけで起こったことではなくて、ファッションや美容、飲食などをはじめ、様々な分野に至るまで、都市の発展と共に大抵が日本と同じような需要をもたらしながら変化していきました。
例えば今度はケーキというスイーツにフォーカスを当てて話すと、96年に僕が台湾に留学した時は、ハーゲンダッツのケーキ以外、日本で味わえるようなまともに美味しいと感じられるケーキには出会ったことがありません。
当時の台湾のケーキは見た目は美味しそうなのですが、スポンジもバサバサで、生クリームではなくホイップクリームでコーティングされ、甘ったるくてお世辞にも美味しいと言えないケーキ屋ばかりだったんです。
ケーキばかりでなく、パン屋のパンやコンビニの菓子パンも当時は不味いと言ってしまうようなひどいクオリティの物ばかりでした。
それが2000年代に入ると、一気にパンやケーキの技術が高まり、同時に街中に美味しいスイーツ屋も急増していきました。
この現象はその後、時を隔てて上海でも経験しています。

画像: 中国のパン屋の様子 http://sh.sina.com.cn/food/shwd/2015-11-24/1506174536_3.html

中国のパン屋の様子
http://sh.sina.com.cn/food/shwd/2015-11-24/1506174536_3.html

2007年に上海に僕が移り住み出した頃はケーキもパンも低いクオリティのものばかりでしたが、
2010年の上海万博を境に一気にオシャレなカフェなどが増え始め、今では市内にオシャレなスポットとそれに見合ったクオリティのスイーツや料理が溢れています。

国や都市の発展は、その地域で新たに生み出される需要に直結しているし、流行りやその土地の人々が次に欲しがる欲望(飲食やレジャーなど)にも大きな影響を与えます。
少なくても僕が実際に暮らしながら20年間見続けてきた日本、台湾、上海の3都市には、都市の発展の過程において、いくつもの共通点があったことは間違いありません。

なぜ、「あった」と過去形表現しているのか?
それは日本も台湾も中国本土で言えば上海や北京のような大都市も、すでに発展途上の段階を超えた成熟段階に入ったからです。
発展途上段階の物やサービスが希薄だったような時期の国や都市に新しいものがやってきて流行する。この現象はあまりに当たり前のことです。
でも色々なものが一通り揃ってしまい、少し余剰気味になってきた。それが今の中国の大都市部(地方都市除く)で起こっている現象です。
そのため、各業界の競争も以前より激しくなり始め、弱いものは淘汰される一方、より良質なものが残るような時代に突入しています。
もちろん、数年前までのように日本や台湾などではすでに需要が高く、その時の上海にないものを上海に輸出すれば高確率でヒットする!という時代はもう過ぎ去っています。
だから、今後は流行などの流れを読んで商品やサービスを中国でヒットさせる!というのは一昔前ほど簡単ではなくなりつつあります。

そんな中、現在日本では爆買いという言葉が耳馴染みになるほど多くの中国人旅行客の誘致に成功し、中国人旅行客のインバウンドに注力している日系企業が増えているわけですが、いったい今後この現象はいつまで続くのか?また、今後はどのような日本の商品やサービスが人気を集めるのか?
次回のコラムではこういった個人的見解を踏まえながら中国情報を発信したいと思います。

小松拓也
1977年生まれ。
高校を卒業するとともに金城武のような多言語を操る国際的な俳優を目指し、台湾へ語学留学。
2003年に台湾でリリースした北京語CDアルバム「一萬個為什摩」は二万枚のセールスを記録。2007年に中国の国民的テレビオーディション番組「加油!好男児」に参加をし、約八万人の応募者の中からトップ20位に残った唯一の外国人ということで大きな注目を浴び、番組終了後は数多くの中国のテレビやイベント、雑誌などに出演するほか、数社の企業広告のイメージキャラクターを務め、日本の音楽を紹介する「音楽物語in Japan」のMCを務めるなど幅広く活動。
また、国家プロジェクトである上海万博の開幕式への参加や、世界中の華僑を台湾に集めて台北小巨蛋をステージに行われた四海大同では、2万人を前にイベントのテーマソングを歌うなど、その功績を中国からも認められている数少ない日本人の1人。

小松拓也
1977年生まれ。
高校を卒業するとともに金城武のような多言語を操る国際的な俳優を目指し、台湾へ語学留学。
2003年に台湾でリリースした北京語CDアルバム「一萬個為什摩」は二万枚のセールスを記録。2007年に中国の国民的テレビオーディション番組「加油!好男児」に参加をし、約八万人の応募者の中からトップ20位に残った唯一の外国人ということで大きな注目を浴び、番組終了後は数多くの中国のテレビやイベント、雑誌などに出演するほか、数社の企業広告のイメージキャラクターを務め、日本の音楽を紹介する「音楽物語in Japan」のMCを務めるなど幅広く活動。
また、国家プロジェクトである上海万博の開幕式への参加や、世界中の華僑を台湾に集めて台北小巨蛋をステージに行われた四海大同では、2万人を前にイベントのテーマソングを歌うなど、その功績を中国からも認められている数少ない日本人の1人。

小松拓也オフィシャルブログ
http://profile.ameba.jp/takuyashanghai/

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