世界には音楽が溢れている。
しかしあなたのまだ知らない音楽があるとしたら──

「聾者の音楽」を視覚的に表現したアート・ドキュメンタリー、無音の58分間。
映画『LISTEN リッスン』
果たして音楽とは耳から聴くだけのものなのだろうか?

この映画は無音であり、言語は手話である。耳の聞こえない聾者(ろう者)たちが自ら「­音楽」を奏でるアート・ドキュメンタリーだ。
楽器や音声は介さない。彼らは、自身の手­、指、顔の表情から全身に至るまで、その肉体を余すことなく駆使しながら視覚的に「音­楽」空間を創り出していく。

画像1: https://www.facebook.com/LISTEN- リッスン-567768356712092/info/?tab=overview

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出演者は国内外で活躍する舞踏家から、演技経験のない一般­の聾者まで多彩な顔ぶれが集まる。彼らは各々に「音楽が視える」と語り、「魂から溢れ­出る“気”のようなもの」から「音楽」を感じるという。手話言語を通じて日常的に熟達­した彼らの身体表現は、「音楽とは?」という問いのさらに奥深く、人の内面から滲み出­る内なる“何か”へと迫っていく――。

複数の手話詩を交えながら「四季」を表現する初老の男性、木々のざわめきの中で風を歌う少女、波打つ浜辺で魂を叫ぶ女性、親密な愛情を共鳴させる夫婦……。
手話言語を通じて日常的に熟達した彼らの身体表現は、「音楽とは?」という問いのさらに奥深く、人の内面から滲み出る内なる“何か”へと迫っていく。

本作は既存の「音楽」の概念を崩し、聾者たちが無音の状態か­ら創り出す「音楽」の映­像化を試みた実験的映像詩(アート・ドキュメンタ­リー)である。
監督は聾者の両親を­持ち、自身も聾者である新鋭監督・牧原依里。そして、映画『私の名前は…』(監督:ア­ニエスベー)に出演するなど、国内外で活躍する舞踏家・雫境(DAKEI)。
聾のアイ­デンティティーを持つ二人の共同監督のもと、「音楽」と「生命」の新たな扉をひらく。

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新鋭監督・牧原依里×舞踏家・雫境(DAKEI)
二人の聾アーティストの化学反応

映画監督である牧原依里は、これまで視覚や振動に工夫が施された“聴覚障害者向け”の音楽に心を動かされることはなかった。
むしろ、無音で鑑賞するミュージカル映画のダンス、オーケストラの指揮者や演奏者の表情、身体の動きなどから視覚的に「音楽」を感じ、魅せられてきた。そんな折、手話そのものに「音楽」を見出す手話詩と出会い、大きな衝撃を受ける。

一方、舞踏家の雫境(DAKEI)は、幼少期から補聴器をつけず、振動と視覚のみで育ってきた。「音楽なんてできっこない」と思い込んでいたが、舞踏との出会いでそれは覆される。踊りを続けるうち、いつしか「手話は言語の領域を超え、それ自体が音楽を奏でられるのではないか」という想いが芽生えていった。

そんな二人の共振から「聾者の音楽」をテーゼにした映画の探求が始まった。聾のアイデンティティーから、いま「音楽」と「生命」の新たな扉をひらく。

画像: LISTEN リッスン 予告編 youtu.be

LISTEN リッスン 予告編

youtu.be

監督メッセージ

牧瀬里穂

「無音から生まれる音楽は常に傍にある。」
そんな想いからこの作品の構想が始まった。耳が聞こえない人のために、視覚や振動を使って音楽を伝える工夫が今までなされてきた。例えば振動を身体で感じることができる和太鼓、音楽の歌詞に合わせて手話で表す手話歌、リズムで表現するダンス。
しかし私は、それらに対して"物理的な音"を媒介にしている感覚がどうしても拭えなかった。聾者が分かるように聴者が工夫しながら表現した音楽よりも、むしろミュージカル映画の『ウエストサイド物語』や徳島県民が連なりながら舞う阿波踊り、オーケストラを総括する指揮者や演奏者が奏でる指や表情のエモーション、ピナバウシュ舞踊団の踊り──私はそれらを無音で鑑賞し、彼らの魂から音楽を感じてきた。
私の心を揺さぶる"それ"はいったい何なのだろう。ずっと考え続けてきたある時、私は手話詩に出会う。ある一人の聾者が奏でる手話詩※を観た瞬間、聴者が生み出した"それ"と同様のカタルシスを覚えた。手話そのものに音楽があることに衝撃を受けるとともに、その聾者が人生の中で抑圧されてきた悲しみ、絶望、怒り、そして希望と愛を目撃した。

ソシュールの言語学に「言葉そのものが意味を持つのではなく、差異、つまりある言葉と他の言葉との違いを作り出す体系が意味を生む」という見方がある。言語体系が違うということは、単に言葉の意味が違うだけではなく、世界を見る時の物の見方も違うことも意味する。ヨーロッパが作り出した調性音楽をアフリカの人々が聴いても楽しみにくいように、聾者も聴者とは違う世界観で音楽を視覚的、振動的な存在として捉えている。聴者が耳から聴く音を基に声帯や身体で歌うように、聾者もまた身体で感じる振動や鼓動、目から入る風景や光景を基に手や身体で魂を歌い出しているのである。
"聾者の音楽"とは何か。それをさらに昇華させるために、 身体表現で活躍されている雫境さんと共に色々話し合い、日本の聾者ならではの表現、そして聾者一人ひとりが持つ素材をできるだけ引き出した。この作品を契機に、皆が持つ"音楽"に対する意識に対して一石を投じられたら、という想いを込めて。
牧原依里

※手話詩…音や音楽を供わず、聾者のリズムで手話が繰り出され、手の動きで「韻」が踏まれるもの。
金澤貴之「日本にあるもうひとつ の言語ー日本手話とろう文化」より引用

雫境(DAKEI)

鼓膜から入ってくる「音」の存在は無いに等しい私は、音楽に合わせて踊るなんて出来っこないと思っていた。それがご縁あって舞踏の世界に入り、音楽のリズムなどに合わせなくても「踊る」ことができるのを知った。
私の舞台における音楽はBGM的な役割をしているこ とが多い。一方、ライブ等で即興的に踊るときは、自分の身体の内なる感覚と外から受けるもの(観客のエネルギーあるいは音楽かもしれない)の感応などを身体表現へ導き、その過程を楽しんでいる。
そこで、手話で生活している私たちにとって、手話が言語としての機能を持つだけではなく、思想、感情によって、それがとても些細な程度であっても手と顔そして身体を揺り動かし、非言語的な空間を構築する可能性を持ち合わせているはずだ、と思い始めた。さらに私は意思伝達に熟れている聾者の手の動きは、さらに「音楽」を築き上げていけるのではないかと思い続けてきた。
そんなとき牧原さんと出会い、積み重ねてきた自分の思いを映像で表現する可能性を見出そうと実験的に作品を作り始めた。 本作品において私は、出演者によってほぼ振付したり、感性に任せて表現させて少し修正を加えたり、完全にそのままにしたりした。 この映像によって完結することなく、来たる誰かのさらなる創造の糧になれば幸いだし、私もまた自分の表現の可能性を広げてゆくきっかけになると感じている。
雫境(DAKEI)

出演者:
米内山明宏・横尾友美・佐沢静枝・野崎誠・ 今井彰人・岡本彩・矢代卓樹・雫境・ 佐野和海・
佐野美保・本間智恵美・ 小泉文子・山本のぞみ・池田華凜・池田大輔 

監督: 牧原依里 ・雫境(DAKEI)

2016年/58分/日本/DCP/サイレント 
配給:アップリンク 
宣伝:聾の鳥プロダクション

5/14(土)より渋谷アップリンク公開ほか全国順次公開

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