世界で注目されてきた、深田晃司監督が映画『淵に立つ』(英題:HARMONIUM)で、世界の映画祭の頂点とも言える、第69回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で審査員賞を受賞しました。

実は、シネフィルでもスタート直後から不定期ではありますが、連載いただいていることをご存知の方も多いとおもいます。
いくつかの、連載を振り返ってみますと、深田監督が映画に目覚め、自主映画からどのように映画監督として活動してきたかが断片的ではありますが書かれております。

昨日に受賞で深田晃司監督を、知った方も多くいられると思い、ここにあわせましてまとめてみました。

まずは、前回ご紹介した深田晃司 監督のご紹介の記事を再編集して再びご紹介します。

1、受賞作『淵に立つ』とは

『淵に立つ』主演は、ますますグローバルに活躍の浅野忠信

画像: https://www.facebook.com/fuchimovie/ (C)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

https://www.facebook.com/fuchimovie/
(C)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

『淵に立つ』という映画

浅野忠信は、昨年の第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で日本人初の監督賞を受賞した『岸辺の旅』(黒沢清監督)で、深津絵里とともに主演をつとめ、2年連続で同部門に主演作が選出されたこととなる。

 監督は、世界の映画祭で数々の受賞歴を誇る『歓待』、二階堂ふみ主演『ほとりの朔子』(ナント三大大陸映画祭クランプリ)、平田オリザの戯曲映画化『さようなら』(東京国際映画祭コンペ出品)など、36歳にして次々と話題作を世に出し続ける深田晃司。

世界的に評価の高い黒沢清、河瀨直美、是枝裕和、三池崇史監督に次ぐ、新しい世代の監督として世界中から注目を集めている。

 本作は、下町で金属加工業を営む夫婦(古舘寛治、筒井真理子)のもとに突然一人の男(浅野忠信)が現れ、奇妙な共同生活が始まり、一見平和だった家族に“異物”が混入することで夫婦それぞれが抱える秘密があぶり出されていく人間ドラマ。夫婦とは、家族とは、愛とは、人間とは何か、普遍的なテーマを問いかけながら、人間の心の奥底を揺さぶる衝撃作。

 主演をつとめるのは、国内外で評価の高い『私の男』『岸辺の旅』や、マーティン・スコセッシ監督『沈黙 Silence』出演など国際的にも活躍する浅野忠信、『歓待』『ほとりの朔子』に続き深田組常連の古舘寛治、映画・テレビ、舞台と幅広く活躍する筒井真理子。浅野は、深田晃司監督との初のコラボレーションで、静かなる狂気を秘めた異質な男を熱演し、新境地をみせている。

 本作の製作布陣は、カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門オープニング作品に選ばれ、日本国内約150館で上映、世界45カ国で上映された河瀨直美監督作『あん』の主要メンバーによる製作チームで、フランス(COMME DES CINEMA)との共同制作が行われた。メ~テレ製作・幹事作品としては、『あん』に続き2年連続のカンヌ国際映画祭出品となる。

 また、本作は、深田監督自ら執筆した脚本を小説化、ポプラ社より秋頃に刊行予定。

◆監督:深田晃司 コメント
「選出の知らせに驚いています。『淵に立つ』は10年近く温めていた企画で、それが無事完成しただけでも幸運なのに、こうして最高の形で世界に届けられることを嬉しく思います。素晴らしいキャストとスタッフの総力に押し上げられた結果です。感謝しかありません。」

画像: 深田映画常連の古舘寛治も https://www.facebook.com/fuchimovie/ (C)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

深田映画常連の古舘寛治も https://www.facebook.com/fuchimovie/
(C)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

脚本・監督:深田晃司
出演:浅野忠信、古舘寛治、筒井真理子、太賀、三浦貴大、篠川桃音、真広佳奈
プロデューサー:新村裕、澤田正道
エグゼクティブプロデューサー:福嶋更一郎、大山義人
制作プロデューサー:戸山剛
企画プロデューサー:米満一正
ラインプロデューサー:南陽
制作プロダクション:マウンテンゲートプロダクション
配給:エレファントハウス
英語題:HARMONIUM /2016年/日本・フランス/日本語
(C)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

『淵に立つ』今秋、有楽町スバル座、イオンシネマをはじめ全国ロードショー

2、深田晃司作品を振り返る

さて、世界の映画祭の頂点となる、カンヌ受賞までの深田晃司監督。

いままで、どんな活躍をしてきたのだろうかを、振り返ってみたい。
ここで、プロフィール。

プロフィール:
1980年生まれ、東京都出身。映画美学校監督コース修了後、2005年、平田オリザ主宰の劇団青年団に演出部として入団。
2006年発表の中編『ざくろ屋敷』にてパリ第3回KINOTYO映画祭ソレイユドール新人賞を受賞。
2008年『東京人間喜劇』がローマ国際映画祭、パリシネマ国際映画祭選出。大阪シネドライブ大賞受賞。
2010年『歓待』にて東京国際映画祭日本映画「ある視点」部門作品賞、プチョン国際映画祭最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞。
2013年『ほとりの朔子』がナント三大陸映画祭グランプリ&ヤング審査員賞をダブル受賞、タリンブラックナイト国際映画祭監督賞受賞。
2015年『さようなら』が東京国際映画祭コンペティション部門出品。

というように、長編作品は、いままでに4本。
その映像を、予告で振り返ってみたい。

初長編となった『東京人間喜劇』

画像: Human Comedy in Tokyo_trailer_09.11.01 youtu.be

Human Comedy in Tokyo_trailer_09.11.01

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『歓待』

画像: 『歓待』 予告編 youtu.be

『歓待』 予告編

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ナント三大陸国際映画祭グランプリ受賞の『ほとりの朔子』

画像: 映画『ほとりの朔子』予告編 Au revoir l' été / Trailer www.youtube.com

映画『ほとりの朔子』予告編 Au revoir l' été / Trailer

www.youtube.com

『ほとりの朔子と『さようなら』の間に取られた中編作『いなべ』

画像: 【予告】映画「いなべ」 youtu.be

【予告】映画「いなべ」

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世界初の、アンドロイド主演作を出品して、話題を集めた『さようなら』

画像: 映画『さようなら』予告編 youtu.be

映画『さようなら』予告編

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3、深田監督のシネフィル連載で振り返る、映画監督への道

シネフィルでも不定期ではあるものの忙しい中で、連載をいただいておりますが、この受賞で初めて深田監督を知った方にとっては、文章にも、その人間性が溢れていて、エピソードが色々です。
監督自身の人生の断片断片を書いていただいていて、映画愛に満ち、またしっかりとした信念を持ち映画を作ってきたことが理解できます。

下記、連載よりいくつか抜粋してみました。

「深田晃司「とつとつとはずがたり」#03:名画座のこと〜 新文芸坐」 より

幅広い映画愛がわかる深田監督の新文芸坐のオールナイトの思い出が綴られています。

以下、抜粋

私は、何を今更の告白であるが、信者と言っても差し支えないほど宮崎駿作品から多大な精神汚染を被って育ってきたのだが、『未来少年コナン』だけにはなかなか手を出してこなかった。ビデオで見ようと挑戦したことはあったものの、いろいろな理由からそれは頓挫していた(それについては長くなるのでまた別の機会に)。
 それがまさか新文芸坐に鑑賞の機会を与えてもらえるとは思わなかった。アニメ作品の特集上映にも力を入れているのが、他の名画座にはない、新文芸坐の貴重な個性だろう。
 むさぼるように一話30分全26話を見続けた『未来少年コナン』は、期待をはるかに越えて魂が震えるほどの傑作で、まるでドライヤーやムルナウを思い起こさせるような(いやほんとに)、脚本の論理ではない映像の論理に支えられた強靭な奇跡を何度も目の当たりにし、なぜこれまで自分はこれを見ずにして宮崎駿を語っていたのか、と悔やみつつも興奮し、コナンよろしくはねるような足取りで、蒼白く白々しい、明け方の風俗街をつっきり、始発を待つ池袋駅に向かったのを覚えている。

「深田晃司「とつとつ、とはずがたり」♯04 映画美学校のこと」 

実際に映画を、作り出す前のエピソードがわかります。

以下、抜粋

そんな、パゾリーニを見に行ったある日のユーロスペースで、私は一枚のチラシを見かけた。
 それは、映画美学校が開催する映画撮影夏期集中講座の募集だった。そのときにどう心が動いたかはまったく覚えていないが、とにかく私は応募した。
 その頃の私は毎日70年代以前の映画ばかりを見ていて、今から思えばただの喰わず嫌いなのだけど、近年の日本映画にもPFFに代表されるような自主映画・学生映画の文化にはほとんど触れることがなかった。映画と言えばどこか遠い国、遠い時代で作られる手の届かないゲージュツで、だから私にとっては、映画を見る側から作る側に回れるという思考は、革命的な、コペルニクス的転回だったのだと思う。
 応募要項には、撮りたい短編映画のあらすじを書く欄があった。早速私が書いたのは「死の想念に取り憑かれた老いた画家が、モチーフを探すため街をさまよい、様々な死を連想させる出来事と遭遇し、家に帰ったら妻が死んでいる」というかなり観念的なものだった。タイトルは「メメント・モリ」。思い出すと赤面するしかない内容だが、19歳の私の脳内上映では既に『ゴダールの決別』と比肩すべき傑作に仕上がっていた。
 

「深田晃司「とつとつとはずがたり」02 宮田三清さんのこと」

映画を作り出した頃からお世話になった亡くなった恩師へ向けて、書かれています。

以下、抜粋

 無名でまったく実績もない若造の映画を、「君の脚本はよく分からないんだよね」と笑顔で言いながらサポートをしてくれる、それが宮田三清さんでした。
 その宮田さんが、先日急逝されました。年末から体調を崩されていたとは聞いていたのですが、回復し出社されているという話も一方で聞いていて、訃報に接したときは耳を疑いました。
 思えば、宮田さんはいつだって映画のことを、何よりインディペンデント映画のことを考えてくれていたように思います。大手の流通に必ずしも乗れない映画たちがどうやったらもっと作られ見てもらえるか、そんなことを憂いて、映画監督応援サイト“a-han.jp”を立ち上げたり、最近では”100万人プロジェクト”と銘打って業界関係者を集めた勉強会を開いたりしていました。
 その熱意は驚くほどで、傍目から見て少々空回りしているように思えるときもありましたが、この焼け野原のような日本映画界でその努力を笑える人などいるでしょうか?

まだまだ、こんな連載もあります。これを機会にぜひお読みください!

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